【バカンス編】真夏の楽園に、世界で一番甘い休日を
南国のまばゆい太陽に別れを告げ、二人の乗った馬車はレイストール王国への帰路に就いていた。
窓の外を流れる景色は、徐々に常夏の鮮やかな原色から、見慣れた王都の穏やかな緑へと移り変わっていく。
馬車の心地よい揺れに身を任せながら、ルミは膝の上に大切に抱えた小箱をそっと撫でていた。
中には、アルヴィーノが大切に仕舞い込んだあの「貝殻の勲章」と、旅の終わりに二人で拾ったいくつかの貝殻が入っている。
「……本当に、夢みたいな二ヶ月だったなぁ」
ぽつりと言葉を漏らしたルミの隣で、アルヴィーノはすでに夏用の漆黒の軍服を隙なく纏い、いつもの冷徹な軍師の姿に戻っていた。
しかし、ルミを見つめる紫の瞳だけは、どこまでも深く、穏やかな熱を湛えている。
「楽しんでいただけたなら、無理をして予定を組ませた甲斐がありました。貴方が笑ってくれるなら、私はどのような労苦も厭いません」
「えへへ、ありがとう、アルヴィーノ。……ねぇ、次はどこに行こうか? また、二人きりで遠くに行けるかな」
無邪気に未来を語るルミの細い指先を、アルヴィーノは手袋越しにそっと包み込んだ。
公の場に近い馬車の中だからこそ、呼び方は「アルヴィーノ様」ではなくとも、指先を絡めるだけのささやかな触れ合いが、胸の奥の独占欲を静かに満たしていく。
「貴方の望む場所なら、どこへでも。東方の神秘的な古都でも、あるいは果てしない星空が見える高原でも……。私が必ず、貴方を連れていきましょう」
そんな甘やかな約束を交わしているうちに、馬車は重厚な城門をくぐり、レイストール王宮へと到着した。
---
新王アルフレッドの執務室。
そこには、約二ヶ月ぶりに見る光景が広がっていた。
相変わらずうずたかく積まれた書類の山と、その中心で万年筆を握る金髪碧眼の若き王。
ハネムーンの疲れなどとっくに吹き飛ぶほどの激務に追われているアルフレッドは、弟の姿を見るなり、深く、深い溜め息をついた。
「――戻りました、陛下。南方のルセリア共和国との合同軍事演習、および国境地帯の査察、すべて滞りなく終了いたしました」
アルヴィーノは完璧な臣下の礼をとり、一通の整然とした報告書を机に置いた。
その態度には一点の曇りもなく、冷徹な軍師そのものである。
しかし、アルフレッドは報告書に目を通すより先に、自身の額を押さえて弱り切った声をあげた。
「……滞りなく、かい? アルヴィーノ、僕の元にはすでに、ルセリアの最高指揮官から涙ながらの親書が届いているよ。『レイストールの魔王に、我が軍の誇りと精神を完膚なきまでに叩き割られた』とね。いくら示威行為を兼ねているとはいえ、最終日に中級魔法の乱射で全軍を戦闘不能にするなんて、さすがにやりすぎじゃないか?」
ルセリア側から送られてきた凄惨な現場報告を思い出し、アルフレッドの美しい顔には隠しきれない疲弊と、微かな頭痛の色が滲んでいた。外交のバランスを預かる身としては、弟の容赦のなさは胃を苛む以外の何物でもない。
だが、アルヴィーノは顔色一つ変えず、淡々と、飄々と言い放った。
「私は軍師として、我が国の隠し刃として、やるべきことを成したまでです。諸外国との力の差を明確に示すことこそが、最も確実な抑止力となる。それに、彼らの練度が私の想定を下回っていた、それだけの話です」
「君というやつは……」
すべてはルミとの時間を一秒でも早く確保するための八つ当たりであったことなど、アルフレッドには百も承知だったが、これ以上追及してもこの冷徹な弟が反省などしないことは分かっている。
アルフレッドはそれ以上言葉を続ける気力を失い、「……分かった。ゆっくり休んでおくれ」と、書類の山へ視線を戻すしかなかった。
---
誰もいない二人の私室へと帰還した。
