【新婚旅行編】二人だけの旅路に、世界で一番甘い口づけを

北方の夜は、どこまでも深く、静かに更けていく。
外では冷たい風が針葉樹の林を揺らしているが、主寝室の中は暖炉の炎が赤々と爆ぜ、春のような温かさに包まれていた。
​パチ、パチ、と薪が心地よい音を立てる傍らで、ルミは大きな木製のロッキングチェアに深く腰掛け、小さな手を動かしていた。
膝の上に広げられているのは、柔らかな水色の毛糸。
この地に来てから、アルヴィーノのために何かを作りたいと思い立ち、現地の使用人に教わりながら始めた不慣れな編み物だった。

​「ええと……次は、こっちに針を通して……」

​完璧な従者としてのシャキッとした姿はどこへやら、白いロリータ服の裾を無造作に揺らし、水色の長い髪を肩から流して一心不乱に毛糸と格闘している。
アルヴィーノが喜んでくれる顔を想像するだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
​けれど、暖炉の絶え間ない温もりと、ゆらゆらと規則正しく揺れる椅子の心地よさは、長旅や日々の充実した疲れが溜まっていたルミの身体を、次第に深い微睡みへと誘っていく。

​「……あ、だめ、起きてなきゃ……アルヴィーノが、帰ってくる……」

​こっくり、と小さな頭が揺れる。
一度はハッと水色の瞳を開けたものの、押し寄せる強烈な眠気には勝てなかった。
やがて、編みかけの毛糸を胸元に抱きしめたまま、ルミは規則正しい小さな寝息を立て始め、完全に眠りに落ちてしまった。
​カチャリ、と静かに部屋の扉が開いたのは、それから間もなくのことだった。

​「ただいま戻りました、ルミ――」

​軍議を終え、漆黒の豪華な軍服を身に纏ったアルヴィーノが室内に足を踏み入れる。
いつもなら扉が開いた瞬間に「アルヴィーノ、おかえり!」と飛びついてくる愛しい影がないことに、切れ長の紫の瞳が小さく見開かれた。
​しかし、暖炉の前に視線を走らせた瞬間、アルヴィーノの冷徹な軍師の顔は、跡形もなく融けて消え去った。
​そこには、ロッキングチェアに埋もれるようにして眠る、愛らしい伴侶の姿があった。
暖炉のオレンジ色の光に照らされて、水色の長い髪が美しくきらめいている。
胸元に大事そうに抱えられているのは、不格好に編み進められた水色の毛糸の束。それが自分への贈り物であることは、色を見ただけで容易に想像がついた。
​アルヴィーノは足音を完全に消し、静かにルミの傍らへと歩み寄った。
軍帽を脱いで卓へ置き、膝をついて、眠るルミの顔をじっと見つめる。
​王都にいた頃のルミは、たとえ眠っている時であっても、過去の実験の恐怖や「捨てられるかもしれない」という不安から、どこか怯えたように身体を強張らせていることが多かった。
けれど今のルミは、無防備に頬を染め、安心しきった幸福そうな寝顔を見せている。
​その姿が、アルヴィーノの胸に、言葉にできないほどの深い充足感をもたらした。

​(ああ……本当に、幸せですね)

​アルヴィーノはそっと手を伸ばし、ルミの頬に触れないほどの距離で、愛おしそうにその輪郭をなぞった。
​戦場では兵を駒としか思わず、兄である王の「冷たき刃」として、幾度となくその手を血に染めてきた。
周囲からは慈悲なき怪物と恐れられ、自分自身でも、己の心はとっくに凍りついていると思っていた。
けれど、この小さな伴侶が隣にいて、自分の名前を呼んでくれるだけで、世界はこれほどまでに温かく、光に満ちたものになる。
​ルミがここでこうして、自分を信じて、安心して眠ってくれている。
ただそれだけの事実が、アルヴィーノにとって何よりも尊く、命を懸けて守るべき、たった一つの絶対的な真実だった。

​「……ん、……ぁ、アルヴィーノ……?」

​微かな衣擦れの音に気付いたのか、ルミが長い睫毛を震わせ、ゆっくりと水色の瞳を開いた。
目の前に大好きな紫の瞳があるのを見つけると、ルミはまだ夢見心地のまま、ふにゃりと無邪気な笑みを浮かべる。

​「おかえりなさい……俺、待ってたのに、寝ちゃって……」
​「ええ、ただいま戻りました。良い子で留守番ができましたね、私の可愛いルミ」

​アルヴィーノは立ち上がり、ルミの膝から編み物をそっと退けると、その小さな身体をロッキングチェアからお姫様抱まがいに軽々と抱き上げた。

​「わ、わっ……アルヴィーノ?」

​急に宙に浮いたことで完全に目が覚めたルミが、慌ててアルヴィーノの首に細い両腕を絡めつける。
アルヴィーノはルミをベッドへと優しく運び、そのまま自身も外套を脱ぎ捨てて、ルミを包み込むようにして隣に横たわった。

​「アルヴィーノ……お仕事、大変だった?」

​胸元に顔を埋めて上目遣いに聞いてくるルミに、アルヴィーノはその水色の髪に指を絡め、深く、甘い口づけを落とした。

​「貴方の寝顔を見た瞬間、全ての疲れが消え去りました。……今夜は、このまま朝まで離しませんよ」
​「ふふ、うん。ずっと一緒……」

​アルヴィーノの腕の中で、ルミは嬉しそうに目を細め、今度こそ本当に安心しきって、再び心地よい眠りへと落ちていく。
誰の目も気にすることなく、ただお互いを愛し、愛される。
北方の静かな夜の中、二人の絆は、暖炉の炎よりもずっと確かに、温かく燃え続けていた。
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