氷の騎士に、白百合の恋を
柔らかな光が差し込むアルヴィーノの執務室の前に、セレフィアは立っていた。
重厚な扉をノックして足を踏み入れると、机に向かって書類に目を通していたアルヴィーノが静かに顔を上げる。
「来たか、セレフィア」
「何の用でしょうか、父上」
普段は感情の起伏を見せないセレフィアだったが、その整った顔立ちには隠しきれない不満の色が滲んでいた。
理由は明白だ。
今日はこのあと、城下町へリリアーヌと買い物の約束をしていたのである。
(早く終わらせなければ、リリアを待たせてしまいます……)
そんな娘の微かな苛立ちをあっさりと読み取ったアルヴィーノは、追求することもなく「ならばさっさと済ませましょう」と淡々に告げた。
彼は立ち上がると、壁に飾られていた一振りの刀に手を伸ばす。
漆黒の鞘に収められたそれを取り外し、迷いのない動作でセレフィアへと差し出した。
「これを受け取りなさい」
「これは……?」
「お前なら扱えるでしょう」
セレフィアは受け取った鞘の触感に、わずかな違和感を覚えた。
ずっしりとした重みがありながらも、握りの位置や全体のバランスが驚くほど自分の手に馴染む。
柄に手をかけ、滑らかな動作で静かに鞘から引き抜く。
「……ッ」
露わになった刃を見て、セレフィアの紫の瞳が微かに揺れた。
それは、一般的な軍装で用いられるものよりも一回り小柄で、驚くほど細身に鍛え上げられた軍刀だった。
羽のように軽量でありながら、刃の表面には氷の結晶のような美しい紋様が浮き出ている。
セレフィアの小柄な体躯と、無駄のない速撃の剣術に完璧に合わせた特注品であることは一目で分かった。
「魔導金属を練り込み、お前の氷属性の魔力をより伝達しやすくしてあります。……無駄な重さを削ぎ落とした、最適の形です」
冷徹な軍師としての計算と、父としての密かな配慮が詰まった一振り。
セレフィアは刀身を静かに鞘へと滑り込ませると、澄んだ瞳でアルヴィーノを見つめた。
「……感謝いたします、父上。非常に扱いやすいです」
「礼には及びません。お前がそれを手に何を守るかは、お前自身が決めることです」
アルヴィーノの意図を察したセレフィアの口元に、フッと静かな笑みが浮かんだ。
「ええ。言うまでもありません」
刀を腰に帯び、セレフィアは立ち上がる。
「それでは失礼します。リリアが待っていますので」
「行ってきなさい」
執務室をあとにしたセレフィアは、新しく授かった軍刀の感触を確かめながら、リリアーヌの待つ庭園へと足早に向かうのだった。
前日、自室で読書をしていたセレフィアに、リリアーヌは恥ずかしそうに切り出していた。
「あのね、セラ。明日のお買い物……お城の門の前で待ち合わせ、というのをしてみたいのです」
「待ち合わせ、ですか?」
「はい……! ルミお兄ちゃんもアルヴィーノ様と城下町で待ち合わせしていたって言っていましたし、レオ兄様もリリィさんとそうやってデートしているって聞きまして……」
「危険です。護衛の観点から見ても、無意味に屋外で待機させる理由がありません」
素気なく却下されたリリアーヌは、キュッと唇を噛み締め、捨てられた子犬のように肩を落とした。
「そんな……私だって、普通のお恋人同士みたいなドキドキ感を味わってみたかったのに……」
心底しゅんとしてしまった可憐な姿に、セレフィアの胸が僅かに痛んだ。彼女は小さく溜息をつくと、折れて条件を出した。
「……城の敷地内、門のすぐ内側であれば許可します。私が一秒でも早く向かいますから」
「本当ですか!? ありがとうございます、セラ!」
一転して花が咲いたような笑顔を見せたリリアーヌ。
その姿を思い出しながら、セレフィアはアルヴィーノから授かったばかりの軽量な軍刀を腰に帯刀し、約束の場所へと急ぎ足で向かっていた。
(リリアを待たせるわけにはいきません……)
しかし、城門前に辿りついたセレフィアの視界に飛び込んできたのは、思い描いていた微笑ましい光景ではなかった。
本来いるはずの門番は「あーあ、今日も退屈だなぁ」などと欠伸をしながら、持ち場を離れてどこかへ姿を消している。
