恋を売る夜に、ただひとつの愛を
十二月二十五日、クリスマス当日。
歌舞伎町の夜は、一年で最も煌びやかで、そして最も歪んだ熱気に包まれていた。
「蓮くん、メリークリスマス! 今夜は一番贅沢な夜にしようね!」
「メリークリスマス。今夜のあなたは、聖夜に舞い降臨りた天使のように綺麗ですよ」
夕方からの高級レストランでの同伴を終え、最高額を落としてくれる太客の姫を伴って『HOST CLUB RAYSTOLL』へと出勤した「神城 蓮」。
白スーツの胸元に黒のサングラス、隙のないヘアセット。
完璧な「王子様」として姫の手を握り、甘い言葉を注ぎ込みながらも、蓮の胸の奥には冷たい違和感が居座り続けていた。
ふとした瞬間に脳裏を掠めるのは、あの静かな喫茶店の光景だ。
あの日、断られた瞬間に悲しそうに瞳を揺らし、必死に作り笑いを浮かべたリリィの顔。
(……忘れろ。今夜は『神城 蓮』に集中するんだ)
湧き上がる罪悪感を無理やり心の奥底へ押し込め、蓮は目の前の姫に極上の笑みを向けた。
「蓮さん、本日も同伴ありがとうございます! シャンパン入ります!」
後輩たちの威勢のいい声が響き、高額なシャンパン『アルマン・ド・ブリニャック』が開けられる。蓮は淀みない動作でグラスを干し、姫の自尊心を満たしていく。
ふとフロアの最奥へ視線を向けると、いつもなら必ず隣にいるはずのルミの姿が、紫苑の卓になかった。
(……ルミさんがいない?)
紫苑は一人で席につき、今夜ばかりはルミのためではなく、自分に大金を積んでくれた他の太客の姫たちと静かにグラスを交わし、完璧なホストとしての営業をこなしていた。
あのルミがクリスマスの当日に来ないなど、今まで一度もなかったことだ。
店内の熱気が最高潮に達しようとしていた、その時だった。
重厚な店の扉が開き、マイク担当のホストが案内する声よりも早く、鈴を転がすような甲高い声が入口付近から響き渡った。
「紫苑ー! 遅くなってごめんね! すっごく可愛い子見つけて連れてきたの! 早く早く!」
水色の髪を華やかにセットし、煌びやかなドレスに身を包んだルミだ。
ルミは誰かの手を強引に引っ張りながら、弾むような足取りで店内へと入ってくる。
「ルミ、遅いですよ」
紫苑が少し呆れたように立ち上がり、入口へと視線を向ける。
そして蓮もまた、ルミが誰を連れてきたのかと何気なく視線をそちらへ走らせ、次の瞬間、息を呑んだ。
「ちょっと、ルミさん……っ、ここって……」
ルミに引っ張られるようにしてフロアに足を踏み入れたのは、清楚な薄桃色のパーティードレスに身を包んだ、白銀の髪の少女だった。
履き慣れないヒールに戸惑い、煌びやかすぎる店内の照明と大音量の音楽に怯えるように身体を縮めている。
そしてその細い首元にはあの日、蓮が贈った四葉のクローバーのネックレスが、眩い光を受けて静かに輝いていた。
「リリィ……さん……?」
声にはならなかった。 完璧に作り込まれていた「神城 蓮」の仮面が、音を立てて砕け散る。
なぜ彼女がここにいるのか。 なぜルミと一緒にいるのか。 そして何より――自分が隠し続けてきた「歌舞伎町のホスト・神城 蓮」としての不潔で歪んだ姿を、よりによって一番見られたくなかった無垢な少女に見られてしまったという絶望。
緑の瞳を大きく見開き、固まる蓮。
ルミに引かれて店内を見渡していたリリィの赤い瞳が、吸い寄せられるように蓮の姿を捉えた。
最高級の白スーツを纏い、豪華なシャンパンボトルが並ぶテーブルの真ん中で、見知らぬ華やかな女性の肩を抱くように座っている男。
「……レ……オさん……?」
重低音の渦巻く店内で、リリィの可憐な唇が、音もなく彼の名前を紡いだ。
