【主従欺瞞編】主従の欺瞞に、世界で一番甘い秘密を

長く過酷な旅路の果てに、馬車は住み慣れたレイストール王国の王城へと滑り込んだ。
出迎える騎士や文官たちの喧騒を、アルヴィーノは一切の感情を排した冷徹な顔で切り捨て、王への復命も最低限に済ませた。
新王アルフレッドも、弟の内に燻る切迫した気配を察し、それ以上の引き留めはしなかった。
城の最奥にある、アルヴィーノの私室。
重厚な黒檀の扉が閉まり、内側から厳重な結界の術式が発動した瞬間、室内に張り詰めていた空気が、音を立てて瓦解した。

「……やっと、帰ってきましたね」

アルヴィーノが低く呟く。
その声には、大陸の覇権を揺るがす全面戦争を指揮した時ですら見せなかった、深い、底無しの疲弊が滲んでいた。
彼は漆黒の軍服の上着を乱暴に脱ぎ捨てると、部屋の中央で立ち尽くしていたルミの元へ、一歩で距離を詰めた。
そして、掠め取るような激しさで、その華奢な身体を両腕の中に強く、強く抱きすくめた。

「アルヴィーノ、……っ?」

ルミの口から、驚きと戸惑いの混じった小さな吐息が漏れる。
だが、アルヴィーノはその細い背中に回した腕の力を、緩めようとはしなかった。
衣服が擦れる音だけが、静まり返った私室に響く。
帝国の件があってから、アルヴィーノはルミから一歩も離れようとしなかった。
王城の廊下を歩く時も、自室へ戻るまでの僅かな時間も、常にルミの気配を自身の魔力の届く最短距離に置き、その存在を皮膚の感覚すべてで監視し続けていた。
それは、最愛の伴侶を自らの手で打ちのめし、戦火の中で危うく失いかけた男が陥った、狂気的なまでの強迫観念だった。

「どこにも……私の目の届かない場所へ、一寸たりとも動くことは許しません」

ルミの項(うなじ)に顔を埋めたアルヴィーノが、地這うような声で囁く。
彼の長い指先が、ルミの水色の髪を狂おしげに梳き、その滑らかな首筋や顎の皮膚を、まるで傷の痕跡を一つ一つ確かめるように、執拗に愛撫した。
時空の禁術によって、ルミの肉体は完璧に修復されている。
血の滲んでいた顎も、引き千切られた髪も、何一つ損なわれてはいない。
だが、アルヴィーノの脳裏には、冷たい石床に転がされたルミの悲痛な姿と、自らの拳がその肌に触れた瞬間の、おぞましい衝撃の記憶が、焼き付いて離れないのだ。

(私はこの子を、己の手で壊した)

その罪悪感と、もう二度とこの温もりを誰にも触れさせないという独占欲が、魔王の魂を内側から焼き尽くそうとしていた。
ルミは、アルヴィーノの胸に顔を埋めたまま、小さく息を吸い込んだ。
自身の背中を圧迫するほどの強い力。骨が軋むほどの抱擁。
そこに込められた、伴侶の痛々しいほどの怯えを、ルミは誰よりも深く理解していた。

「えへへ……アルヴィーノ、もう離さないでね?」

ルミの血色の戻った唇から、微かな本音が溢れた。
帝国にいた頃の、あの感情を殺し尽くした「有能な道具」の仮面は、もうどこにもない。
アルヴィーノの香りと体温に包まれるなかで、ルミの心は、完全にひとりの『伴侶』としての、熱い脈動を取り戻していた。
衆目の前で、冷酷な主従を演じ続けなければならなかった地獄の数週間。
痛くても声を上げず、どれほど愚弄されても「人形」でいようとしたのは、全てはアルヴィーノを勝利させるためだった。
けれど、もう、その欺瞞の芝居は必要ない。
ここは誰の目もない、二人だけの城なのだ。
ルミは、ぎゅっとアルヴィーノのシャツの背中を、自らの細い指先で掴み返した。

「アルヴィーノ。俺は、ここにいるよ。アルヴィーノの目の前に、ちゃんと生きて、アルヴィーノのことだけを想って、ここにいるからね」

ルミはゆっくりと顔を上げ、潤んだ水色の瞳で、主の深い紫の瞳を見つめた。

「だから、もう自分を責めないで……。あの時、俺を叩いたアルヴィーノの手が、どれほど震えていたかわかってるから。俺を守るためにどれほどの地獄を耐えてくれたか、全部、わかってるから……ね?」

その言葉は、アルヴィーノの頑なな心を溶かす、唯一の救いの雨だった。
アルヴィーノの紫の瞳が、激しい感情の波に揺れる。彼は吸い寄せられるように顔を近づけ、ルミの血色の良い唇へと、深く、貪るような口づけを交わした。
それは、数週間の渇きと、互いを求め合う狂おしい情熱の全てを注ぎ込むような、濃厚な接吻だった。
ルミは、されるがままにその口づけを受け入れ、アルヴィーノの首に細い腕を絡ませた。
主の舌が、自らの口内を、支配を誇示するように 蹂躙していく。息が詰まるほどの熱量。
けれど、その強引ささえも、いまのルミにとっては、自分が確かに彼の伴侶として愛されているという、揺るぎない証明だった。

「ルミ……私だけの、愛しいルミ……」

唇が離れた瞬間、アルヴィーノはルミの身体を横抱きにすくい上げ、部屋の奥にある、豪奢な天蓋付きのベッドへと運んだ。
シーツの上に下ろされたルミの身体を、アルヴィーノはすぐさま自らの体躯で覆い隠す。
その瞳には、もはや軍師としての冷徹な理数など存在しなかった。
あるのは、一人の少年を生涯かけて狂愛し、独占し尽くそうとする、獣のような情欲と、溢れんばかりの溺愛の光だけだった。

「今夜は、一睡も眠らせません。貴方の身体の隅々まで、私の愛だけで塗り潰します」
「……うん。来て、アルヴィーノ」

ルミは、ベッドに広がる自らの水色の髪を揺らしながら、妖艶に、けれどどこまでも純粋な微笑みを湛えて、最愛の魔王を受け入れた。
外の世界でどれほどの血が流れ、歴史が覆ろうとも、この私室のなかだけは、二人だけの絶対の聖域。
主従という偽りの枷を脱ぎ捨てた二人は、互いの肌を、魂を、飽くることなく求め合い、血の滲むような長い夜の終わりを、濃厚な愛の営みのなかで深く、深く、分かち合っていくのだった。
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