氷の騎士に、白百合の恋を
翌日。
セレフィアは軍事遠征中の父アルヴィーノから事前に課されていた厳格な演習メニューを、何一つ滞りなく、恐ろしいほどの精度で淡々とこなしていた。
氷属性の魔力を寸分の狂いもなく正確に制御し、無駄のない洗練された動作で仮想敵を撃破していく姿は、まさに『慈悲なき軍師』の教え子そのものだった。
すべての演習を終えたセレフィアは、続いて私室での勉学メニューへと移行するため、演習場へと続く廊下を進んでいた。
軍装の身なりを整え、粛々と歩を進めていると、前方の角から金髪を揺らした少女――リリアーヌが姿を現した。
思わぬ場所での遭遇に、リリアーヌは翠色の瞳を大きく見開いた。
そして昨日の後悔を吹き飛ばすように、パッと表情を輝かせると、小さな足音を響かせてセレフィアのもとへ一気に駆け寄ってきた。
「あ、あのね! セレフィアさん、あのね……っ!」
上気した顔で、息を弾ませながら一生懸命に言葉を紡ごうとするリリアーヌ。
昨日『リリア様』と呼ばれたことが決して嫌だったわけではなく、嬉しすぎてパニックになってしまっただけなのだと、自分の口からちゃんと伝えようとしていた。
だがセレフィアはそれを待つことはなかった。
真面目で完璧主義なセレフィアは、昨日ルミから諭された言葉を胸に深く刻み込んでいたのだ。
自分の早とちりで相手を落胆させてしまったという事実を、一刻も早く正さねばならないと考えていた。
セレフィアはリリアーヌの前でピタリと足を止め、至近距離でその澄んだ紫の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、少しも間を置かずに静かに頭を下げる。
「リリアーヌ様。昨日は私の不手際により、あなたを傷つけてしまい大変申し訳ありませんでした」
「えっ……? あ、あの……っ?」
突如として真摯に謝罪され、リリアーヌは伝えようとしていた言葉が喉に引っかかって口をパパクとさせた。
セレフィアはすっと顔を上げると、一切の迷いがない凛とした声で、静かに言葉を続けた。
「私の早とちりで呼び方を元に戻し、あなたを落胆させてしまったと母上より教わりました。……ですので、宣言いたします。私はこれから、あなたを『リリア様』とお呼びします」
「……っ!?」
あまりにも堂々とした、まるで軍の重要任務でも伝えるかのような真剣な宣言。
至近距離で射抜くように見つめられ、再び『リリア様』という甘く凛々しい響きを耳にしたリリアーヌの胸は、どきりと大きく跳ね上がった。顔が熟したリンゴのように赤く染まっていく。
(っ……!! 嬉しい……すごく嬉しい、けど……っ!)
『リリア様』と呼んでもらえること自体は、夢にまで見るほど嬉しかった。
しかし、乙女心が紡ぐ甘い空気もへったくれもなく、まるで報告事項のように淡々と、そして決意表明のように宣言されてしまったことで、リリアーヌの心は激しく混乱していた。
(違うの……! リリアが言いたかったのは、そういう機械的な宣言じゃなくて……っ! でも、リリア様って呼んでくれるのはすごく格好良くて胸がキュンとして……ああ、もう……っ!)