部屋の鍵が厳かに閉まった瞬間、ルミは大きなトランクの前に座り込み、楽しそうに荷解きを始めた。
南国の思い出が詰まった衣服や小物を一つずつ丁寧に取り出していく。
カチャ、と背後で微かな衣擦れの音がした。
振り返るよりも早く、アルヴィーノの長い腕がルミの華奢な身体を後ろからそっと抱きすくめる。
漆黒の軍服から伝わる、慣れ親しんだ主の体温。アルヴィーノはルミの水色の長い髪にそっと顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「……やっと、本当に帰ってこられましたね」
「うん、おかえりなさい、アルヴィーノ。アルフレッド様、ちょっと困ってた?」
「兄上のことはどうでもいいのです。それよりも、ルミ……先ほどの馬車のなかでの約束を」
アルヴィーノはルミの身体を愛おしそうに向かい合わせると、その透き通るような水色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
紫の瞳の奥には、剥き出しの、けれどどこか祈るような深い愛が揺れている。
「またいつか、必ず二人で旅に出ましょう。王宮の義務も、周囲の目も届かない場所へ。その時まで、この『主従の仮面』を被る日々を、どうか私と共に耐えてくれますか」
ルミは嬉しそうに微笑むと、アルヴィーノの首元に両腕を回し、その胸にそっと額を預けた。
「耐えるなんてことないよ。俺、アルヴィーノの傍にいられるなら、どんな仮面だって平気だもん。……でも、またいつか、あの青い海を一緒に見に行こうね」
「ええ、約束します、私の天使」
重なり合う二人の影に、王宮の静けさが寄り添う。
表向きは冷徹な「主と従者」に戻ろうとも、その内側で色づいた絆は、誰にも引き裂くことのできない絶対的なものとして、二人の心に深く、深く刻まれていた。
窓の外を流れる景色は、徐々に常夏の鮮やかな原色から、見慣れた王都の穏やかな緑へと移り変わっていく。
馬車の心地よい揺れに身を任せながら、ルミは膝の上に大切に抱えた小箱をそっと撫でていた。
中には、アルヴィーノが大切に仕舞い込んだあの「貝殻の勲章」と、旅の終わりに二人で拾ったいくつかの貝殻が入っている。
「……本当に、夢みたいな二ヶ月だったなぁ」
ぽつりと言葉を漏らしたルミの隣で、アルヴィーノはすでに夏用の漆黒の軍服を隙なく纏い、いつもの冷徹な軍師の姿に戻っていた。
しかし、ルミを見つめる紫の瞳だけは、どこまでも深く、穏やかな熱を湛えている。
「楽しんでいただけたなら、無理をして予定を組ませた甲斐がありました。貴方が笑ってくれるなら、私はどのような労苦も厭いません」
「えへへ、ありがとう、アルヴィーノ。……ねぇ、次はどこに行こうか? また、二人きりで遠くに行けるかな」
無邪気に未来を語るルミの細い指先を、アルヴィーノは手袋越しにそっと包み込んだ。
公の場に近い馬車の中だからこそ、呼び方は「アルヴィーノ様」ではなくとも、指先を絡めるだけのささやかな触れ合いが、胸の奥の独占欲を静かに満たしていく。
「貴方の望む場所なら、どこへでも。東方の神秘的な古都でも、あるいは果てしない星空が見える高原でも……。私が必ず、貴方を連れていきましょう」
そんな甘やかな約束を交わしているうちに、馬車は重厚な城門をくぐり、レイストール王宮へと到着した。
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新王アルフレッドの執務室。
そこには、約二ヶ月ぶりに見る光景が広がっていた。
相変わらずうずたかく積まれた書類の山と、その中心で万年筆を握る金髪碧眼の若き王。
ハネムーンの疲れなどとっくに吹き飛ぶほどの激務に追われているアルフレッドは、弟の姿を見るなり、深く、深い溜め息をついた。
