氷の騎士に、白百合の恋を

「恋という感情……」

セレフィアは腕を組み、眉間にごく薄く寄った皺を寄せながら、深く思考の海へと潜り込んだ。
戦術の組み立てや魔力の精密制御なら、どれほど複雑な方程式であっても即座に解を導き出すことができる。
しかし、「恋」という概念は、どれだけ思考を巡らせても輪郭がぼやけ、捉えることができない。
セレフィアは隣に座る師であり父である男へと視線を向けた。

「父上。お教えください。……『恋』とは、具体的にどのような感情、あるいは状態を指すのですか」

問いかけられたアルヴィーノは、組んでいた腕を解き、静かに紫の瞳を愛娘へと向けた。
普段の冷酷無比な軍師の顔ではなく、一人の伴侶を持つ男としての落ち着いた眼差しだった。

「……そうですね。言葉で説明するのは難解ですが……私がルミに対して抱いている感情、そのすべてと言えば分かりやすいでしょうか」

アルヴィーノは向かい側で未だにプリプリと頬を膨らませているルミへと一瞬だけ柔らかい視線を送り、淡々と告げた。

「彼の存在が私の思考の前提であり、彼の幸福が私の最優先事項であること。他者に彼を奪われるくらいなら、世界そのものを敵に回しても構わないという執着。……それが、私にとっての『恋』であり『愛』です」

威厳と絶対的な説得力に満ちた言葉。
しかし、セレフィアは納得したように頷くどころか、ますます不思議そうに首を傾げた。

「……抽象的すぎて、分かりかねます」
「む……」
「父上のおっしゃる『思考の前提』や『執着』という言葉は、戦法における主目的の確定や、特定目標の防衛任務とどのように異なるのでしょうか。私には、その境界線が定かではありません」

真面目そのものの顔でバッサリと切り捨てられ、あの冷酷非情な軍師様が思わず言葉を詰まらせた。

「あちゃー……アルヴィーノの説明、難しすぎるんだよ!」

横からルミが呆れたように頭を抱える。

「セラ、もっと簡単で身近な感じだよ! たとえばね……」

ルミはソファから乗り出し、真剣な眼差しでセレフィアの顔を覗き込んだ。

「リリアちゃんが他の誰かとすごく楽しそうに手を繋いでいたら、胸の奥がキュッと痛くなったりしない? リリアちゃんに『一番好き』って言われたら、理由もなく嬉しくなったりしない? ……そういう理屈じゃない気持ちのことなんだよ」
「……」

ルミの言葉を聞いた瞬間、セレフィアの澄んだ紫の瞳がかすかに揺れた。
自分の左手小指にはめられた、ピンクゴールドの指輪。
先ほど「恋として好き」と真っ直ぐに伝えてくれた時の、リリアーヌの真っ赤な顔と必死な眼差し。
そして、もし彼女が自分の届かない場所へ行ってしまったら――。

「……胸が、少し冷たく重くなる感覚なら、覚えています」

ぽつりと漏らされたセレフィアの言葉に、部屋の中の空気がピタリと止まった。

「リリア様が他の方と過ごされているのを見た時や、私から離れていこうとされた時……ほんのわずかですが、胸の奥が凍りつくような不快感を覚えました。それが……『恋』というものなのでしょうか」

無自覚なまま、素直に己の胸の揺らぎを口にしたセレフィア。
その答えを聞いた瞬間、向かい側に座っていたリリアーヌの顔は、一瞬で熟したリンゴを通り越して真っ赤に染まり、期待と歓喜で瞳を潤ませるのだった。

「……それは恋というより、嫉妬ですね」

セレフィアの言葉を聞いたアルヴィーノは、静かにそう断じた。

「愛する者が他の者の手に渡ってしまうかもしれないという恐れ。相手が傷つくかもしれないと考えただけで居ても立っても居られなくなる焦躁。そして、その者のためなら何でもできてしまうという感情……それらすべては、恋から生じる『嫉妬』や『独占欲』というものです」

アルヴィーノは淡々と、しかし経験に基づく絶対的な確信を持って言いのけた。
隣でルミが「うんうん!」と深くうなずき、リリアーヌは恥ずかしさと胸のときめきで息をのむ。