「……っ!?」
完璧に整えられていた「神城 蓮」の呼吸が、完全に止まった。
店内を包む爆音のジャズと重低音も、飛び交うシャンパンコールの声も、すべてが遠い世界の出来事のように遠のいていく。
緑の瞳はただ一点、ルミに手を引かれて店内へと足を踏み入れた、白銀の髪の少女リリィだけを映し出していた。
「紫苑ー! 来たよー! はい、これ頼んでおいたから!」
ルミは怯えるリリィの手を引いたまま紫苑のメイン卓へと突進すると、ソファへ強引にリリィを座らせた。
そして黒服に向かって「テキーラ観覧車! 一番光るやつちょうだい!」と無邪気にオーダーを通してしまう。
「ルミ……急に姿を消したかと思えば、一体何をやって……」
紫苑は困惑と呆れが混ざった表情でルミを咎めようとしたが、ルミはどこ吹く風で紫苑の腕にすがりついた。
「いいからいいから!ねえ紫苑、あっちの蓮くんも呼んで! 早く早く!」
「……やれやれ」
紫苑は深いため息をつくと、近くにいた黒服に目線で合図を送った。
直後、蓮のメイン卓に黒服が滑り込み、低く耳打ちする。
「……蓮さん、紫苑様のお卓からお呼びです」
いつもなら冷徹な計算を巡らせ、優雅に応じる場面だ。
しかし今の蓮は、自分の姫に「少し失礼します」と告げる声すら、微かに震えていた。
吸い寄せられるように、足をもつれさせながら紫苑の卓へと向かう。
豪華なテキーラ観覧車が眩しい七色に発光し、その光の中に、薄桃色のドレスを着たリリィが縮こまるように座っていた。
「……リリィ、さん……」
蓮が喉を鳴らしてその名を呼ぶと、紫苑はすっと席を外し、蓮の背中を静かに押してリリィの隣へと座らせた。
「……何をやっているんですか、ルミ」
紫苑が低い声で問い詰めると、ルミは待ってましたと言わんばかりにパッと満面の笑みを咲かせた。
「だってね! 今日お店に行ったら、リリィちゃんがすっごく寂しそうに『お仕事で来られないって……』ってしゅんってしてたの! クリスマスなのに一人なんて可哀想でしょ? だから『レオくんがいる場所に連れてってあげる!』って言って、ドレス着せて連れてきちゃった!」
「〜〜〜っ!!」
ルミの悪気のない、けれど完璧すぎる暴露に、蓮の額から一気に冷や汗が吹き出した。
動揺を隠しきれず、白スーツの袖を握りしめた手がかすかに震える。
昼間の穏やかで優しい「レオ」の皮が剥がれ落ち、いま自分が纏っているのは、女たちの欲望と金が渦巻く歌舞伎町の「神城 蓮」という不潔で歪んだ仮面だ。
嫌悪される。軽蔑される。
せっかく紡いできた静かな時間が、すべて壊れてしまう。
そんな絶望が脳裏を駆け巡る。
「……あ、あの……レオ……さん……?」
すぐ隣から、可憐で控えめな声が届いた。
恐る恐る隣を見つめ返した蓮の瞳に映ったのは冷ややかな蔑視ではなかった。
目の前にいるのは、いつもの素朴な服を着た「レオ」ではない。
完璧にセットされたプラチナブロンドの髪、胸元を覗かせるサングラス、仕立ての良い白いスーツ。
そして何より、自分を呼ぶ声の低さと、漂う圧倒的な色気と華やかさ。
「……っ」
リリィは胸元でぎゅっと四葉のクローバーのネックレスを握りしめた。
普段の優しい「レオさん」とは全く違う、眩しすぎるほどに格好良く、どこか危険な香りを纏った彼の姿に、リリィの胸はどきどきと破裂しそうなほどの高鳴りを打っていた。
「リリィさん……私、は……」
いつもならどんな姫の前でも即座に最適な「嘘」を紡ぎ出すその口が、極度の動揺でうまく回らない。
「特殊な接客業」と濁していた男の、これが紛れもない真実の姿。
二人の視線が交差する中、七色に光るテキーラ観覧車が、静かに二人を照らし続けていた。
