【新婚旅行編】二人だけの旅路に、世界で一番甘い口づけを

王都を出発してから数日。馬車はついに、北方の国境近くに位置する王家直轄領の屋敷へと到着した。
​王都の豪華絢爛な離宮とは異なり、石と頑丈な針葉樹で作られたその屋敷は、どこか無骨で落ち着いた佇まいを見せている。
窓の外には雄大な雪山が連なり、部屋の暖炉ではパチパチと心地よい音を立てて薪が燃えていた。

​「よし……これで、王子様の外套は全部おしまい、っと」

​二人きりになることを許された広大な主寝室で、ルミは大きな衣装箪笥の前に立ち、せっせと荷解きをしていた。
王都から持ってきたアルヴィーノの漆黒の軍服や、自身の白いロリータ服を丁寧に並べていく。
​部屋の机では、アルヴィーノがすでに現地の軍事資料に目を通していた。
癖のある紫の髪を僅かに揺らし、切れ長の瞳で羊皮紙を追う姿は相変わらず冷徹な軍師そのものだが、誰もいない室内ということもあり、その軍服の第一ボタンは緩められている。

​「ルミ、荷解きは急がなくていいと言ったでしょう。長旅で疲れているのですから、少し休みなさい」
「ううん、大丈夫! 乗り心地のいい馬車だったし、早くお部屋を片付けちゃいたいんだ。……あ、そうだ。王子様、明日の予定ってどうなってるの?」

​何気なく振り返りながら尋ねたルミに、アルヴィーノは資料から視線を上げ、ふっと悪戯っぽく目を細めた。

​「……ルミ?」
「えっ? あ……」

​優しく名前を呼ばれ、ルミはハッとして自分の口を手で押さえた。
道中の馬車であれほど練習したはずなのに、いざ屋敷に着いて話し始めると、長年の癖でどうしても「王子様」と口から出てしまう。

​「あぅ……ごめんなさい。ええと、明日の予定はどうなってるの? ……アルヴィーノ」

​真っ赤になって言い直したルミに、アルヴィーノは満足そうに口元を緩め、椅子から立ち上がった。ルミの元へと歩み寄り、その細い腰を後ろからそっと抱きすくめる。

​「明日は午前中に現地の将官たちとの顔合わせがありますが、午後は空けてあります。……それにしても、やはりまだ『王子様』に戻ってしまいますね」
「だって……! ずっとそう呼んでたんだもん、急に変えるなんて慣れないよぉ……」

​背中から伝わるアルヴィーノの心地よい体温に身を委ねながら、ルミは水色の長い髪を揺らし、恥ずかしそうに身を縮こませた。
透き通るような水色の瞳が、困ったように潤んでいる。

​「意識していないと、つい、ぽろって出ちゃうんだ。……アルヴィーノの名前、呼ぶたびに心臓がすごくドキドキして、なんだか悪いことをしてるみたいで……」
「悪いことなど何一つありません。ここは王都の貴族も、兄上の目すら届かない場所。貴方はただ、私の伴侶としてそこにいてくれればいいのです」

​アルヴィーノはルミの首筋に顔を埋め、その白い肌に愛おしそうに唇を寄せた。
普段、戦場では冷酷非情に兵を駒として扱う男が、この部屋の中では、ルミの僅かな反応一つに目を細め、甘い独占欲を隠そうともしない。

​「慣れないと言うのなら、慣れるまで何度でも教え込んで差し上げましょう。……ルミ、私の名前を」
「う、ぅ……アルヴィーノ……」

​耳元で囁かれる低い声に抗えず、ルミは顔を真っ赤に染めながら、もう一度その名前を紡いだ。敬称のない響きが室内に溶けるたび、二人の距離がさらに縮まっていくような、そんな甘い錯覚に囚われる

​「よくできました。……ご褒美を上げなくてはなりませんね」
「ふぇ? ご褒美って……んむっ、」

​振り返ろうとしたルミの唇が、アルヴィーノの優しく、けれど深い口づけによって塞がれた。
窓の外では北方の冷たい風が吹き荒れているけれど、暖炉の炎に照らされた二人の部屋は、これ以上ないほど甘く、温かい幸福感で満たされていた。
​こうして、誰の目も気にすることなく【伴侶】として過ごす、二人の特別な二ヶ月間の第一日目が、静かに更けていくのだった。
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