氷の騎士に、白百合の恋を
その日を境に、二人の過ごす時間に小さな、けれど劇的な変化が訪れていた。
セレフィアがリリアーヌのそばに寄り添う時間が、明らかに増えたのだ。
日課である剣術の素振りや魔術のイメージトレーニングといった鍛錬すらも、セレフィアはリリアーヌのいる庭園の木陰で行うようになった。
一ミリの狂いもなく繰り出される美しい刀筋や、静かに冷気を纏う軍装の佇まいは、まるで一筆の絵画のようだった。
また、アルヴィーノから課された難解な勉学に励む際も、リリアーヌが読書や刺繍をするすぐ隣のテーブルに腰を下ろす。
当のリリアーヌといえば、目線の先にいつも大好きな少女がいる状況に、毎日胸をバクバクと高鳴らせていた。
息をのむほど凛々しい鍛錬姿にうっとりとしては胸をときめかせ、真剣な横顔で分厚い専門書を捲る指先に視線を奪われる。
セレフィアがページを一枚繰り出すごとに、リリアーヌの心臓はキュッと甘い悲鳴を上げていた。
そんな風に、すぐ隣で翠色の瞳をキラキラと輝かせ、熱のこもった視線をじーーーっと向け続けていれば、当然セレフィアも気づく。
「……リリア様」
ふとペンを置いたセレフィアが、澄んだ紫の瞳をまっすぐこちらへ向けた。
「私の顔に、何か付いておりますでしょうか」
至近距離から静かに見つめ返され、その声の響きがあまりにも優しく耳に届くものだから、リリアーヌの思考は一瞬で跳び弾けた。
「ふぇっ……!? あ、あの、その……っ!」
みるみるうちに顔が熟したリンゴのように真っ赤に染まり、リリアーヌは「なんでもありませんっ!」と叫ぶようにして勢いよく顔をそらした。
急に明後日の方向を向いて胸を押さえるリリアーヌの姿に、セレフィアは首をかすかに傾ける。
(顔についているわけではない……ならば、なぜこれほど赤くなられるのだろう)
まだ己の感情の定義を模索中のセレフィアだったが、自分を見つめるリリアーヌの表情を思い返すたび、自分の胸の奥も、ほんのわずかに温かく波打つのを感じていた。
とある日、リリアーヌは「ただ隣で見ているだけではなく、自分も一緒に勉学に励めば、もっとセレフィアと心を通わせられるのでは……!」と素晴らしい閃きを得た。
さっそく簡単な教材を開き、セレフィアの隣で机に向かい始めたリリアーヌ。
しかしいざ始めてみると、事態は思わぬ方向へ向かってしまう。
王族として学んでいるとはいえ、まだ幼いリリアーヌにとって、複雑な四則計算や入り組んだ他国の歴史の年代暗記はあまりにも過酷だった。
「ええと……この税率をこの領地に当てはめて……あれっ? 登場人物の王様が、さっきの歴史の人物とごっちゃになって……ふぇっ!?」
羊皮紙に書かれた文字や数字がぐるぐると目を回り始め、リリアーヌの小さな頭はあっという間に限界を迎えた。
ぽすん、と頭から湯気が出そうなほど真っ赤になり、目が点になったリリアーヌは、そのまま「うぅ……」と机の上に突っ伏してオーバーヒートを起こしてしまう。
そんな隣の可愛らしい大惨事に気づいたセレフィアは、持っていたペンを静かに置いた。
突っ伏してしゅんとしているリリアーヌの真横に、そっと自分の椅子を寄せる。冷んやりとした心地よい気配と、セレフィア特有の静けさがリリアーヌを包み込んだ。
「リリア様。……少し難しかったでしょうか」
「あぅ……リリア、おバカさんなのです……。セラの足元にも及ばないのです……」
情けなさで涙目になりながら顔を半分だけ上げるリリアーヌ。
すると、セレフィアはごく自然に手を伸ばし、優しくリリアーヌの金髪を撫でた。
「そんなことはありません。この歴史の暗記も、計算も、手順を整理すれば何も難しくありませんよ」
そう言うと、セレフィアは新しい羊皮紙を一回り広げ、リリアーヌの小さな手に優しくペンを持たせた。
そして、自分の手をそっとその上に重ねる。
「たとえば、こちらの歴史の年代ですが……丸暗記しようとせず、物語として流れで覚えてみてください。この王様が『お腹が空いたから隣国にお菓子をもらいに行った』と捉えれば、年代の順番も覚えやすいでしょう?」
「お、お菓子……っ!?」
「ええ。そしてこちらの難しい計算も、ここをこう考えて一度簡略化すれば……ほら、ずっと楽になります」
セレフィアの解説は驚くほど分かりやすく、冷徹で完璧に見える彼女の教え方は、リリアーヌの歩幅に合わせてとても丁寧だった。
手元から伝わるセレフィアの手のぬくもりと、至近距離から聞こえる澄んだ声。
リリアーヌは今度とは違う意味で顔を真っ赤にしながらも、「本当だ……! わかりやすいです、セラ……っ!」と瞳をキラキラと輝かせるのだった。
それからの二人の毎日は、これまで以上に密やかで、甘い緊張感に満ちていた。
勉学を教えてもらった日を境に、セレフィアの行動はさらに一歩踏み込んだものになっていく。
庭園での散歩中、段差があれば「足元をお気をつけください」とごく自然に手を差し出し、そのまま指を絡めるようにして繋ぎ続ける。
リリアーヌが少し寒そうに肩をすくめれば、迷いなく己の軍装の上着を脱いでその小さな肩へと羽織らせ、冷気から守るようにそっと寄り添う。
すべては「守護者として」「手助けとして」行われている無自覚な動作。
けれど、その指先の温度や包み込むような優しさは、どれもリリアーヌの胸を激しく揺さぶるには十分すぎるものだった。
一方のリリアーヌも、ただドキドキと翻弄されているだけではいなかった。
(リリアだって……ちゃんとセラに『好き』って思ってもらいたいんだもん……っ!)
