【新婚旅行編】二人だけの旅路に、世界で一番甘い口づけを
北の直轄領に滞在して数週間。演習の合間に訪れた待望の休日は、雲ひとつない穏やかな冬晴れとなった。
王都のように貴族の目が光る場所ではない。
この広大な直轄領の中心にある活気ある街では、漆黒の軍服を着ていないアルヴィーノが「第二王子」であると気づく者は誰もいなかった。
今日のアルヴィーノは、上質な黒いウールのコートに身を包み、少し癖のある紫の髪を風に揺らしている。
その傍らには、白い外套のフードから水色の長い髪を覗かせたルミが、嬉しそうに並んで歩いていた。
王都では絶対に許されなかった「並んで歩く」という普通のことが、今の二人には何よりも新鮮で、愛おしい。
「アルヴィーノ、見て! あそこのお店、湯気がすごくいっぱい出てる!」
ルミが白い手袋に包まれた手で指差したのは、北国名物の蒸し菓子を売る露店だった。冷たい空気の中に広がる甘い香りに、ルミの水色の瞳がきらきらと輝く。
「ふふ、美味しそうですね。ルミ、一つ買ってみましょうか」
「うん!」
アルヴィーノが自然な動作で財布を取り出し、ふかふかの蒸し菓子を二つ買い求める。
市井の買い物など一度もしたことがなかった王子が、今やルミのためにごく普通に露店に並んでいる。
その事実だけで、ルミの胸は温かいもので満たされていった。
半分に割ると、中からとろりとした木の実の餡が顔を出す。
「あつ、あつ……ん、すごく甘くて美味しい! アルヴィーノも食べてみて?」
「おやおや、口元に白い粉がついていますよ」
アルヴィーノは困ったように笑いながら、自身の指先でルミの口元を優しく拭った。
そして、ルミが差し出した菓子を一口、上品に口に含む。
「確かに、これは貴方が好みそうな味ですね」と微笑む切れ長の紫の瞳には、戦場での冷酷さなど微塵もなかった。
街を行き交う人々は、ただの「仲睦まじい綺麗な旅人の二人連れ」として彼らを見送り、すれ違っていく。
主従の仮面も、身分の壁も、ここには存在しない。
その後も、二人の穏やかなデートは続いた。
地元の職人が作った素朴な木彫りのブローチを見たり、北方の珍しい楽器の音色に足を止めたり。王都の洗練された夜会よりも、この泥臭くも温かい街の喧騒の方が、今の二人にはずっと心地よかった。
ふと立ち寄った小さな雑貨屋で、ルミはあるものに目を留めた。
それは、深い紫色の上質な魔石があしらわれた、小ぶりのチェスピースの形をしたキーホルダーだった。
「……アルヴィーノの、瞳の色みたい」
ぽつり、と呟いたルミの横顔を、アルヴィーノは見逃さなかった。
「それが気に入りましたか?」
「あ、ううん! ちょっと綺麗だなって思っただけ。俺、魔力の使い方もまだよく分からないし、チェスもアルヴィーノみたいに強くないから……」
少し気恥ずかしそうに手を引っ込めようとしたルミだったが、アルヴィーノはすかさずその手を優しく握り、店主に銀貨を支払った。
「アルヴィーノ……?」
「貴方が私を想って目を留めてくれたものです。断る理由がありません」
受け取った紫の魔石を、アルヴィーノはルミの手のひらにそっと載せる。
「闇魔法の使い方は、これから私がいくらでも教えます。チェスだって、あちらにいる間にいくらでも付き合いましょう。貴方が私の伴侶である証に、それを持っていてください」
手のひらの中で、ほんのりと温かい魔石が光を反射している。
ルミの胸の奥に、嬉しさと愛おしさが一気に込み上げてきた。
「……うん。ありがとう、アルヴィーノ。ずっと、大事にするね」
ルミは魔石をぎゅっと握りしめ、満面の笑みを浮かべた。
帰り道、夕日が雪山を茜色に染める頃。
誰の目もない静かな通りに入った瞬間、アルヴィーノは差し出されたルミの手を、今度は指を絡めるようにして強く握りしめた。
「楽しい一日でしたね、ルミ」
「うん。俺、生まれてから今日が一番幸せかもしれない……。普通の恋人みたいに、アルヴィーノの手を引っ張って歩けて、すごく嬉しかった」
フードの隙間から覗くルミの頬は、寒さのせいだけではなく、幸福感で赤く火照っている。
「『生まれてから一番』の記録は、これから二人でいくらでも更新していけますよ。……さあ、屋敷に帰りましょう。冷えてきましたから、今夜は一段と暖かくして過ごさなくてはなりませんね」
「あはは、そうだね。アルヴィーノ、お部屋に戻ったら、さっきのチェス教えて?」
「ええ、喜んで。私の可愛い伴侶」
繋いだ手の温もりを確かめ合いながら、二人はゆっくりと、自分たちの「家」である屋敷への道を歩んでいく。