「――戻りました、陛下。南方のルセリア共和国との合同軍事演習、および国境地帯の査察、すべて滞りなく終了いたしました」
アルヴィーノは完璧な臣下の礼をとり、一通の整然とした報告書を机に置いた。
その態度には一点の曇りもなく、冷徹な軍師そのものである。
しかし、アルフレッドは報告書に目を通すより先に、自身の額を押さえて弱り切った声をあげた。
「……滞りなく、かい? アルヴィーノ、僕の元にはすでに、ルセリアの最高指揮官から涙ながらの親書が届いているよ。『レイストールの魔王に、我が軍の誇りと精神を完膚なきまでに叩き割られた』とね。いくら示威行為を兼ねているとはいえ、最終日に中級魔法の乱射で全軍を戦闘不能にするなんて、さすがにやりすぎじゃないか?」
ルセリア側から送られてきた凄惨な現場報告を思い出し、アルフレッドの美しい顔には隠しきれない疲弊と、微かな頭痛の色が滲んでいた。外交のバランスを預かる身としては、弟の容赦のなさは胃を苛む以外の何物でもない。
だが、アルヴィーノは顔色一つ変えず、淡々と、飄々と言い放った。
「私は軍師として、我が国の隠し刃として、やるべきことを成したまでです。諸外国との力の差を明確に示すことこそが、最も確実な抑止力となる。それに、彼らの練度が私の想定を下回っていた、それだけの話です」
「君というやつは……」
すべてはルミとの時間を一秒でも早く確保するための八つ当たりであったことなど、アルフレッドには百も承知だったが、これ以上追及してもこの冷徹な弟が反省などしないことは分かっている。
アルフレッドはそれ以上言葉を続ける気力を失い、「……分かった。ゆっくり休んでおくれ」と、書類の山へ視線を戻すしかなかった。
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誰もいない二人の私室へと帰還した。
部屋の鍵が厳かに閉まった瞬間、ルミは大きなトランクの前に座り込み、楽しそうに荷解きを始めた。
南国の思い出が詰まった衣服や小物を一つずつ丁寧に取り出していく。
カチャ、と背後で微かな衣擦れの音がした。
振り返るよりも早く、アルヴィーノの長い腕がルミの華奢な身体を後ろからそっと抱きすくめる。
漆黒の軍服から伝わる、慣れ親しんだ主の体温。アルヴィーノはルミの水色の長い髪にそっと顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「……やっと、本当に帰ってこられましたね」
「うん、おかえりなさい、アルヴィーノ。アルフレッド様、ちょっと困ってた?」
「兄上のことはどうでもいいのです。それよりも、ルミ……先ほどの馬車のなかでの約束を」
アルヴィーノはルミの身体を愛おしそうに向かい合わせると、その透き通るような水色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
紫の瞳の奥には、剥き出しの、けれどどこか祈るような深い愛が揺れている。
「またいつか、必ず二人で旅に出ましょう。王宮の義務も、周囲の目も届かない場所へ。その時まで、この『主従の仮面』を被る日々を、どうか私と共に耐えてくれますか」
ルミは嬉しそうに微笑むと、アルヴィーノの首元に両腕を回し、その胸にそっと額を預けた。
「耐えるなんてことないよ。俺、アルヴィーノの傍にいられるなら、どんな仮面だって平気だもん。……でも、またいつか、あの青い海を一緒に見に行こうね」
「ええ、約束します、私の天使」
重なり合う二人の影に、王宮の静けさが寄り添う。
表向きは冷徹な「主と従者」に戻ろうとも、その内側で色づいた絆は、誰にも引き裂くことのできない絶対的なものとして、二人の心に深く、深く刻まれていた。