赤くなる顔を必死に抑えながら、リリアーヌは健気にアピールを繰り返す。
つないだ手にぎゅっと力を込めてみたり、「セラの着ている上着、すごくいい匂いがします」と照れながら見上げてみたり。
勉学の最中には、上手く問題が解けるたびに「セラ! できました!」と花が咲くような満面の笑みで、褒めてほしそうに頭をすり寄せてみせる。
そんなリリアーヌの直球で健気なアピールを受けるたびセレフィアの胸の奥では、聞いたことのない鐘が激しく鳴り響いていた。
ぎゅっと握り返された小さな手の柔らかさ。
自分を見上げる、新緑のように澄んだ翠色の瞳。
「セラ」と愛おしそうに己の名を呼ぶ、甘く可憐な声。
それらに触れるたび、セレフィアの胸の奥で、言いようのない熱い感情が急速に昂ぶっていく。
いつも冷静沈着で、氷のように冴え渡っていたはずの思考が、彼女の笑顔ひとつで心地よく乱される。
この湧き上がる強い感情の波は一体何なのか。胸が締め付けられるように苦しく、それでいて愛おしくてたまらないこの衝動は何なのか。
(……これが、父上の言っていた『恋』なのだろうか)
答え合わせをするまで、あとほんの少し。
赤くなって下を向くリリアーヌの髪にそっと触れながら、セレフィアは己の中で静かに、けれど確実に熱を帯びていく感情を抱きしめるのだった。
セレフィアがリリアーヌのそばに寄り添う時間が、明らかに増えたのだ。
日課である剣術の素振りや魔術のイメージトレーニングといった鍛錬すらも、セレフィアはリリアーヌのいる庭園の木陰で行うようになった。
一ミリの狂いもなく繰り出される美しい刀筋や、静かに冷気を纏う軍装の佇まいは、まるで一筆の絵画のようだった。
また、アルヴィーノから課された難解な勉学に励む際も、リリアーヌが読書や刺繍をするすぐ隣のテーブルに腰を下ろす。
当のリリアーヌといえば、目線の先にいつも大好きな少女がいる状況に、毎日胸をバクバクと高鳴らせていた。
息をのむほど凛々しい鍛錬姿にうっとりとしては胸をときめかせ、真剣な横顔で分厚い専門書を捲る指先に視線を奪われる。
セレフィアがページを一枚繰り出すごとに、リリアーヌの心臓はキュッと甘い悲鳴を上げていた。
そんな風に、すぐ隣で翠色の瞳をキラキラと輝かせ、熱のこもった視線をじーーーっと向け続けていれば、当然セレフィアも気づく。
「……リリア様」
ふとペンを置いたセレフィアが、澄んだ紫の瞳をまっすぐこちらへ向けた。
「私の顔に、何か付いておりますでしょうか」
至近距離から静かに見つめ返され、その声の響きがあまりにも優しく耳に届くものだから、リリアーヌの思考は一瞬で跳び弾けた。
「ふぇっ……!? あ、あの、その……っ!」
みるみるうちに顔が熟したリンゴのように真っ赤に染まり、リリアーヌは「なんでもありませんっ!」と叫ぶようにして勢いよく顔をそらした。
急に明後日の方向を向いて胸を押さえるリリアーヌの姿に、セレフィアは首をかすかに傾ける。
(顔についているわけではない……ならば、なぜこれほど赤くなられるのだろう)
まだ己の感情の定義を模索中のセレフィアだったが、自分を見つめるリリアーヌの表情を思い返すたび、自分の胸の奥も、ほんのわずかに温かく波打つのを感じていた。
とある日、リリアーヌは「ただ隣で見ているだけではなく、自分も一緒に勉学に励めば、もっとセレフィアと心を通わせられるのでは……!」と素晴らしい閃きを得た。
さっそく簡単な教材を開き、セレフィアの隣で机に向かい始めたリリアーヌ。
しかしいざ始めてみると、事態は思わぬ方向へ向かってしまう。
王族として学んでいるとはいえ、まだ幼いリリアーヌにとって、複雑な四則計算や入り組んだ他国の歴史の年代暗記はあまりにも過酷だった。
「ええと……この税率をこの領地に当てはめて……あれっ? 登場人物の王様が、さっきの歴史の人物とごっちゃになって……ふぇっ!?」
羊皮紙に書かれた文字や数字がぐるぐると目を回り始め、リリアーヌの小さな頭はあっという間に限界を迎えた。
