恋を売る夜に、ただひとつの愛を
数日後の昼下がり。
普段のリリィなら決して足を踏み入れないような鮮やかなピンクとパープルで彩られた空間が、そこには広がっていた。
「マジカル・ラビットへようこそ! お帰りなさいませ、お嬢様!」
ドアを開けた瞬間、弾けるような明るい声が響く。
大きな兎耳のカチューシャをつけ、フリルとリボンがふんだんにあしらわれたピンクの魔法少女衣装に身を包んだルミが、満面の笑みで駆け寄ってきた。
いつもの従者服や落ち着いた装いとは一変した可憐な姿に、リリィは赤い瞳を丸くして驚き、その場に固まってしまう。
「あ……ル、ルミさん……?」
「ふふ、驚いた? 今日はここのお店の『うさぎの魔法少女』なんだから! ほらほら、こっちこっち!」
混乱するリリィの手を引いて、ルミは楽しそうにカウンターの奥へと案内した。
高めのチェアーにリリィを座らせると、パタパタとカラフルなメニュー表を開いて見せてくる。
「何飲むー? 甘いのがいいかな? おすすめはね、魔法のステッキでかき混ぜる特製ココア! あとね、お腹空いてるならオムライスが絶対おすすめ! お絵かきもしてあげるし!」
「あ、はい……では、その……ココアと、オムライスをお願いします……」
右も左も分からないリリィは、ルミの勢いに押されるままコクコクと頷き、注文を終えた。
「はーい、魔法のココアとオムライスね! ちょっと待っててねー!」
ルミは手際よく注文を通すと、慣れた手つきでグラスとプレートを準備し始める。
周囲にお客が少ない時間帯ということもあり、ルミはカウンター越しにリリィへと身を乗り出した。
先ほどまでの接客用のテンションから少しだけトーンを落とし、悪戯っぽく、けれど温かい目を細める。
「で? レオとはどうなったの?」
唐突に飛び出した大好きな人の名前に、リリィは「ひゃい!?」と可愛らしい悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。
「れ、レオさん……? どうなった、とは……」
「とぼけちゃって〜。初詣のあと、お互い『大好き』って言い合っちゃったんでしょ? 蓮……あ、レオから聞いたよ。二人して手足の動かし方も分からなくなっちゃうくらい、甘々でぎこちなくなってるって」
ルミにニヤニヤと見つめられ、リリィの白い頬が一瞬で真っ赤に染まっていく。
彼女は胸元でぎゅっと四つ葉のクローバーのネックレスを握りしめ、消え入りそうな声で俯いた。
「それは……その……レオさんが、わたしを守ってくださると、言ってくださって……。でも、わたし……なんだか、気まずくて……」
照れて小さくなるリリィの純粋な反応に、ルミは胸をキュンとさせながらも、ふっと少しだけ真面目な顔を覗かせた。
「レオのこと、本当に好きなんだね」
「……っ、はい。大好き、です……。でも、レオさん、最近すごく思い詰めたお顔をされていて……わたし、どうしたらいいのか……」
リリィの切実な吐露を受け止めながら、ルミはオムライスにケチャップでハートを描き始めた。
「ねえ、リリィちゃん。レオがホストだって知った時……どう思った?」
「え……」
リリィは意図を掴みかねたように首をかしげ、少し考えてから、ぽつりと言葉を零した。
「最初は……すごく、びっくりしました。でも……歌舞伎町のレオさんも、喫茶店のレオさんも、どちらも大切なレオさんなんです。わたしのために一生懸命で、優しくて……だから、どちらのレオさんも、わたしは大好きです」
まっすぐで揺るぎないその答えに、ルミは「……はぁ」と大きなため息をついた。
呆れと、羨望と、どこか愛おしさが混ざったようなため息だった。
「本当に、レオのことが大好きなんだね……」
ルミは手元のココアに可愛いウサギのマシュマロを浮かべると、それをリリィの前に優しく置いた。
そして、少し懐かしむように、けれどどこか重い眼差しで語り始めた。
「……あのね、俺と紫苑のこと、ちょっと話すね。俺もね、最初は紫苑のたくさんいる姫の一人でしかなかったんだ」
リリィは黙ってルミの言葉に耳を傾ける。
「当時の俺は昼間、普通のカフェで働いててね。ホストに通うお金なんて全然なくて、いわゆる『細客』って呼ばれる存在だったの。だから……お店に行くたびに、紫苑に何百万も使ってる太客の姫たちから、すごく陰湿にいじめられてた」
「ルミさんが……いじめられていたのですか……?」
信じられないというように目を丸くするリリィに、ルミは苦笑いを浮かべた。