歓喜と照れくささと、どこか拍子抜けしたような感覚が混ざり合い、リリアーヌはまさに『嬉しいような、そうじゃないような』実に複雑な心境に陥っていた。
そんな王女様の複雑な葛藤など露知らず、セレフィアは責任を果たしたと言わんばかりに、澄ました顔でそっとリリアーヌの手を優しく取るのだった。
「では、リリア様。勉学の刻限となりますので、私はこれで失礼いたします。また後ほど」
「あ、はい……また後ほど……です、セレフィアさん……っ」
冷んやりとした心地よい手触りを小指に残したまま、颯爽と立ち去っていく軍装の少女。
残されたリリアーヌは、真っ赤な顔で自分の左小指の指輪をギュッと握りしめながら、その背中をぽかんと見送るしかなかった。
私室に駆け込んだリリアーヌは、そのままベッドへとダイブし、枕に顔をうずめて足をバタバタと暴れさせた。
「そうじゃないのーーーーーっ!!! 違うの、そうじゃないのーっ!!!」
ベッドの上で何度も身をよじらせながら、リリアーヌは真っ赤な顔で小さく叫んだ。
『リリア様』と呼ばれたこと自体は、飛び上がるほど嬉しい。
もう二度と呼んでもらえないかもしれないと落ち込んでいたから、その響きを聞いた瞬間は胸が甘く締め付けられる思いだった。
でも、そうじゃないのだ。
「任務みたいに宣言して呼んでほしいわけじゃないの……っ! なんていうか、こう……もっと自然に、違う意味で……っ!」
義務感や「落胆させたから正さねばならない」という理由ではなく、もっとこう、セレフィア自身の親愛や特別な感情から呼んでほしかったのだ。
まだこれが『恋』だと自覚していない王女様だったが、乙女心として譲れない何かがそこにはあった。
枕を抱きしめ、両足をパタパタさせながら悶絶する娘の様子を、部屋の入口からそっと覗き込んでいたアルフレッドは、思わず「ふふっ」と優しく口元を緩めた。
(やれやれ……実に微笑ましいけれど、なんだか既視感があるな)
真面目すぎるがゆえにどこかズレた方向で完璧にこなそうとするセレフィアと、その不器用で無自覚な攻勢に翻弄されて悶絶するリリアーヌ。
どこか冷徹で不器用だった弟のアルヴィーノと、天真爛漫に彼を振り回し、時に振り回されていたルミの姿が、目の前の幼い二人とぴったり重なって見えた。
「……まるで、昔のアルヴィーノとルミくんを見ているようだなあ」
アルフレッドは懐かしそうに目を細め、静かに呟いた。
血は争えないというか、育った環境や師弟関係の賜物というか。
アルヴィーノの器用でいてどこか不器用なところをしっかりと受け継いだセレフィアと、それに翻弄されるリリアーヌのすれ違いは、はたから見ている分には微笑ましくてたまらない。
「大丈夫だよ、リリア。セレフィアさんもね、君を大切に思うからこそ真剣なんだ。少しずつ、二人だけの形になっていくさ」
部屋の外からそっとあたたかい視線を送る国王お父様に見守られながら、リリアーヌは「うぅ……セレフィアさんのバカ……かっこいいバカ……っ!」と枕に顔を埋めて悶え続けるのだった。
セレフィアは軍事遠征中の父アルヴィーノから事前に課されていた厳格な演習メニューを、何一つ滞りなく、恐ろしいほどの精度で淡々とこなしていた。
氷属性の魔力を寸分の狂いもなく正確に制御し、無駄のない洗練された動作で仮想敵を撃破していく姿は、まさに『慈悲なき軍師』の教え子そのものだった。
すべての演習を終えたセレフィアは、続いて私室での勉学メニューへと移行するため、演習場へと続く廊下を進んでいた。
軍装の身なりを整え、粛々と歩を進めていると、前方の角から金髪を揺らした少女――リリアーヌが姿を現した。
思わぬ場所での遭遇に、リリアーヌは翠色の瞳を大きく見開いた。
そして昨日の後悔を吹き飛ばすように、パッと表情を輝かせると、小さな足音を響かせてセレフィアのもとへ一気に駆け寄ってきた。
「あ、あのね! セレフィアさん、あのね……っ!」
上気した顔で、息を弾ませながら一生懸命に言葉を紡ごうとするリリアーヌ。
昨日『リリア様』と呼ばれたことが決して嫌だったわけではなく、嬉しすぎてパニックになってしまっただけなのだと、自分の口からちゃんと伝えようとしていた。
だがセレフィアはそれを待つことはなかった。
真面目で完璧主義なセレフィアは、昨日ルミから諭された言葉を胸に深く刻み込んでいたのだ。
自分の早とちりで相手を落胆させてしまったという事実を、一刻も早く正さねばならないと考えていた。
セレフィアはリリアーヌの前でピタリと足を止め、至近距離でその澄んだ紫の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、少しも間を置かずに静かに頭を下げる。
「リリアーヌ様。昨日は私の不手際により、あなたを傷つけてしまい大変申し訳ありませんでした」
「えっ……? あ、あの……っ?」
突如として真摯に謝罪され、リリアーヌは伝えようとしていた言葉が喉に引っかかって口をパパクとさせた。
セレフィアはすっと顔を上げると、一切の迷いがない凛とした声で、静かに言葉を続けた。
「私の早とちりで呼び方を元に戻し、あなたを落胆させてしまったと母上より教わりました。……ですので、宣言いたします。私はこれから、あなたを『リリア様』とお呼びします」
「……っ!?」
あまりにも堂々とした、まるで軍の重要任務でも伝えるかのような真剣な宣言。
至近距離で射抜くように見つめられ、再び『リリア様』という甘く凛々しい響きを耳にしたリリアーヌの胸は、どきりと大きく跳ね上がった。顔が熟したリンゴのように赤く染まっていく。
(っ……!! 嬉しい……すごく嬉しい、けど……っ!)