ぽすん、と頭から湯気が出そうなほど真っ赤になり、目が点になったリリアーヌは、そのまま「うぅ……」と机の上に突っ伏してオーバーヒートを起こしてしまう。
そんな隣の可愛らしい大惨事に気づいたセレフィアは、持っていたペンを静かに置いた。
突っ伏してしゅんとしているリリアーヌの真横に、そっと自分の椅子を寄せる。冷んやりとした心地よい気配と、セレフィア特有の静けさがリリアーヌを包み込んだ。
「リリア様。……少し難しかったでしょうか」
「あぅ……リリア、おバカさんなのです……。セラの足元にも及ばないのです……」
情けなさで涙目になりながら顔を半分だけ上げるリリアーヌ。
すると、セレフィアはごく自然に手を伸ばし、優しくリリアーヌの金髪を撫でた。
「そんなことはありません。この歴史の暗記も、計算も、手順を整理すれば何も難しくありませんよ」
そう言うと、セレフィアは新しい羊皮紙を一回り広げ、リリアーヌの小さな手に優しくペンを持たせた。
そして、自分の手をそっとその上に重ねる。
「たとえば、こちらの歴史の年代ですが……丸暗記しようとせず、物語として流れで覚えてみてください。この王様が『お腹が空いたから隣国にお菓子をもらいに行った』と捉えれば、年代の順番も覚えやすいでしょう?」
「お、お菓子……っ!?」
「ええ。そしてこちらの難しい計算も、ここをこう考えて一度簡略化すれば……ほら、ずっと楽になります」
セレフィアの解説は驚くほど分かりやすく、冷徹で完璧に見える彼女の教え方は、リリアーヌの歩幅に合わせてとても丁寧だった。
手元から伝わるセレフィアの手のぬくもりと、至近距離から聞こえる澄んだ声。
リリアーヌは今度とは違う意味で顔を真っ赤にしながらも、「本当だ……! わかりやすいです、セラ……っ!」と瞳をキラキラと輝かせるのだった。
それからの二人の毎日は、これまで以上に密やかで、甘い緊張感に満ちていた。
勉学を教えてもらった日を境に、セレフィアの行動はさらに一歩踏み込んだものになっていく。
庭園での散歩中、段差があれば「足元をお気をつけください」とごく自然に手を差し出し、そのまま指を絡めるようにして繋ぎ続ける。
リリアーヌが少し寒そうに肩をすくめれば、迷いなく己の軍装の上着を脱いでその小さな肩へと羽織らせ、冷気から守るようにそっと寄り添う。
すべては「守護者として」「手助けとして」行われている無自覚な動作。
けれど、その指先の温度や包み込むような優しさは、どれもリリアーヌの胸を激しく揺さぶるには十分すぎるものだった。
一方のリリアーヌも、ただドキドキと翻弄されているだけではいなかった。
(リリアだって……ちゃんとセラに『好き』って思ってもらいたいんだもん……っ!)
赤くなる顔を必死に抑えながら、リリアーヌは健気にアピールを繰り返す。
つないだ手にぎゅっと力を込めてみたり、「セラの着ている上着、すごくいい匂いがします」と照れながら見上げてみたり。
勉学の最中には、上手く問題が解けるたびに「セラ! できました!」と花が咲くような満面の笑みで、褒めてほしそうに頭をすり寄せてみせる。
そんなリリアーヌの直球で健気なアピールを受けるたびセレフィアの胸の奥では、聞いたことのない鐘が激しく鳴り響いていた。
ぎゅっと握り返された小さな手の柔らかさ。
自分を見上げる、新緑のように澄んだ翠色の瞳。
「セラ」と愛おしそうに己の名を呼ぶ、甘く可憐な声。
それらに触れるたび、セレフィアの胸の奥で、言いようのない熱い感情が急速に昂ぶっていく。
いつも冷静沈着で、氷のように冴え渡っていたはずの思考が、彼女の笑顔ひとつで心地よく乱される。
この湧き上がる強い感情の波は一体何なのか。胸が締め付けられるように苦しく、それでいて愛おしくてたまらないこの衝動は何なのか。
(……これが、父上の言っていた『恋』なのだろうか)
答え合わせをするまで、あとほんの少し。
赤くなって下を向くリリアーヌの髪にそっと触れながら、セレフィアは己の中で静かに、けれど確実に熱を帯びていく感情を抱きしめるのだった。