恋を売る夜に、ただひとつの愛を

月締め日の激戦が明け、また新しい月が始まっても、レオの密かなルーティンが変わることはなかった。
非番の日や仕事前のわずかな隙間時間、彼は相変わらず「雰囲気のいいバー」を探すフリをして街を歩き、気づけば吸い寄せられるようにあの路地裏の喫茶店へと足を向けていた。
カラン、と心地よい鈴の音が鳴る。

「いらっしゃいませ、レオさん!」

カウンターの奥から弾んだ声が跳ね、白銀の髪を揺らしたリリィが出迎えてくれる。
その胸元には、あの日プレゼントした四葉のクローバーのネックレスが、すっかり彼女の一部のように優しく光っていた。

「こんにちは、リリィさん。今日もいつもの席に入ってもいいですか?」
「はい、もちろんです! すぐにお水とメニューをお持ちしますね」

案内された窓際の席。
差し込む柔らかな陽光と、深く香ばしいコーヒーの香り。
歌舞伎町で巻き起こる女たちの執着、金とプライドの応酬、そして「神城 蓮」として完璧な王子様を演じ続ける重圧――それらすべてから完全に解放されるこの数時間こそが、今のレオにとって唯一、本当の意味で息抜きができる時間だった。

(……本当に、ここに来ると肩の力が抜けますね)

レオはバッグから営業用の端末を取り出した。 どれほど心が安らいでいようとも、プロとしての執念とNo.1奪還へのハングリー精神を捨てたわけではない。
指先は淀みなく動き、一人ひとりの姫に合わせた甘い言葉を紡ぎ、SNSの更新作業をこなしていく。
けれど彼は頑なに、この喫茶店のことだけはSNSや姫たちへのメッセージに一切載せなかった。
歌舞伎町のキャストたちがよくやるような「お気に入りのカフェで一服」といった自撮りも、ここでの写真も絶対に上げない。
自分の日常を切り売りして客の気を引く彼が、この小さな空間とリリィの存在だけは、厳重に鍵をかけて自分だけの領域に閉じ込めていた。
ここを夜の街の泥で汚したくない。
そんな、彼自身も無意識の意地と独占欲が働いていた。

「レオさん、お待たせいたしました。ブレンドコーヒーと、今日のシフォンケーキです」
「ありがとうございます、リリィさん。……あ、今日のシフォンケーキは紅茶ですか?」
「はい! アールグレイの茶葉を細かくして混ぜ込んでみたんです。少し香りが強いかもしれないのですが……」

リリィが少し不安そうに上目遣いで尋ねてくる。
レオはフォークで小さく切り分け、口に運ぶと、心底嬉しそうに目元を和ませた。

「……すごく美味しいです。生地もふわふわで、紅茶の香りがとても上品ですね」
「良かった……! レオさんにそう言っていただけると安心します」

ほっと胸を撫で下ろし、花が咲くようにパッと頬を緩めるリリィ。
そのあまりにも素朴で真っ直ぐな笑顔に、レオの胸の奥がじんわりと熱くなる。

「リリィさんは、休みの日は何をされているんですか?」
「私ですか? 私は……お部屋で読書をしたり、刺繍をしたりすることが多いです。あまり賑やかな場所に行くのが得意ではないので……」
「素敵ですね。リリィさんの淹れる紅茶やケーキの丁寧さは、そういった時間から生まれているのかもしれませんね」
「そんな……大層なものじゃないです。でも……いつかレオさんにも、私が家で練習しているハーブティーを飲んでいただけたらなって、少し思ったりして……」

照れたように声を小さくし、耳たぶまで真っ赤にするリリィ。

「それは楽しみですね。その日を楽しみに待っていますよ」

レオがいつも通りの穏やかな敬語で返す。
けれど、その緑の瞳に含まれた温度は、出会った頃の「客と店員」の距離感では明らかになくなっていた。
営業用の端末の画面に、姫たちから『蓮くん今何してるの?』『会いたい』と矢継ぎ早に届く通知。 それを無意識に伏せ、レオはリリィが楽しそうに語る「次に挑戦したいスイーツ」の話に静かに耳を傾けた。
二人の関係は、劇的な変化を起こしているわけではない。
告白をしたわけでも、一線を越えたわけでもない。
けれど、リリィがレオの好みのコーヒーの濃さを完全に把握し、レオがリリィの小さな髪型の変化にいち早く気づくように。
偽りの愛を売る男と、夜の世界を知らない少女の距離は、焦れったいほど微々たる歩みで、けれど確実に、誰にも邪魔できないところまで縮まり始めていた。
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