「うん。悔しくて悔しくて、たまらなかった。だから俺、昼のカフェをやめて、夜遅くまでやってる今のコンカフェに転職したの。死ぬ気で働いて、ナンバーワンになって、稼いだお金を全部紫苑の卓につぎ込んだ。そうやって、やっと太客の仲間入りをしたんだよ」
ルミの言葉には、華やかな見た目からは想像もつかないような、生々しい執念が宿っていた。
「そうして色んなことがあって……紫苑から告白されて、付き合うことになったの。でもね、本カノになったからって、ハッピーエンドじゃなかったんだよ。むしろそこからの方が大変だった。付き合ってるってバレないようにしても嫉妬の空気って伝わるし、噂が立ったらまた姫たちからいっぱい嫌がらせされたの」
「そんな……」
「だからね、俺はもっと稼いで、シャンパンタワーを何本も立てて、誰も文句が言えないくらいの『差』を見せつけてやったの。……紫苑の隣に立つ資格を、金の力で力ずくで勝ち取ったんだよ」
そこまで一気に話すと、ルミはふっとウサギの耳カチューシャを揺らし、真剣な表情でリリィの赤く澄んだ瞳をじっと見つめた。
「ホストと付き合うってね、そういうことなんだよ。リリィちゃん」
店内のかわいらしいBGMとは裏腹に、ルミの声は静かで、重く、現実を突きつけていた。
「どんなに隠しても、どんなにレオが守ろうとしても、相手が売れっ子ホストである限り、女たちの嫉妬と悪意からは逃れられない。俺のやり方は狂ってるかもしれないけど、そうやって毒を毒で制する覚悟がないと、夜の世界の男の『本カノ』なんてやってられないの」
突然明かされた衝撃的な告白と、その可憐な容姿からは想像もつかないほど壮絶な過去に、リリィは言葉を失い、ただ口を微かに開けたまま呆然と固まってしまった。
「そんな……そんなに、大変だったなんて……知りませんでした……」
想像を絶する夜の世界の泥沼と、そこに渦巻く女たちの執着。
リリィはぎゅっと自分の膝の上で拳を握りしめ、申し訳なさとショックで深く俯いた。
自分がいかに能天気にレオを慕っていたか、そして「ホストの恋人になる」ということがどれほど恐ろしいことなのかを突きつけられ、胸が押し潰されそうになる。
そんなリリィの様子に、ルミは少し柔らかい表情を浮かべ、小さな手でリリィの手にそっと触れた。
「でもね、リリィちゃん。たぶんレオのことだからさ……リリィちゃんのことは、絶対に自分の命に代えても、死ぬ気で守ると思うよ。あいつ、普段はニコニコしてるけど、根はめちゃくちゃ執念深くて策士だからね」
励ますようにそう言ったルミだったが、すぐにふっと陰りのある悲しげな瞳を向けた。
「……だけどね。どんなにレオが完璧に隠して守ろうとしても、やっぱり女の勘とか嫉妬の目って、どうしても向いちゃうんだよ。完璧に防ぎ切るなんて、きっと無理……」
ホストの本カノという立場が背負う、あまりにも重いリスクと孤独。
今まで日当たりの良い静かな世界で生きてきたリリィにとって、それは想像すら及ばない暗闇だった。
あまりの現実の重さに、リリィはただ唇を噛み締め、黙り込むことしかできない。
店内に流れる可愛らしいBGMと、甘いココアの香りが、今の二人を包む重苦しい静寂と浮き彫りのような対比を成していた。
ルミはリリィの顔を覗き込み、心配そうに、けれどどこか祈るような声で尋ねた。
「……そこまで聞いてさ。それでもリリィちゃんは、リスクを背負ってまで、レオの彼女になりたいって思う……?」
問いかけられたリリィは、ゆっくりと顔を上げた。
赤い瞳には不安の波が揺れていた。
怖くないと言えば嘘になる。
夜の世界の毒も、見知らぬ人々の悪意も、本来の彼女なら逃げ出したいほど恐ろしいものだ。
けれど胸元でずっと握りしめていた、四つ葉のクローバーに触れた瞬間、彼女の瞳から迷いが消えていった。
「……はい」
か細く、けれど一度も揺らぐことのない声が、静かに落ちた。
「こわいです。とても……すごく、こわいです。わたしはルミさんのように強くありませんし、お金でレオさんを助けることも、できません……。でも」
リリィは赤い瞳をまっすぐにルミに向け、芯のある強い眼差しで見つめ返した。
「レオさんが、どれほど苦しんでおられても……わたしを諦めないでいてくださるなら。わたしも、逃げたくありません。秘密の恋人でも、日陰の存在でも構いません……わたしは、レオさんのお隣にいたいです」