そして無防備になった門の前で、数人の見知らぬ男たちがリリアーヌを囲み込んでいた。
「ねえお嬢さん、そんな綺麗なドレス着て一人で何してんの?」
「俺たちと遊びに行こうよ。美味しいお菓子奢ってあげるからさ」
「あ、あの……! 私は待ち合わせをしていて……困ります……っ!」
気弱に断ろうとするリリアーヌの肩を、ひとりの男が強引に掴もうと手を伸ばす。パステルカラーのドレスを揺らし、リリアーヌが恐怖で固まったその瞬間――。
激しい冷気が、城門周辺の空気を一瞬で凍りつかせた。
「……その汚い手を、私の大切な人に触れようとしないでいただけますか」
低く、絶対零度の殺気を孕んだ声が響く。
男たちが振り返る間もなく、新しく授かった細身の軍刀が鞘から一閃された。
速撃の刃は男たちの袖口だけを完璧に切り裂き、そのまま足元へ氷の棘を突き立てて身動きを封じる。
「ひっ……! な、なんだこのガキ……!?」
「失せなさい。……次はありませんよ」
澄んだ紫の瞳に静かな狂気と独占欲を宿したセレフィアが、冷たく見下ろす。男たちは恐怖のあまり悲鳴を上げ、這いずるようにして逃げ去っていった。
「セラ……っ!」
安心感から涙目になったリリアーヌが駆け寄ってくる。
セレフィアは刃を収めると、腕の中に飛び込んできたリリアーヌをぎゅっと抱きしめた。
「怪我はありませんか、リリア。……やはり、待ち合わせなどさせるべきではありませんでしたね」
「ううん……助けてくれてありがとう、セラ。やっぱりかっこいいです……」
安堵から胸に顔を埋めるリリアーヌに、セレフィアは耳元で低く甘く囁いた。
「心配させられたお仕置きです。今日の買い物では、片時も私の手を離さないでいただきますよ?」
「〜〜〜っ! は、はい……!」
瞬時に顔を真っ赤にするリリアーヌの手を優しく握り直し、二人は甘い空気のまま城下町へと歩き出すのだった。
なお、逃げ出していた門番が後でアルヴィーノとレオから凄惨な説教を受けることになるのを、二人はまだ知らない。
重厚な扉をノックして足を踏み入れると、机に向かって書類に目を通していたアルヴィーノが静かに顔を上げる。
「来たか、セレフィア」
「何の用でしょうか、父上」
普段は感情の起伏を見せないセレフィアだったが、その整った顔立ちには隠しきれない不満の色が滲んでいた。
理由は明白だ。
今日はこのあと、城下町へリリアーヌと買い物の約束をしていたのである。
(早く終わらせなければ、リリアを待たせてしまいます……)
そんな娘の微かな苛立ちをあっさりと読み取ったアルヴィーノは、追求することもなく「ならばさっさと済ませましょう」と淡々に告げた。
彼は立ち上がると、壁に飾られていた一振りの刀に手を伸ばす。
漆黒の鞘に収められたそれを取り外し、迷いのない動作でセレフィアへと差し出した。
「これを受け取りなさい」
「これは……?」
「お前なら扱えるでしょう」
セレフィアは受け取った鞘の触感に、わずかな違和感を覚えた。
ずっしりとした重みがありながらも、握りの位置や全体のバランスが驚くほど自分の手に馴染む。
柄に手をかけ、滑らかな動作で静かに鞘から引き抜く。
「……ッ」
露わになった刃を見て、セレフィアの紫の瞳が微かに揺れた。
それは、一般的な軍装で用いられるものよりも一回り小柄で、驚くほど細身に鍛え上げられた軍刀だった。
羽のように軽量でありながら、刃の表面には氷の結晶のような美しい紋様が浮き出ている。
セレフィアの小柄な体躯と、無駄のない速撃の剣術に完璧に合わせた特注品であることは一目で分かった。
「魔導金属を練り込み、お前の氷属性の魔力をより伝達しやすくしてあります。……無駄な重さを削ぎ落とした、最適の形です」
冷徹な軍師としての計算と、父としての密かな配慮が詰まった一振り。
セレフィアは刀身を静かに鞘へと滑り込ませると、澄んだ瞳でアルヴィーノを見つめた。
「……感謝いたします、父上。非常に扱いやすいです」