『リリア様』と呼んでもらえること自体は、夢にまで見るほど嬉しかった。
しかし、乙女心が紡ぐ甘い空気もへったくれもなく、まるで報告事項のように淡々と、そして決意表明のように宣言されてしまったことで、リリアーヌの心は激しく混乱していた。
(違うの……! リリアが言いたかったのは、そういう機械的な宣言じゃなくて……っ! でも、リリア様って呼んでくれるのはすごく格好良くて胸がキュンとして……ああ、もう……っ!)
歓喜と照れくささと、どこか拍子抜けしたような感覚が混ざり合い、リリアーヌはまさに『嬉しいような、そうじゃないような』実に複雑な心境に陥っていた。
そんな王女様の複雑な葛藤など露知らず、セレフィアは責任を果たしたと言わんばかりに、澄ました顔でそっとリリアーヌの手を優しく取るのだった。
「では、リリア様。勉学の刻限となりますので、私はこれで失礼いたします。また後ほど」
「あ、はい……また後ほど……です、セレフィアさん……っ」
冷んやりとした心地よい手触りを小指に残したまま、颯爽と立ち去っていく軍装の少女。
残されたリリアーヌは、真っ赤な顔で自分の左小指の指輪をギュッと握りしめながら、その背中をぽかんと見送るしかなかった。
私室に駆け込んだリリアーヌは、そのままベッドへとダイブし、枕に顔をうずめて足をバタバタと暴れさせた。
「そうじゃないのーーーーーっ!!! 違うの、そうじゃないのーっ!!!」
ベッドの上で何度も身をよじらせながら、リリアーヌは真っ赤な顔で小さく叫んだ。
『リリア様』と呼ばれたこと自体は、飛び上がるほど嬉しい。
もう二度と呼んでもらえないかもしれないと落ち込んでいたから、その響きを聞いた瞬間は胸が甘く締め付けられる思いだった。
でも、そうじゃないのだ。
「任務みたいに宣言して呼んでほしいわけじゃないの……っ! なんていうか、こう……もっと自然に、違う意味で……っ!」
義務感や「落胆させたから正さねばならない」という理由ではなく、もっとこう、セレフィア自身の親愛や特別な感情から呼んでほしかったのだ。
まだこれが『恋』だと自覚していない王女様だったが、乙女心として譲れない何かがそこにはあった。
枕を抱きしめ、両足をパタパタさせながら悶絶する娘の様子を、部屋の入口からそっと覗き込んでいたアルフレッドは、思わず「ふふっ」と優しく口元を緩めた。
(やれやれ……実に微笑ましいけれど、なんだか既視感があるな)
真面目すぎるがゆえにどこかズレた方向で完璧にこなそうとするセレフィアと、その不器用で無自覚な攻勢に翻弄されて悶絶するリリアーヌ。
どこか冷徹で不器用だった弟のアルヴィーノと、天真爛漫に彼を振り回し、時に振り回されていたルミの姿が、目の前の幼い二人とぴったり重なって見えた。
「……まるで、昔のアルヴィーノとルミくんを見ているようだなあ」
アルフレッドは懐かしそうに目を細め、静かに呟いた。
血は争えないというか、育った環境や師弟関係の賜物というか。
アルヴィーノの器用でいてどこか不器用なところをしっかりと受け継いだセレフィアと、それに翻弄されるリリアーヌのすれ違いは、はたから見ている分には微笑ましくてたまらない。
「大丈夫だよ、リリア。セレフィアさんもね、君を大切に思うからこそ真剣なんだ。少しずつ、二人だけの形になっていくさ」
部屋の外からそっとあたたかい視線を送る国王お父様に見守られながら、リリアーヌは「うぅ……セレフィアさんのバカ……かっこいいバカ……っ!」と枕に顔を埋めて悶え続けるのだった。