純粋で、けれど何よりも強い少女の覚悟に、ルミは一瞬驚いたように目を丸くし、やがて降参したようにふっと優しく微笑んだ。
普段のリリィなら決して足を踏み入れないような鮮やかなピンクとパープルで彩られた空間が、そこには広がっていた。
「マジカル・ラビットへようこそ! お帰りなさいませ、お嬢様!」
ドアを開けた瞬間、弾けるような明るい声が響く。
大きな兎耳のカチューシャをつけ、フリルとリボンがふんだんにあしらわれたピンクの魔法少女衣装に身を包んだルミが、満面の笑みで駆け寄ってきた。
いつもの従者服や落ち着いた装いとは一変した可憐な姿に、リリィは赤い瞳を丸くして驚き、その場に固まってしまう。
「あ……ル、ルミさん……?」
「ふふ、驚いた? 今日はここのお店の『うさぎの魔法少女』なんだから! ほらほら、こっちこっち!」
混乱するリリィの手を引いて、ルミは楽しそうにカウンターの奥へと案内した。
高めのチェアーにリリィを座らせると、パタパタとカラフルなメニュー表を開いて見せてくる。
「何飲むー? 甘いのがいいかな? おすすめはね、魔法のステッキでかき混ぜる特製ココア! あとね、お腹空いてるならオムライスが絶対おすすめ! お絵かきもしてあげるし!」
「あ、はい……では、その……ココアと、オムライスをお願いします……」
右も左も分からないリリィは、ルミの勢いに押されるままコクコクと頷き、注文を終えた。
「はーい、魔法のココアとオムライスね! ちょっと待っててねー!」
ルミは手際よく注文を通すと、慣れた手つきでグラスとプレートを準備し始める。
周囲にお客が少ない時間帯ということもあり、ルミはカウンター越しにリリィへと身を乗り出した。
先ほどまでの接客用のテンションから少しだけトーンを落とし、悪戯っぽく、けれど温かい目を細める。
「で? レオとはどうなったの?」
唐突に飛び出した大好きな人の名前に、リリィは「ひゃい!?」と可愛らしい悲鳴を上げて肩を跳ねさせた。
「れ、レオさん……? どうなった、とは……」
「とぼけちゃって〜。初詣のあと、お互い『大好き』って言い合っちゃったんでしょ? 蓮……あ、レオから聞いたよ。二人して手足の動かし方も分からなくなっちゃうくらい、甘々でぎこちなくなってるって」
ルミにニヤニヤと見つめられ、リリィの白い頬が一瞬で真っ赤に染まっていく。
彼女は胸元でぎゅっと四つ葉のクローバーのネックレスを握りしめ、消え入りそうな声で俯いた。
「それは……その……レオさんが、わたしを守ってくださると、言ってくださって……。でも、わたし……なんだか、気まずくて……」
照れて小さくなるリリィの純粋な反応に、ルミは胸をキュンとさせながらも、ふっと少しだけ真面目な顔を覗かせた。
「レオのこと、本当に好きなんだね」
「……っ、はい。大好き、です……。でも、レオさん、最近すごく思い詰めたお顔をされていて……わたし、どうしたらいいのか……」
リリィの切実な吐露を受け止めながら、ルミはオムライスにケチャップでハートを描き始めた。
「ねえ、リリィちゃん。レオがホストだって知った時……どう思った?」
「え……」
リリィは意図を掴みかねたように首をかしげ、少し考えてから、ぽつりと言葉を零した。
「最初は……すごく、びっくりしました。でも……歌舞伎町のレオさんも、喫茶店のレオさんも、どちらも大切なレオさんなんです。わたしのために一生懸命で、優しくて……だから、どちらのレオさんも、わたしは大好きです」
まっすぐで揺るぎないその答えに、ルミは「……はぁ」と大きなため息をついた。
呆れと、羨望と、どこか愛おしさが混ざったようなため息だった。
「本当に、レオのことが大好きなんだね……」
ルミは手元のココアに可愛いウサギのマシュマロを浮かべると、それをリリィの前に優しく置いた。
そして、少し懐かしむように、けれどどこか重い眼差しで語り始めた。
「……あのね、俺と紫苑のこと、ちょっと話すね。俺もね、最初は紫苑のたくさんいる姫の一人でしかなかったんだ」
リリィは黙ってルミの言葉に耳を傾ける。
「当時の俺は昼間、普通のカフェで働いててね。ホストに通うお金なんて全然なくて、いわゆる『細客』って呼ばれる存在だったの。だから……お店に行くたびに、紫苑に何百万も使ってる太客の姫たちから、すごく陰湿にいじめられてた」
「ルミさんが……いじめられていたのですか……?」
信じられないというように目を丸くするリリィに、ルミは苦笑いを浮かべた。
