氷の騎士に、白百合の恋を
翌朝、重厚な執務室。
大量の決済書類を手に訪れたアルヴィーノに対し、執務机に腰掛けたアルフレッドは書類を受け取ると、ふっと柔らかな笑みをこぼした。
「アルヴィーノ、昨日はセレフィアがリリアーヌを助けてくれたそうだね。送り届けてもくれたようで……礼を言うよ」
「礼など不要です、兄上」
アルヴィーノは背筋を正したまま、淡々とした声調で応じた。
「主家筋の者を危険から保護し、私室へ送り届けるのは当然の義務。特別な対応など何もさせておりません」
相変わらず隙のない弟の返答に、アルフレッドは苦笑を交えながらも、手元のペンを置いた。そして、真摯な眼差しでアルヴィーノを見つめる。
「……それで、セレフィアのことだが。引き取ってからしばらく経つが、最近はどうなんだい?」
『駒』として拾われたあの不気味なまでに静かな少女。
その能力と現状について問いかける兄に対し、アルヴィーノは一瞬だけ紫の瞳を細めると、滞りなく報告を始めた。
「まず能力面についてですが、順調に成長しております。昨日、魔力属性の判別演習を行いましたが、彼女の適性は『氷』でした」
「氷か……」
「ええ。周囲の熱量を瞬時に奪い、密度と硬度の高い氷塊や冷気を形成します。感情の波が極めて少ない彼女の性質とも噛み合っており、魔力制御の精密さ、術式の展開速度ともに目を見張るものがあります。兵や一般の騎士程度であれば、すでに単独で制圧可能な領域です」
一切の情を挟まない冷徹な観察結果。アルヴィーノは間を置かずに続けた。
「また、戦闘技術のみならず、戦術論や学術面の吸収力も高い。こちらの負荷に苦しみつつも喰らいつき、己の限界値を正確に把握しながら効率よく力を伸ばしています。戦力としては、極めて優秀な『刃』となりつつあります」
「……そうか」
アルフレッドは弟の事細かな分析に深く頷きながらも、どこか憂いを帯びた眼差しを向けた。
「能力の高さは分かった。だが……彼女の『心』はどうだい? 依然として、自らを戦うための道具としか思っていないのかい?」
その問いに対し、アルヴィーノの面に一瞬だけ微かな影が差す。
しかし、彼は破綻のない態度を崩さなかった。
「生存と戦闘にしか価値を見出せない根深さは残っています。ですが、ルミが深く寄り添っていることで、公邸での生活には馴染みつつあります。ルミの与える温もりに戸惑いながらも、それを受け入れる余地はある。……崩壊した道具ではなく、意志を持った忠実な配下として仕上がるでしょう」
弟の言葉の裏にある、歪でありながらも確かに育まれつつある環境を察し、アルフレッドはそっと息を吐いた。
「君の手元に預けて正解だったよ。……どうか、彼女をただの道具で終わらせないでやってくれ」
「言われるまでもありません。使い潰すつもりなど毛頭ありませんよ」
冷淡な響きの中に、確かな自負を覗かせるアルヴィーノ。
彼は深く一礼すると、執務室の扉へと向かって静かに歩みを進めるのだった。
一方、陽光が穏やかに差し込むアルヴィーノの私室内。
その日のセレフィアは、苛烈な訓練から解放された束休の時間を過ごしていた。
軍服を脱ぎ、ゆったりとした室内着で腰掛けていた彼女のもとへ、目を輝かせたルミが抱えきれないほどの衣服を手に駆け寄ってくる。
「セラ、たまには可愛い服も着てみようよ! ほら、これなんて絶対似合うと思うんだ!」
ルミが差し出したのは、繊細なレースとフリルがふんだんにあしらわれた、可憐なドレスであった。
軍服の簡素さと無駄のなさを好むセレフィアであったが、ルミの申し出を拒む理由はどこにもない。
与えられたものを静かに受け入れる彼女は、「分かりました」と短く応じ、言われるがままそのドレスへと袖を通した。
胸元を平らに潰す晒を解き、柔らかな布地に包まれたセレフィアが鏡の前に立つ。
水色の長髪に映える可憐な装いに、ルミは「やっぱり! すっごく可愛いよ、セラ!」と満面の笑みを咲かせ、自分のことのように嬉しそうにはしゃいだ。
鏡に映る自身の姿を淡々と見つめるセレフィアの隣で、ルミはふと思いついたように優しく語りかけた。
「ねえ、セラ。こうやって一緒にお家で過ごすようになってから……何か『好きなもの』とかできた? 食べ物でも、本でも、何でもいいんだけど」
娘の内心を知りたくて、期待を込めた水色の瞳で見つめてくるルミ。
しかし、その問いを受けたセレフィアの動きがぴたりと止まった。
戦場と訓練場しか知らず、生き延びることと役割を果たすことだけに没頭してきた彼女の思考回路に、『好き』という概念は存在しなかった。胸の奥を探ってみても、これといった感情や明確な答えは浮かんでこない。
「好きなもの、ですか……」
答えに窮したセレフィアは、どう返すべきか分からず、ほんの少しだけ眉をひそめて困惑の表情を浮かべた。
感情表現の乏しい彼女が見せたその微かな戸惑いに、ルミは愛おしさを募らせながら、焦らなくていいんだよと寄り添うように優しく微笑むのだった。
