恋を売る夜に、ただひとつの愛を

午前三時を過ぎ、歌舞伎町の狂騒がようやく一段落した頃。
営業終了の鐘とともに、店内で今夜トップの額を叩き出した太客の姫と二人、連れ立って夜の街へと繰り出す。
ホストクラブにおける「アフター」――それは営業終了後、店外で特定の客と過ごすプライベートのような、けれど依然として完璧な営業の延長線上にある時間だ。

「蓮くん、今日もお疲れ様。勝たせてあげられなくてごめんね……」

彼女は少し酔いの回った足取りで、蓮の腕に甘えるように重みを預けてくる。

「そんなこと言わないでください。あなたが今夜、私にどれだけの情熱を注いでくれたか……私はちゃんと分かっていますよ。本当にありがとうございます」

蓮は彼女の肩をそっと抱き寄せるようにしながら、柔らかく囁いた。
向かったのは、歌舞伎町の喧騒から少し離れた雑居ビルの奥にある、会員制の高級和食店。
夜職の人間やその客たちが利用する、プライバシーが固く守られた隠れ家的な店だ。
暖簾をくぐり、静かな個室の座敷へと案内される。
店内を包む出汁の上品な香りと落ち着いた照明に、姫もふっと肩の力を抜いたようだった。

「蓮くん、お腹すいたでしょ? 好きなもの頼んでね」
「ありがとうございます。では、今夜はあなたの好きなものを一緒にいただきましょうか」

蓮は手際よくメニューを開き、彼女の好みを伺いながら、胃に優しい旬の刺身や小鉢、温かい京出汁の鍋を注文した。
店での絢爛豪華なシャンパンとは違い、しっとりと味わう上質な料理。
蓮は自分のグラスには静かにソフトドリンクやお茶を注ぎ、彼女のグラスが空けばすかさず温かいお茶や薄めのお酒を差し出す。
店での過激なコールやハイペースな飲酒から解放し、ここでは徹底して「心地よい安らぎ」を提供するのだ。

「……ねえ、蓮くん。私、蓮くんに出会えて本当に良かった」

取り分けられたお料理を口に運びながら、彼女が熱っぽい視線を注いでくる。

「私もですよ。あなたとこうして静かに話せる時間が、一日の中で一番の癒やしです」

蓮は彼女の手にそっと自分の手を重ね、親指で優しく甲を撫でた。
どこまでも甘く、恋人のような距離感。彼女の胸の高鳴りが伝わってくる。
もちろん、どれだけ甘い雰囲気になろうとも、一線を越えるような「枕」は絶対にしない。
それが彼――「神城 蓮」の絶対的なポリシーであり、客の焦燥感と執着を最大化させるための鉄則だった。
理性を保ち、徹底して「手に入りそうで手に入らない、極上の王子様」であり続けること。

「ねえ……このあと、蓮くんの家に行っちゃダメ……?」

上目遣いで、少し甘えるように揺さぶりをかけてくる姫。
蓮は困ったように微笑み、彼女の頬にそっと指先を滑らせた。

「……行きたいと思ってくれるのは、すごく嬉しいです。私も、あなたをこのまま返したくない」

耳元に顔を寄せ、低い声で情熱を滲ませる。
けれど、すぐに優しく身体を離し、愛おしそうに彼女の目を見つめた。

「でも……私はあなたを、ただの遊びや気まぐれで扱いたくありません。あなたとの大切な時間は、ちゃんとした形で重ねていきたいんです。……だから、今夜は大切に家までお送りさせてくださいね?」
「……もう、蓮くんってば本当にズルい。真面目なんだから……」
「ズルくてすみません。でも、あなたのことが愛おしくて大切だからこそ、ですよ」

完璧な断り文句。
プライドを傷つけることなく、「自分は特別に大切にされている」という強烈な錯覚を相手に植え付ける。
彼女は悔しそうにしながらも、どこか誇らしげで満足そうな笑みを浮かべた。
食事を終え、タクシーを拾って彼女を自宅の前まで送り届ける。

「今日は本当に楽しかったです。気をつけて休んでくださいね」
「うん……蓮くん、またすぐ店に行くね。絶対、次は一番にするからね!」
「ええ、待っていますよ。おやすみなさい」

車窓越しに小さく手を振り、タクシーが夜の闇に消えていくのを見送る。
一人残された路上で、蓮はすっと背筋を伸ばし、着けていたネクタイの結び目をほんの少しだけ緩めた。
東の空がゆっくりと薄紫色に染まり始めている。 心身ともに削り倒すような、長くて濃厚な営業の時間がようやく終わった。

「……ふぅ」

静かな吐息が、朝の冷たい空気に白く溶けていく。
完璧な営業をやり遂げた達成感と、同時に訪れる圧倒的な虚無感。
タクシーを拾って自室へ戻る道中、彼は車窓に映る自分の疲れた顔を見つめていた。

(……早く、昼になればいい)

脳裏に浮かぶのは、あの静かで温かな喫茶店の空気と、自分の本当の名前――「レオ」と呼んでくれた、白銀の髪の少女の声だった。
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