つかの間の、けれど二人の生涯において決して忘れることのない、完璧な日常のひとコマだった。
王都のように貴族の目が光る場所ではない。
この広大な直轄領の中心にある活気ある街では、漆黒の軍服を着ていないアルヴィーノが「第二王子」であると気づく者は誰もいなかった。
今日のアルヴィーノは、上質な黒いウールのコートに身を包み、少し癖のある紫の髪を風に揺らしている。
その傍らには、白い外套のフードから水色の長い髪を覗かせたルミが、嬉しそうに並んで歩いていた。
王都では絶対に許されなかった「並んで歩く」という普通のことが、今の二人には何よりも新鮮で、愛おしい。
「アルヴィーノ、見て! あそこのお店、湯気がすごくいっぱい出てる!」
ルミが白い手袋に包まれた手で指差したのは、北国名物の蒸し菓子を売る露店だった。冷たい空気の中に広がる甘い香りに、ルミの水色の瞳がきらきらと輝く。
「ふふ、美味しそうですね。ルミ、一つ買ってみましょうか」
「うん!」
アルヴィーノが自然な動作で財布を取り出し、ふかふかの蒸し菓子を二つ買い求める。
市井の買い物など一度もしたことがなかった王子が、今やルミのためにごく普通に露店に並んでいる。
その事実だけで、ルミの胸は温かいもので満たされていった。
半分に割ると、中からとろりとした木の実の餡が顔を出す。
「あつ、あつ……ん、すごく甘くて美味しい! アルヴィーノも食べてみて?」
「おやおや、口元に白い粉がついていますよ」
アルヴィーノは困ったように笑いながら、自身の指先でルミの口元を優しく拭った。
そして、ルミが差し出した菓子を一口、上品に口に含む。
「確かに、これは貴方が好みそうな味ですね」と微笑む切れ長の紫の瞳には、戦場での冷酷さなど微塵もなかった。
街を行き交う人々は、ただの「仲睦まじい綺麗な旅人の二人連れ」として彼らを見送り、すれ違っていく。
主従の仮面も、身分の壁も、ここには存在しない。
その後も、二人の穏やかなデートは続いた。
地元の職人が作った素朴な木彫りのブローチを見たり、北方の珍しい楽器の音色に足を止めたり。王都の洗練された夜会よりも、この泥臭くも温かい街の喧騒の方が、今の二人にはずっと心地よかった。
ふと立ち寄った小さな雑貨屋で、ルミはあるものに目を留めた。
それは、深い紫色の上質な魔石があしらわれた、小ぶりのチェスピースの形をしたキーホルダーだった。
「……アルヴィーノの、瞳の色みたい」
ぽつり、と呟いたルミの横顔を、アルヴィーノは見逃さなかった。
「それが気に入りましたか?」
「あ、ううん! ちょっと綺麗だなって思っただけ。俺、魔力の使い方もまだよく分からないし、チェスもアルヴィーノみたいに強くないから……」
少し気恥ずかしそうに手を引っ込めようとしたルミだったが、アルヴィーノはすかさずその手を優しく握り、店主に銀貨を支払った。
「アルヴィーノ……?」
「貴方が私を想って目を留めてくれたものです。断る理由がありません」
受け取った紫の魔石を、アルヴィーノはルミの手のひらにそっと載せる。
「闇魔法の使い方は、これから私がいくらでも教えます。チェスだって、あちらにいる間にいくらでも付き合いましょう。貴方が私の伴侶である証に、それを持っていてください」
手のひらの中で、ほんのりと温かい魔石が光を反射している。
ルミの胸の奥に、嬉しさと愛おしさが一気に込み上げてきた。
「……うん。ありがとう、アルヴィーノ。ずっと、大事にするね」
ルミは魔石をぎゅっと握りしめ、満面の笑みを浮かべた。
帰り道、夕日が雪山を茜色に染める頃。
誰の目もない静かな通りに入った瞬間、アルヴィーノは差し出されたルミの手を、今度は指を絡めるようにして強く握りしめた。
「楽しい一日でしたね、ルミ」
「うん。俺、生まれてから今日が一番幸せかもしれない……。普通の恋人みたいに、アルヴィーノの手を引っ張って歩けて、すごく嬉しかった」
フードの隙間から覗くルミの頬は、寒さのせいだけではなく、幸福感で赤く火照っている。
「『生まれてから一番』の記録は、これから二人でいくらでも更新していけますよ。……さあ、屋敷に帰りましょう。冷えてきましたから、今夜は一段と暖かくして過ごさなくてはなりませんね」
「あはは、そうだね。アルヴィーノ、お部屋に戻ったら、さっきのチェス教えて?」
「ええ、喜んで。私の可愛い伴侶」
繋いだ手の温もりを確かめ合いながら、二人はゆっくりと、自分たちの「家」である屋敷への道を歩んでいく。
つかの間の、けれど二人の生涯において決して忘れることのない、完璧な日常のひとコマだった。