「嫉妬……」

セレフィアは己の胸に手を当て、その言葉の響きを確かめるように少しだけ考える素振りを見せた。
戦術でも魔術でも割り切れない、初めて触れる己の不器用な感情。
静かに思考をまとめたセレフィアは、ゆっくりと立ち上がると、向かいに座るリリアーヌのもとへと歩み寄った。
そして、その場にすっと身をかがめ、リリアーヌの目線に合わせて澄んだ紫の瞳を真っ直ぐに向ける。

「リリア様」
「っ……はい!」
「あなたの真っ直ぐな気持ち……しっかりと受け取りました」

凛とした声でそう告げられたリリアーヌは、真っ赤な顔のまま期待に胸を膨らませる。
しかし、セレフィアは嘘のつけない真面目な瞳で、素直な言葉を続けた。

「ですが、恥ずかしながら……私自身、この胸にある感情にまだ完全な決着がつけられておりません。これが父上の言う『恋』なのか、それとも別の何かなのか……自分の中で正しく定義できていないのです」

セレフィアはそっとリリアーヌの手を取り、その華奢な指先に自分の手を重ねた。

「ですから、私の中で答えが出るその日まで……今までの関係のままでいさせていただけますでしょうか。中途半端な気持ちで、あなたのお気持ちにお応えするわけにはいきませんから」

誠実すぎるほどの申し出。
一瞬拍子抜けしたリリアーヌだったが、自分の気持ちを真剣に受け止め、こんなにも愚直に向き合ってくれているセレフィアの優しさに、胸の奥がじんわりと温かくなった。

「……はい! ふふ、いいですよ、セラ」

リリアーヌは熟したリンゴのような顔のまま、今度はとびきり眩しい笑顔を咲かせた。

「セラの答えが出るまで、リリアはずっと待っています。だから……ゆっくり、リリアのことを好きになってくださいね」
「……感謝いたします、リリア様」

互いに少しだけ照れくさそうに視線を交わす二人。
「もう……本当に不器用なんだから」と呆れつつも嬉しそうに見守るルミと、その隣で「まあ、最初の一歩としては上出来でしょう」と静かに頷くアルヴィーノ。
無彩色だったセレフィアの世界に、少しずつ、けれど確実に鮮やかな「恋」の色が混ざり始めていた。


その夜。自室の天蓋付きベッドの上で、リリアーヌはクッションをぎゅっと抱きしめながら、何度も何度もベッドの上をごろごろと転げまわっていた。

「〜〜〜〜〜っ!!」

昼間にセレフィアから掛けられた言葉が、脳内で無限に反響している。

『あなたの真っ直ぐな気持ち……しっかりと受け取りました』
『私の中で答えが出るその日まで……今までの関係のままでいさせていただけますでしょうか』

真面目で、どこまでも誠実で、少し不器用なあの真っ直ぐな瞳。
ただ「守るべき存在」としてではなく、一人の「リリアーヌ」として自分に向き合おうとしてくれたセレフィアの姿を思い出すたび、胸の奥が甘く痺れ、顔から火が出そうになる。

「答えが出るまで……って……そんなの反則です、セラ……っ」

顔を真っ赤に染め、脚をパタパタと暴れさせながら、抱きしめたクッションに「あぅぅ」と顔をうずめるリリアーヌ。
そんな愛娘の部屋のドアがわずかに開いており、廊下からその様子を伺っていたアルフレッドとエルザは、顔を見合わせてクスリと微笑んだ。

「ふふ、ずいぶんと賑やかですね、アルフレッド」

エルザが静かに口元を隠しながら、目を細める。

「ああ。昼間にルミくんから『大事件』の報告は受けていたが……どうやらリリアにとっては、生涯忘れられない特別な日になったようだね」

アルフレッドは優しく温かな眼差しで、ベッドの上で悶絶し続ける娘を見つめた。

「不器用だが真っ直ぐな子だ、セレフィアさんは。……焦らず、二人でゆっくりと階段を登っていけばいい」
「ええ、本当に。……さあ、あまり覗いていては、後でリリアに怒られてしまいますわ。お休みの挨拶をしてあげましょう」

エルザに促され、アルフレッドはコンコンと優しくドアを叩いた。

「リリア。そろそろ休む時間だよ」
「ふぇっ!? お、お父様……っ!? お、お母様……っ!?」

慌てて跳ね起き、真っ赤な顔で寝具を整えようとするリリアーヌ。
そんな愛らしい娘に、二人は包み込むような温かい笑顔を向け、そっと「おやすみなさい」の言葉を贈るのだった。
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