恋を売る夜に、ただひとつの愛を

告白の夜から、二人の「秘密の約束」が始まった。
日中の喫茶店では、これまでと変わらない風景がそこにあった。
レオは常連客として静かにブレンドコーヒーを味わい、リリィは丁寧で柔らかな笑みを浮かべて接客をする。
指一本触れ合わず、交わす言葉も「いつものですね」「はい、ありがとうございます」といった他愛のないもの。
けれど、ふとした瞬間に視線が重なると、互いの瞳の奥には二人だけの甘く重い誓いが確かに通い合っていた。
そうして表面上の静寂を保ったまま月日が流れた、ある日のこと。
歌舞伎町のビル街に位置する「HOST CLUB RAYSTOLL」は、狂乱と熱気に包まれていた。
今夜は店が誇る、開店5周年記念イベント。
煌びやかな装飾が施された店内には、高価なドレスを纏った太客たちがひしめき合い、シャンパンコールと飛び交う大金で熱気が最高潮に達していた。
そんな喧騒の渦中、店の重厚な扉をくぐり抜けたのは、場違いなほど清楚で華身な少女リリィだった。

「ほらほら、リリィちゃん! こっちこっちー!」

手を引くのは、フリルとリボンが踊るゴシック調の可憐なドレスに身を包んだルミだ。
リリィは周囲の派手な演出や煌びやかな客たちに気押され、怯えたようにルミの背中にしがみついている。

「あの……ルミさん、本当にわたし、このような場所に来てしまって良かったのでしょうか……? レオさんには『絶対に来てはダメだ』と言われていて……」

不安で消え入りそうな声で囁くリリィに、ルミは振り返ってニッと小悪魔的な笑みを浮かべた。

「大丈夫だって! 今日は特別なイベントだからね! それに……リリィちゃんをこの夜の街に染めるつもりは全っ然ないけどさ。やっぱり『神城蓮の本カノ』として、影でコソコソしてるだけじゃなくて、一度くらい他の姫たちをギャフンと言わせて黙らせておいた方が、後々リリィちゃんのためになるでしょ?」
「だ、黙らせる……?」
「そう! 嫉妬深い女たちに『この子には絶対勝てない』って諦めさせるの! でもリリィちゃんはお金持ってないでしょ? だから、俺が出すよ♡って話!」

ルミはウインクを弾けさせると、呆然とするリリィを強引に VIP 席へとエスコートした。
ルミの狙いは明白だった。
リリィに夜の毒を煽らせる気は毛頭ない。
けれど、どれほど隠そうとしても付きまとってくる太客たちの悪意からリリィを守るため、圧倒的な「金の力」で牽制しようと考えたのだ。

「すいませーん! 蓮にシャンパンタワー、追加でお願いしまーす! あ、もちろん紫苑の席にはそれより一回りデカい特注タワー入れてね♡」

あっけらかんと数百万、数千万という単位の金額をコールするルミの横で、リリィは口をぽかんと開けることしかできない。

そして、フロアの向こう側
紫苑の卓で完璧な接客をこなしていた「神城 蓮」ことレオが、聞き覚えのあるルミの絶叫と、その隣で小さくなっている「最愛の少女」の姿を捉えた。
その瞬間、完璧な営業用王子様のスマイルを浮かべていた蓮の顔から、一瞬にして血の気が引いた。

「……っ!?」

完璧に仕立て上げられた王子様の笑顔が、一瞬で凍りついた。
ガラス杯が触れ合う喧騒と、重低音の音楽が鼓膜を揺らすフロアのただ中で、蓮の視線は固まった。
まさか絶対に足を踏み入れさせないと誓い、固く固く釘を刺していたはずの「彼女」が、あろうことか店内で最も目立つVIP席に座っている。
しかも、その隣には満足げにニヤリと笑うルミの姿。

(……ルミさん……っ!)

殺意にも似た視線をルミへ向けた瞬間、ルミは楽しそうにウインクを返し、リリィの背中をポンポンと叩いて見せた。
一方のリリィは、場違いな空間の熱気と絢爛さに完全に気圧され、身を縮こまらせながら、どこか申し訳なさそうに赤く澄んだ瞳で蓮を見つめている。
その胸元には、あの日彼が贈った四つ葉のクローバーのネックレスが、煌びやかな店内の照明を受けて儚く光っていた。
周囲の卓にいた姫たちの視線が、一斉にそのVIP席へと集まり始める。

「ねえ、あの席の子、誰……? ルミちゃんの隣にいる子」
「見ない顔じゃない? 蓮さんの初回……? でもルミちゃんが一緒ってどういうこと?」
「ていうか、蓮さんのタワー、あの子の卓に入ったの……!?」

ひそひそと交わされる不穏な囁き。
嫉妬と猜疑心の混ざった鋭い視線がリリィへと突き刺さり、リリィは唇を噛み締め、小さく肩を震わせた。
その光景を目にした瞬間、蓮の胸の奥で、冷たく狂おしい怒りと、絶対に彼女を守るという策士の執念が弾けた。

(リリィさんに、そんな目を向けさせるな……!)

蓮は瞬時に頭を回転させ、冷徹なまでの判断を下した。
動揺を一切顔に出さず、いつもの極上の笑みを貼り直すと、ゆっくりとした優雅な足取りでVIP席へと歩み寄る。

「ルミさん。……そして、可愛らしいお客様」

澄んだ、甘く囁くような声音。
けれど、その新緑の瞳の奥には、ルミに対する無言の圧力がギラリと光っていた。

「蓮さん! あ、あの……わたし……」

今にも泣き出しそうな声で言い訳をしようとするリリィに対し、蓮はテーブル越しにすっと腰を落とし、彼女の目線に合わせるように顔を近づけた。
そして、姫たちの視線が集まるのを計算し尽くした動作で、リリィの手元に置かれたグラスへ、極めて洗練された手つきでシャンパンを注ぐ。

「いいんですよ。……私の特別な夜に、こんなにも美しい方が来てくださるなんて、光栄です」

「蓮」としての完璧な営業スマイルと甘い言葉。
だが、リリィだけに聞こえる微かな低音で、彼は静かに囁いた。

「……怖がらないで。大丈夫ですから、私に任せてください」

その一言に、リリィの肩の力がふっと抜ける。

直後、フロア全体を揺るがすような盛大なシャンパンコールが響き渡った。
ルミが叩きつけた破格の金の力によって、店内の頂点を象徴するシャンパンタワーに煌めく液体が注がれていく。
周囲の太客たちは、圧倒的な金額の差と、蓮の完璧すぎる対応、そして何よりルミという絶対的な存在がバックについている異例の事態に、文句のつけようもなく言葉を失っていた。

「……ふん、腹はくくったみたいだな」

離れた卓でその様子を冷ややかに見つめていた紫苑が、つまらなそうに鼻で笑い、グラスの酒を煽る。
異例の夜。
狂乱の歌舞伎町で、蓮は姫たちの嫉妬からリリィを完璧に遮断するようにその前に立ち、同時に、自分の大切なものを二度と奪わせないための威圧を店内全体へと放っていた。
毒の渦巻く夜の世界で、二人だけの秘密の誓いは、より一層深く、固く、刻み込まれていくのだった。
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