歌舞伎町の夜は、一年で最も煌びやかで、そして最も歪んだ熱気に包まれていた。
「蓮くん、メリークリスマス! 今夜は一番贅沢な夜にしようね!」
「メリークリスマス。今夜のあなたは、聖夜に舞い降臨りた天使のように綺麗ですよ」
夕方からの高級レストランでの同伴を終え、最高額を落としてくれる太客の姫を伴って『HOST CLUB RAYSTOLL』へと出勤した「神城 蓮」。
白スーツの胸元に黒のサングラス、隙のないヘアセット。
完璧な「王子様」として姫の手を握り、甘い言葉を注ぎ込みながらも、蓮の胸の奥には冷たい違和感が居座り続けていた。
ふとした瞬間に脳裏を掠めるのは、あの静かな喫茶店の光景だ。
あの日、断られた瞬間に悲しそうに瞳を揺らし、必死に作り笑いを浮かべたリリィの顔。
(……忘れろ。今夜は『神城 蓮』に集中するんだ)
湧き上がる罪悪感を無理やり心の奥底へ押し込め、蓮は目の前の姫に極上の笑みを向けた。
「蓮さん、本日も同伴ありがとうございます! シャンパン入ります!」
後輩たちの威勢のいい声が響き、高額なシャンパン『アルマン・ド・ブリニャック』が開けられる。蓮は淀みない動作でグラスを干し、姫の自尊心を満たしていく。
ふとフロアの最奥へ視線を向けると、いつもなら必ず隣にいるはずのルミの姿が、紫苑の卓になかった。
(……ルミさんがいない?)
紫苑は一人で席につき、今夜ばかりはルミのためではなく、自分に大金を積んでくれた他の太客の姫たちと静かにグラスを交わし、完璧なホストとしての営業をこなしていた。
あのルミがクリスマスの当日に来ないなど、今まで一度もなかったことだ。
店内の熱気が最高潮に達しようとしていた、その時だった。
重厚な店の扉が開き、マイク担当のホストが案内する声よりも早く、鈴を転がすような甲高い声が入口付近から響き渡った。
「紫苑ー! 遅くなってごめんね! すっごく可愛い子見つけて連れてきたの! 早く早く!」
水色の髪を華やかにセットし、煌びやかなドレスに身を包んだルミだ。
ルミは誰かの手を強引に引っ張りながら、弾むような足取りで店内へと入ってくる。
「ルミ、遅いですよ」
紫苑が少し呆れたように立ち上がり、入口へと視線を向ける。
そして蓮もまた、ルミが誰を連れてきたのかと何気なく視線をそちらへ走らせ、次の瞬間、息を呑んだ。
「ちょっと、ルミさん……っ、ここって……」
ルミに引っ張られるようにしてフロアに足を踏み入れたのは、清楚な薄桃色のパーティードレスに身を包んだ、白銀の髪の少女だった。
履き慣れないヒールに戸惑い、煌びやかすぎる店内の照明と大音量の音楽に怯えるように身体を縮めている。
そしてその細い首元にはあの日、蓮が贈った四葉のクローバーのネックレスが、眩い光を受けて静かに輝いていた。
「リリィ……さん……?」
声にはならなかった。 完璧に作り込まれていた「神城 蓮」の仮面が、音を立てて砕け散る。
なぜ彼女がここにいるのか。 なぜルミと一緒にいるのか。 そして何より――自分が隠し続けてきた「歌舞伎町のホスト・神城 蓮」としての不潔で歪んだ姿を、よりによって一番見られたくなかった無垢な少女に見られてしまったという絶望。
緑の瞳を大きく見開き、固まる蓮。
ルミに引かれて店内を見渡していたリリィの赤い瞳が、吸い寄せられるように蓮の姿を捉えた。
最高級の白スーツを纏い、豪華なシャンパンボトルが並ぶテーブルの真ん中で、見知らぬ華やかな女性の肩を抱くように座っている男。
「……レ……オさん……?」
重低音の渦巻く店内で、リリィの可憐な唇が、音もなく彼の名前を紡いだ。
「……っ!?」