大量の決済書類を手に訪れたアルヴィーノに対し、執務机に腰掛けたアルフレッドは書類を受け取ると、ふっと柔らかな笑みをこぼした。
「アルヴィーノ、昨日はセレフィアがリリアーヌを助けてくれたそうだね。送り届けてもくれたようで……礼を言うよ」
「礼など不要です、兄上」
アルヴィーノは背筋を正したまま、淡々とした声調で応じた。
「主家筋の者を危険から保護し、私室へ送り届けるのは当然の義務。特別な対応など何もさせておりません」
相変わらず隙のない弟の返答に、アルフレッドは苦笑を交えながらも、手元のペンを置いた。そして、真摯な眼差しでアルヴィーノを見つめる。
「……それで、セレフィアのことだが。引き取ってからしばらく経つが、最近はどうなんだい?」
『駒』として拾われたあの不気味なまでに静かな少女。
その能力と現状について問いかける兄に対し、アルヴィーノは一瞬だけ紫の瞳を細めると、滞りなく報告を始めた。
「まず能力面についてですが、順調に成長しております。昨日、魔力属性の判別演習を行いましたが、彼女の適性は『氷』でした」
「氷か……」
「ええ。周囲の熱量を瞬時に奪い、密度と硬度の高い氷塊や冷気を形成します。感情の波が極めて少ない彼女の性質とも噛み合っており、魔力制御の精密さ、術式の展開速度ともに目を見張るものがあります。兵や一般の騎士程度であれば、すでに単独で制圧可能な領域です」
一切の情を挟まない冷徹な観察結果。アルヴィーノは間を置かずに続けた。
「また、戦闘技術のみならず、戦術論や学術面の吸収力も高い。こちらの負荷に苦しみつつも喰らいつき、己の限界値を正確に把握しながら効率よく力を伸ばしています。戦力としては、極めて優秀な『刃』となりつつあります」
「……そうか」
アルフレッドは弟の事細かな分析に深く頷きながらも、どこか憂いを帯びた眼差しを向けた。
「能力の高さは分かった。だが……彼女の『心』はどうだい? 依然として、自らを戦うための道具としか思っていないのかい?」
その問いに対し、アルヴィーノの面に一瞬だけ微かな影が差す。
しかし、彼は破綻のない態度を崩さなかった。
「生存と戦闘にしか価値を見出せない根深さは残っています。ですが、ルミが深く寄り添っていることで、公邸での生活には馴染みつつあります。ルミの与える温もりに戸惑いながらも、それを受け入れる余地はある。……崩壊した道具ではなく、意志を持った忠実な配下として仕上がるでしょう」
弟の言葉の裏にある、歪でありながらも確かに育まれつつある環境を察し、アルフレッドはそっと息を吐いた。
「君の手元に預けて正解だったよ。……どうか、彼女をただの道具で終わらせないでやってくれ」
「言われるまでもありません。使い潰すつもりなど毛頭ありませんよ」
冷淡な響きの中に、確かな自負を覗かせるアルヴィーノ。
彼は深く一礼すると、執務室の扉へと向かって静かに歩みを進めるのだった。
一方、陽光が穏やかに差し込むアルヴィーノの私室内。
その日のセレフィアは、苛烈な訓練から解放された束休の時間を過ごしていた。
軍服を脱ぎ、ゆったりとした室内着で腰掛けていた彼女のもとへ、目を輝かせたルミが抱えきれないほどの衣服を手に駆け寄ってくる。
「セラ、たまには可愛い服も着てみようよ! ほら、これなんて絶対似合うと思うんだ!」
ルミが差し出したのは、繊細なレースとフリルがふんだんにあしらわれた、可憐なドレスであった。
軍服の簡素さと無駄のなさを好むセレフィアであったが、ルミの申し出を拒む理由はどこにもない。
与えられたものを静かに受け入れる彼女は、「分かりました」と短く応じ、言われるがままそのドレスへと袖を通した。
胸元を平らに潰す晒を解き、柔らかな布地に包まれたセレフィアが鏡の前に立つ。
水色の長髪に映える可憐な装いに、ルミは「やっぱり! すっごく可愛いよ、セラ!」と満面の笑みを咲かせ、自分のことのように嬉しそうにはしゃいだ。
鏡に映る自身の姿を淡々と見つめるセレフィアの隣で、ルミはふと思いついたように優しく語りかけた。
「ねえ、セラ。こうやって一緒にお家で過ごすようになってから……何か『好きなもの』とかできた? 食べ物でも、本でも、何でもいいんだけど」
娘の内心を知りたくて、期待を込めた水色の瞳で見つめてくるルミ。
しかし、その問いを受けたセレフィアの動きがぴたりと止まった。
戦場と訓練場しか知らず、生き延びることと役割を果たすことだけに没頭してきた彼女の思考回路に、『好き』という概念は存在しなかった。胸の奥を探ってみても、これといった感情や明確な答えは浮かんでこない。
「好きなもの、ですか……」
答えに窮したセレフィアは、どう返すべきか分からず、ほんの少しだけ眉をひそめて困惑の表情を浮かべた。
感情表現の乏しい彼女が見せたその微かな戸惑いに、ルミは愛おしさを募らせながら、焦らなくていいんだよと寄り添うように優しく微笑むのだった。