恋を売る夜に、ただひとつの愛を
歌舞伎町のネオンが点灯し始める夕刻。
「神城 蓮」は、いつものようにスキのない完璧な装いで、待ち合わせ場所である高級ホテルのラウンジで待っていた。
今夜は、彼の指名客の中でも長年熱心に通い詰めてくれている姫の誕生日だった。
「蓮くん! お待たせ!」
華やかなドレスに身を包んだ彼女が、少し緊張した面持ちで駆け寄ってくる。
蓮は一瞬で表情を崩し、まるで愛しい恋人を迎えるかのように腕を広げて微笑んだ。
「お誕生日おめでとうございます。今夜の主役は、誰よりも綺麗ですね」
「本当? 嬉しい……!」
同伴の最初に向かったのは、以前から彼女が「見てみたい」と言っていた高級ジュエリーショップだった。
洗練された店内に案内されると、蓮は自らショーケースを覗き込み、彼女に似合いそうな華奢なダイヤモンドのブレスレットを選び出した。
「蓮くん、これ……すごく綺麗だけど、高すぎるよ」
戸惑う彼女の手を、蓮は優しく包み込む。
「いつも私を支えてくれているあなたへの、心からの感謝と祝いの気持ちです。受取ってください」
迷うことなくカードを提示し、自分の懐からスマートに支払いを済ませる。
プレゼントを自分の金で用意し、相手に特別な優越感と所有感を与える――これもまた、彼女の心を完全に繋ぎ止めるための、計算し尽くされた演出だった。
店を出て受け取った箱を大切そうに抱きしめる彼女の瞳には、すでに熱い涙が浮かんでいた。
午後八時。店に足を踏み入れると、店内は一気に祝福のムードに包まれた。
後輩ホストたちの賑やかな声が響き渡る。
プレゼントに心を射抜かれた彼女は、今夜の主役として、そして蓮を「勝者」にするために、圧倒的な勢いでお酒を注文し始めた。
次々と運ばれてくる高級シャンパン。
「蓮くん、今夜は絶対に蓮くんにラスソンを獲ってほしいの! 私、今日のためにいっぱい準備してきたんだから!」
「……ありがとうございます。あなたのその気持ちだけで、私は胸がいっぱいです」
蓮は彼女のグラスに静かにシャンパンを注ぎ、自分のグラスを一気に干す。
彼女の熱意に応えるように、完璧な笑顔で、けれど決して乱れることなく酒を飲み干していく。
テーブルには何本もの空き瓶が並び、売上額はぐんぐんと跳ね上がっていった。
今夜の蓮のテーブルは、間違いなく店内で最も輝いていた。
「蓮くん、もっと飲む? もう一本開けちゃう?」
少し酔いが回り、顔を赤くしながらも必死に自分を押し上げようとしてくれる彼女。
その健気で、けれどどこか痛々しいほどの執着を前にして、蓮の緑の瞳に一瞬だけ静かな陰りが落ちた。
彼女が自分に向けているのは、偽りの「王子様」に対する盲目的な信仰だ。
自分がプレゼントを贈り、甘い言葉を注げば注ぐほど、彼女は自分という沼から抜け出せなくなっていく。
(……勝ちたい。けれど)
紫苑を倒し、No.1の座を奪いたいという欲望は本物だ。
しかし、自分を信じ切り、必死になって金を積み上げる彼女の姿を見つめていると、胸の奥で冷めた感情が疼く。
蓮は彼女の手をそっと握りしめ、耳元で低く、優しく囁いた。
「……ありがとう。でも、もう十分ですよ」
「え……? でも、紫苑さんのテーブル、さっきすごいボトルが入ってたよ? 私、負けたくない……!」
「私が欲しいのは、ナンバーワンの座だけではありません。あなたに無理をさせて、つらい思いをさせることが一番嫌なんです。今夜、あなたが私にくれたこの時間は、どんなラスソンよりも価値があります」
甘く、誠実さを装った拒絶。
これ以上彼女に無理をさせないための優しさのフリをした、完璧な手綱引き。
彼女は感極まったように蓮の胸に顔をうずめた。
「蓮くん……本当に優しいんだから……っ」
「優しくなんてありませんよ。……ただ、あなたのことが大切なんです」
彼女を抱き締め返しながら、蓮はフロアの奥へと視線を向けた。
そこでは今夜も、紫苑が冷淡な笑みを浮かべながら、高額なシャンパンの泡を見つめている。
今夜も届かないかもしれない。
けれど、こうして誰かの欲望と依存をコントロールし、夜の街で踊らせ続けることこそが、自分の選んだ戦い方だった。
ふと、喧騒とアルコールの匂いの中で、蓮の脳裏に静かな光景が浮かぶ。
『あ、あの……こんなに高価なもの、いただけません』
もしも、あの白銀の髪の少女――リリィに何かを贈ったなら、彼女はどんな顔をするだろうか。
こんな風に歓喜し、代わりに金を落とそうとするだろうか。
……きっと違う。ただ戸惑い、申し訳なさそうに、けれど心から大切にしてくれるはずだ。
(……あの場所へ、行きたいですね)
今夜も歌舞伎町の「王子様」として完璧な夜を演じ切りながら、蓮は胸の深層で、静かに昼の光を欲していた。