完璧に整えられていた「神城 蓮」の呼吸が、完全に止まった。
店内を包む爆音のジャズと重低音も、飛び交うシャンパンコールの声も、すべてが遠い世界の出来事のように遠のいていく。
緑の瞳はただ一点、ルミに手を引かれて店内へと足を踏み入れた、白銀の髪の少女リリィだけを映し出していた。
「紫苑ー! 来たよー! はい、これ頼んでおいたから!」
ルミは怯えるリリィの手を引いたまま紫苑のメイン卓へと突進すると、ソファへ強引にリリィを座らせた。
そして黒服に向かって「テキーラ観覧車! 一番光るやつちょうだい!」と無邪気にオーダーを通してしまう。
「ルミ……急に姿を消したかと思えば、一体何をやって……」
紫苑は困惑と呆れが混ざった表情でルミを咎めようとしたが、ルミはどこ吹く風で紫苑の腕にすがりついた。
「いいからいいから!ねえ紫苑、あっちの蓮くんも呼んで! 早く早く!」
「……やれやれ」
紫苑は深いため息をつくと、近くにいた黒服に目線で合図を送った。
直後、蓮のメイン卓に黒服が滑り込み、低く耳打ちする。
「……蓮さん、紫苑様のお卓からお呼びです」
いつもなら冷徹な計算を巡らせ、優雅に応じる場面だ。
しかし今の蓮は、自分の姫に「少し失礼します」と告げる声すら、微かに震えていた。
吸い寄せられるように、足をもつれさせながら紫苑の卓へと向かう。
豪華なテキーラ観覧車が眩しい七色に発光し、その光の中に、薄桃色のドレスを着たリリィが縮こまるように座っていた。
「……リリィ、さん……」
蓮が喉を鳴らしてその名を呼ぶと、紫苑はすっと席を外し、蓮の背中を静かに押してリリィの隣へと座らせた。
「……何をやっているんですか、ルミ」
紫苑が低い声で問い詰めると、ルミは待ってましたと言わんばかりにパッと満面の笑みを咲かせた。
「だってね! 今日お店に行ったら、リリィちゃんがすっごく寂しそうに『お仕事で来られないって……』ってしゅんってしてたの! クリスマスなのに一人なんて可哀想でしょ? だから『レオくんがいる場所に連れてってあげる!』って言って、ドレス着せて連れてきちゃった!」
「〜〜〜っ!!」
ルミの悪気のない、けれど完璧すぎる暴露に、蓮の額から一気に冷や汗が吹き出した。
動揺を隠しきれず、白スーツの袖を握りしめた手がかすかに震える。
昼間の穏やかで優しい「レオ」の皮が剥がれ落ち、いま自分が纏っているのは、女たちの欲望と金が渦巻く歌舞伎町の「神城 蓮」という不潔で歪んだ仮面だ。
嫌悪される。軽蔑される。
せっかく紡いできた静かな時間が、すべて壊れてしまう。
そんな絶望が脳裏を駆け巡る。
「……あ、あの……レオ……さん……?」
すぐ隣から、可憐で控えめな声が届いた。
恐る恐る隣を見つめ返した蓮の瞳に映ったのは冷ややかな蔑視ではなかった。
目の前にいるのは、いつもの素朴な服を着た「レオ」ではない。
完璧にセットされたプラチナブロンドの髪、胸元を覗かせるサングラス、仕立ての良い白いスーツ。
そして何より、自分を呼ぶ声の低さと、漂う圧倒的な色気と華やかさ。
「……っ」
リリィは胸元でぎゅっと四葉のクローバーのネックレスを握りしめた。
普段の優しい「レオさん」とは全く違う、眩しすぎるほどに格好良く、どこか危険な香りを纏った彼の姿に、リリィの胸はどきどきと破裂しそうなほどの高鳴りを打っていた。
「リリィさん……私、は……」
いつもならどんな姫の前でも即座に最適な「嘘」を紡ぎ出すその口が、極度の動揺でうまく回らない。
「特殊な接客業」と濁していた男の、これが紛れもない真実の姿。
二人の視線が交差する中、七色に光るテキーラ観覧車が、静かに二人を照らし続けていた。