「礼には及びません。お前がそれを手に何を守るかは、お前自身が決めることです」
アルヴィーノの意図を察したセレフィアの口元に、フッと静かな笑みが浮かんだ。
「ええ。言うまでもありません」
刀を腰に帯び、セレフィアは立ち上がる。
「それでは失礼します。リリアが待っていますので」
「行ってきなさい」
執務室をあとにしたセレフィアは、新しく授かった軍刀の感触を確かめながら、リリアーヌの待つ庭園へと足早に向かうのだった。
前日、自室で読書をしていたセレフィアに、リリアーヌは恥ずかしそうに切り出していた。
「あのね、セラ。明日のお買い物……お城の門の前で待ち合わせ、というのをしてみたいのです」
「待ち合わせ、ですか?」
「はい……! ルミお兄ちゃんもアルヴィーノ様と城下町で待ち合わせしていたって言っていましたし、レオ兄様もリリィさんとそうやってデートしているって聞きまして……」
「危険です。護衛の観点から見ても、無意味に屋外で待機させる理由がありません」
素気なく却下されたリリアーヌは、キュッと唇を噛み締め、捨てられた子犬のように肩を落とした。
「そんな……私だって、普通のお恋人同士みたいなドキドキ感を味わってみたかったのに……」
心底しゅんとしてしまった可憐な姿に、セレフィアの胸が僅かに痛んだ。彼女は小さく溜息をつくと、折れて条件を出した。
「……城の敷地内、門のすぐ内側であれば許可します。私が一秒でも早く向かいますから」
「本当ですか!? ありがとうございます、セラ!」
一転して花が咲いたような笑顔を見せたリリアーヌ。
その姿を思い出しながら、セレフィアはアルヴィーノから授かったばかりの軽量な軍刀を腰に帯刀し、約束の場所へと急ぎ足で向かっていた。
(リリアを待たせるわけにはいきません……)
しかし、城門前に辿りついたセレフィアの視界に飛び込んできたのは、思い描いていた微笑ましい光景ではなかった。
本来いるはずの門番は「あーあ、今日も退屈だなぁ」などと欠伸をしながら、持ち場を離れてどこかへ姿を消している。
そして無防備になった門の前で、数人の見知らぬ男たちがリリアーヌを囲み込んでいた。
「ねえお嬢さん、そんな綺麗なドレス着て一人で何してんの?」
「俺たちと遊びに行こうよ。美味しいお菓子奢ってあげるからさ」
「あ、あの……! 私は待ち合わせをしていて……困ります……っ!」
気弱に断ろうとするリリアーヌの肩を、ひとりの男が強引に掴もうと手を伸ばす。パステルカラーのドレスを揺らし、リリアーヌが恐怖で固まったその瞬間――。
激しい冷気が、城門周辺の空気を一瞬で凍りつかせた。
「……その汚い手を、私の大切な人に触れようとしないでいただけますか」
低く、絶対零度の殺気を孕んだ声が響く。
男たちが振り返る間もなく、新しく授かった細身の軍刀が鞘から一閃された。
速撃の刃は男たちの袖口だけを完璧に切り裂き、そのまま足元へ氷の棘を突き立てて身動きを封じる。
「ひっ……! な、なんだこのガキ……!?」
「失せなさい。……次はありませんよ」
澄んだ紫の瞳に静かな狂気と独占欲を宿したセレフィアが、冷たく見下ろす。男たちは恐怖のあまり悲鳴を上げ、這いずるようにして逃げ去っていった。
「セラ……っ!」
安心感から涙目になったリリアーヌが駆け寄ってくる。
セレフィアは刃を収めると、腕の中に飛び込んできたリリアーヌをぎゅっと抱きしめた。
「怪我はありませんか、リリア。……やはり、待ち合わせなどさせるべきではありませんでしたね」
「ううん……助けてくれてありがとう、セラ。やっぱりかっこいいです……」
安堵から胸に顔を埋めるリリアーヌに、セレフィアは耳元で低く甘く囁いた。
「心配させられたお仕置きです。今日の買い物では、片時も私の手を離さないでいただきますよ?」
「〜〜〜っ! は、はい……!」
瞬時に顔を真っ赤にするリリアーヌの手を優しく握り直し、二人は甘い空気のまま城下町へと歩き出すのだった。
なお、逃げ出していた門番が後でアルヴィーノとレオから凄惨な説教を受けることになるのを、二人はまだ知らない。