「うん。悔しくて悔しくて、たまらなかった。だから俺、昼のカフェをやめて、夜遅くまでやってる今のコンカフェに転職したの。死ぬ気で働いて、ナンバーワンになって、稼いだお金を全部紫苑の卓につぎ込んだ。そうやって、やっと太客の仲間入りをしたんだよ」
ルミの言葉には、華やかな見た目からは想像もつかないような、生々しい執念が宿っていた。
「そうして色んなことがあって……紫苑から告白されて、付き合うことになったの。でもね、本カノになったからって、ハッピーエンドじゃなかったんだよ。むしろそこからの方が大変だった。付き合ってるってバレないようにしても嫉妬の空気って伝わるし、噂が立ったらまた姫たちからいっぱい嫌がらせされたの」
「そんな……」
「だからね、俺はもっと稼いで、シャンパンタワーを何本も立てて、誰も文句が言えないくらいの『差』を見せつけてやったの。……紫苑の隣に立つ資格を、金の力で力ずくで勝ち取ったんだよ」
そこまで一気に話すと、ルミはふっとウサギの耳カチューシャを揺らし、真剣な表情でリリィの赤く澄んだ瞳をじっと見つめた。
「ホストと付き合うってね、そういうことなんだよ。リリィちゃん」
店内のかわいらしいBGMとは裏腹に、ルミの声は静かで、重く、現実を突きつけていた。
「どんなに隠しても、どんなにレオが守ろうとしても、相手が売れっ子ホストである限り、女たちの嫉妬と悪意からは逃れられない。俺のやり方は狂ってるかもしれないけど、そうやって毒を毒で制する覚悟がないと、夜の世界の男の『本カノ』なんてやってられないの」
突然明かされた衝撃的な告白と、その可憐な容姿からは想像もつかないほど壮絶な過去に、リリィは言葉を失い、ただ口を微かに開けたまま呆然と固まってしまった。
「そんな……そんなに、大変だったなんて……知りませんでした……」
想像を絶する夜の世界の泥沼と、そこに渦巻く女たちの執着。
リリィはぎゅっと自分の膝の上で拳を握りしめ、申し訳なさとショックで深く俯いた。
自分がいかに能天気にレオを慕っていたか、そして「ホストの恋人になる」ということがどれほど恐ろしいことなのかを突きつけられ、胸が押し潰されそうになる。
そんなリリィの様子に、ルミは少し柔らかい表情を浮かべ、小さな手でリリィの手にそっと触れた。
「でもね、リリィちゃん。たぶんレオのことだからさ……リリィちゃんのことは、絶対に自分の命に代えても、死ぬ気で守ると思うよ。あいつ、普段はニコニコしてるけど、根はめちゃくちゃ執念深くて策士だからね」
励ますようにそう言ったルミだったが、すぐにふっと陰りのある悲しげな瞳を向けた。
「……だけどね。どんなにレオが完璧に隠して守ろうとしても、やっぱり女の勘とか嫉妬の目って、どうしても向いちゃうんだよ。完璧に防ぎ切るなんて、きっと無理……」
ホストの本カノという立場が背負う、あまりにも重いリスクと孤独。
今まで日当たりの良い静かな世界で生きてきたリリィにとって、それは想像すら及ばない暗闇だった。
あまりの現実の重さに、リリィはただ唇を噛み締め、黙り込むことしかできない。
店内に流れる可愛らしいBGMと、甘いココアの香りが、今の二人を包む重苦しい静寂と浮き彫りのような対比を成していた。
ルミはリリィの顔を覗き込み、心配そうに、けれどどこか祈るような声で尋ねた。
「……そこまで聞いてさ。それでもリリィちゃんは、リスクを背負ってまで、レオの彼女になりたいって思う……?」
問いかけられたリリィは、ゆっくりと顔を上げた。
赤い瞳には不安の波が揺れていた。
怖くないと言えば嘘になる。
夜の世界の毒も、見知らぬ人々の悪意も、本来の彼女なら逃げ出したいほど恐ろしいものだ。
けれど胸元でずっと握りしめていた、四つ葉のクローバーに触れた瞬間、彼女の瞳から迷いが消えていった。
「……はい」
か細く、けれど一度も揺らぐことのない声が、静かに落ちた。
「こわいです。とても……すごく、こわいです。わたしはルミさんのように強くありませんし、お金でレオさんを助けることも、できません……。でも」
リリィは赤い瞳をまっすぐにルミに向け、芯のある強い眼差しで見つめ返した。
「レオさんが、どれほど苦しんでおられても……わたしを諦めないでいてくださるなら。わたしも、逃げたくありません。秘密の恋人でも、日陰の存在でも構いません……わたしは、レオさんのお隣にいたいです」
純粋で、けれど何よりも強い少女の覚悟に、ルミは一瞬驚いたように目を丸くし、やがて降参したようにふっと優しく微笑んだ。