「神城 蓮」は、いつものようにスキのない完璧な装いで、待ち合わせ場所である高級ホテルのラウンジで待っていた。
今夜は、彼の指名客の中でも長年熱心に通い詰めてくれている姫の誕生日だった。
「蓮くん! お待たせ!」
華やかなドレスに身を包んだ彼女が、少し緊張した面持ちで駆け寄ってくる。
蓮は一瞬で表情を崩し、まるで愛しい恋人を迎えるかのように腕を広げて微笑んだ。
「お誕生日おめでとうございます。今夜の主役は、誰よりも綺麗ですね」
「本当? 嬉しい……!」
同伴の最初に向かったのは、以前から彼女が「見てみたい」と言っていた高級ジュエリーショップだった。
洗練された店内に案内されると、蓮は自らショーケースを覗き込み、彼女に似合いそうな華奢なダイヤモンドのブレスレットを選び出した。
「蓮くん、これ……すごく綺麗だけど、高すぎるよ」
戸惑う彼女の手を、蓮は優しく包み込む。
「いつも私を支えてくれているあなたへの、心からの感謝と祝いの気持ちです。受取ってください」
迷うことなくカードを提示し、自分の懐からスマートに支払いを済ませる。
プレゼントを自分の金で用意し、相手に特別な優越感と所有感を与える――これもまた、彼女の心を完全に繋ぎ止めるための、計算し尽くされた演出だった。
店を出て受け取った箱を大切そうに抱きしめる彼女の瞳には、すでに熱い涙が浮かんでいた。
午後八時。店に足を踏み入れると、店内は一気に祝福のムードに包まれた。
後輩ホストたちの賑やかな声が響き渡る。
プレゼントに心を射抜かれた彼女は、今夜の主役として、そして蓮を「勝者」にするために、圧倒的な勢いでお酒を注文し始めた。
次々と運ばれてくる高級シャンパン。
「蓮くん、今夜は絶対に蓮くんにラスソンを獲ってほしいの! 私、今日のためにいっぱい準備してきたんだから!」
「……ありがとうございます。あなたのその気持ちだけで、私は胸がいっぱいです」
蓮は彼女のグラスに静かにシャンパンを注ぎ、自分のグラスを一気に干す。
彼女の熱意に応えるように、完璧な笑顔で、けれど決して乱れることなく酒を飲み干していく。
テーブルには何本もの空き瓶が並び、売上額はぐんぐんと跳ね上がっていった。
今夜の蓮のテーブルは、間違いなく店内で最も輝いていた。
「蓮くん、もっと飲む? もう一本開けちゃう?」
少し酔いが回り、顔を赤くしながらも必死に自分を押し上げようとしてくれる彼女。
その健気で、けれどどこか痛々しいほどの執着を前にして、蓮の緑の瞳に一瞬だけ静かな陰りが落ちた。
彼女が自分に向けているのは、偽りの「王子様」に対する盲目的な信仰だ。
自分がプレゼントを贈り、甘い言葉を注げば注ぐほど、彼女は自分という沼から抜け出せなくなっていく。
(……勝ちたい。けれど)
紫苑を倒し、No.1の座を奪いたいという欲望は本物だ。
しかし、自分を信じ切り、必死になって金を積み上げる彼女の姿を見つめていると、胸の奥で冷めた感情が疼く。
蓮は彼女の手をそっと握りしめ、耳元で低く、優しく囁いた。
「……ありがとう。でも、もう十分ですよ」
「え……? でも、紫苑さんのテーブル、さっきすごいボトルが入ってたよ? 私、負けたくない……!」
「私が欲しいのは、ナンバーワンの座だけではありません。あなたに無理をさせて、つらい思いをさせることが一番嫌なんです。今夜、あなたが私にくれたこの時間は、どんなラスソンよりも価値があります」
甘く、誠実さを装った拒絶。
これ以上彼女に無理をさせないための優しさのフリをした、完璧な手綱引き。
彼女は感極まったように蓮の胸に顔をうずめた。
「蓮くん……本当に優しいんだから……っ」
「優しくなんてありませんよ。……ただ、あなたのことが大切なんです」
彼女を抱き締め返しながら、蓮はフロアの奥へと視線を向けた。
そこでは今夜も、紫苑が冷淡な笑みを浮かべながら、高額なシャンパンの泡を見つめている。
今夜も届かないかもしれない。
けれど、こうして誰かの欲望と依存をコントロールし、夜の街で踊らせ続けることこそが、自分の選んだ戦い方だった。
ふと、喧騒とアルコールの匂いの中で、蓮の脳裏に静かな光景が浮かぶ。
『あ、あの……こんなに高価なもの、いただけません』
もしも、あの白銀の髪の少女――リリィに何かを贈ったなら、彼女はどんな顔をするだろうか。
こんな風に歓喜し、代わりに金を落とそうとするだろうか。
……きっと違う。ただ戸惑い、申し訳なさそうに、けれど心から大切にしてくれるはずだ。
(……あの場所へ、行きたいですね)
今夜も歌舞伎町の「王子様」として完璧な夜を演じ切りながら、蓮は胸の深層で、静かに昼の光を欲していた。