氷の騎士に、白百合の恋を

寒風が吹き抜ける広大な演習場。
アルヴィーノは中央に静かに立ち、少し離れた位置に立つセレフィアへ冷ややかな紫の瞳を向けた。

「私に向けて、全魔力を注ぎ込んだ術を放ってみなさい」

アルヴィーノの提示に、セレフィアは一瞬だけ紫の瞳を微かに揺らした。
ここ数日、叩き込まれてきたのは魔力の練り方、体内の回路の繋ぎ方、そして放出の基本。アルヴィーノの指導は容赦がなかったが、セレフィアの身体はそれを驚くべき速度で吸収していた。
今回の指示は、彼女が一体どの属性に最も深い適性を持つのかを判別するための試験であった。

「……閣下。手加減なしで解き放てば、身が危険に晒されます」

感情の起伏を抑えた声で懸念を口にするセレフィアに対し、アルヴィーノは薄く唇を吊り上げるだけであった。

「私を誰だと思っているのです。心配など不要です。全力で来なさい」

その言葉に、セレフィアの迷いは消え去った。
過酷な修練を通じて叩き込まれた実体。
この男の底知れぬ強さと絶大な魔力を、誰よりも理解していたからだ。
アルヴィーノ・レイストールという存在が、己の全力程度で揺らぐはずがない。
セレフィアはすっと呼吸を整えると、両脚を深く踏み込んだ。
教え込まれた通り、体内の魔力回路を一度に繋ぎ合わせる。
全身の血が激しく巡るような感覚とともに、胸の奥から莫大な魔力が練り上げられていく。

(私の内側にある力――)

掌をアルヴィーノへと向け、練り上げた魔力を一気に解放する。
空気が軋み、激しい魔力の奔流が演習場全体を揺らし始めたのだった。
アルヴィーノに命じられるがまま、セレフィアは深く息を吸い込み、体内の魔力回路を一気に繋ぎ合わせた。
一瞬にして、周囲の空気が冴え冴えとした冷気へと変貌する。
セレフィアの足元を中心に、銀白い氷の粒子がキラキラと空中を舞い始めた。
パキパキ、と甲高い音を立てて足元の土が白く凍りつき、その冷気は急速に広がっていく。
感情の起伏の少ない彼女の秘められた資質が、周囲の熱を問答無用で奪い去っていく証左であった。

「……ハッ!」

短く吐き出された呼気とともに、練り上げられた冷気が一気に解き放たれる。
地面を這うようにして解き放たれた鋭い氷の奔流が、一筋の閃光となってアルヴィーノへと牙を剥いた。
直撃すれば肉体を容易く穿ち、凍てつかせるほどの鋭利な一撃。
しかし、迫り来る圧倒的な冷気を受け止めるアルヴィーノの面持ちには、焦りも驚きすらも存在しなかった。
彼は差し迫る氷の刃を冷ややかな紫の瞳で見据えると、ただ静かに右手をかざした。
その指先から、小さく揺らめく小さな火花が一つ、ぽつりと放たれる。
彼が扱える中で最も弱く、最低限の火力を込めただけの術式。
だが、完璧な魔力制御と圧倒的な密度の差によって解き放たれたその極小の炎は、セレフィアが解き放った氷の奔流に触れた瞬間、爆発的な熱量を弾けさせた。
ジュッ、と激しい水蒸気が上がり、広大な冷気が一瞬にして溶かされ、蒸発していく。
演習場に白い霧が立ち込める中、アルヴィーノは散り散りになる冷気の残滓を見つめ、納得したように深く、低く呟いた。

「なるほど……『氷』ですか」

自らの全力の術を一瞬で無効化されたというのに、セレフィアは恐怖も落胆も見せず、ただ静かに息を整えながらアルヴィーノを見つめた。

「私の適性は、氷属性ということでしょうか、閣下」
「ええ。これほどまでに澄んだ冷気を扱えるのなら、間違いありません。……ご苦労様でした、セレフィア。自身の資質を理解したのなら、明日からは氷魔法に特化した術式の組み立てを始めます」

アルヴィーノの言葉に、セレフィアは軍服の胸元を正しながら、静かに「承知いたしました」と頭を下げたのだった。
それからの日々、セレフィアの成長は目覚ましいものがあった。
日常の装いにおいても、ルミが用意する甘く可愛らしいドレスよりも、動きやすく装飾を削ぎ落とした軍装を好んで身に纏うようになった。
晒で胸元を平らに押し潰し、隙なくボタンを締め上げたその姿は、小柄ながらも凛とした気品と威厳を漂わせている。
その立ち居振る舞いは、日に日にアルヴィーノへと似通っていった。
無駄のないしなやかな所作、感情を交えずに物事の核心だけを突く淡々とした話し方、そして状況を冷静に俯瞰する冷徹な視線。
父であり師でもある男の背中を追いかけるうちに、彼女の佇まいにはレイストール公邸の従者、あるいは軍人としての鋭利な冴えが刻み込まれていったのである。
実戦や演習の場でも、その才能は遺憾なく発揮された。
アルヴィーノに供として戦場へ連れて行かれれば、周囲を凍てつかせる氷の術式と無駄のない身体捌きで鮮やかに敵を制圧した。
また、公邸の演習場で大柄な兵士や熟練の騎士たちを相手に模擬戦を行えば、自らの倍以上の体躯を持つ者たちを最速かつ最適の手段で叩き伏せ、周囲を呆然とさせることも珍しくなかった。
感情の起伏を見せず、淡々と求められる以上の成果を出し続けるセレフィア。
しかし、そんな彼女が私室へ戻ってくると、いつも決まって出迎えてくれる存在があった。

「おかえり、セラ。……今日も大丈夫? 無理はしていない?」

水色の髪を揺らしたルミが、心配そうに眉をひそめて駆け寄ってくる。
どれほど凛々しい軍属の佇まいを深めようと、ルミにとってのセレフィアは、あの日泥と血の中で拾われた大切で愛おしい娘のままであった。
ルミは優しく手を伸ばし、セレフィアの軍服の小さな乱れを整えたり、ほころんだ髪をなでたりしながら、常々そうやって声をかけ続けた。

「……はい、母上。問題ありません。命じられた役目を果たしただけです」

セレフィアの返答はいつも変わらず無機質で、淡々としたものだった。
けれど、ルミの温かな手が頬や頭に触れるたび、その冷ややかな紫の瞳にはかすかな揺らぎが生まれ、素直にその温もりを受け入れていた。
冷徹な軍師の影として刃を研ぎ澄ませる一方で、家庭の中で注がれ続ける無償の愛情。
二つの相反する環境の狭間で、セレフィアは静かに、けれど確かに己の居場所を築き上げていくのだった。
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