【バカンス編】真夏の楽園に、世界で一番甘い休日を

翌朝。
南国の青い空には、今日も早くから力強い太陽が昇り、白亜の屋敷を熱気で包み込んでいた。
アルヴィーノは鏡の前で夏用の漆黒の軍服を隙なく着こなすと、軍帽を手にルミを振り返る。その切れ長の紫の瞳には、愛しい伴侶と離れねばならないことへの不満が早くも滲んでいた。

「ルミ、本日の合同軍事演習は、少々大規模な戦術展開を予定しています。諸外国への示威行為も含んでいるため、午前中で終わらせるのが難しいかもしれません。……一刻も早く片付けて戻りますが、あまり私を焦らせないでくださいね。本当にルセリアの軍を極大魔法で消滅させてしまいかねませんから」
「あはは、だからそれはダメだってば。アルヴィーノ、お仕事なんだから、ちゃんとした手順で頑張ってきてね? 俺、お留守番してるから」

ルミが背伸びをしてアルヴィーノの頬に小さなキスを贈ると、魔王はそれだけでいくらか機嫌を直したように微笑み、翻るマントとともに屋敷を後にした。
主を見送った後、ルミは軽い素材の白いワンピースにひまわりの麦わら帽子をかぶり、屋敷の周辺の散策へと出かけた。
潮風に水色の長い髪を揺らしながら、のんびりと白壁の続く坂道を下っていると、ふと、広場の掲示板に貼られた一枚の鮮やかな木版刷りのチラシが目に留まる。

「……あ、これ、お祭りのチラシだ!」

そこには、色とりどりの提灯や露店の絵とともに、南国に伝わる伝統的な『夏祭り』の文字が躍っていた。
日付を確認すると、なんと今日。開催時間は夕方から夜にかけてで、これならもしアルヴィーノの演習が長引いたとしても、演習場から直接現地へ向かえば十分に間に合う時間だった。
王宮にいた頃は、立場上も身分上も、こうした賑やかな催しに足を運ぶ機会など一度もなかった。
マルタから聞いた、夜空に咲く大きな火の花――花火のお話。ずらりと並ぶ屋台の灯り。

(お祭り、行ってみたいなぁ……。アルヴィーノと一緒に、あの綺麗な火の花を見てみたい)

想像するだけで胸が高鳴る。
演習場の場所なら、昨日一緒に行ったからよく覚えている。
ルミはチラシを大切に折りたたんでポケットに仕舞うと、喜び勇んで演習場へと向かって走り出した。

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ルセリア共和国の広大な演習場。
じりじりと肌を焼くような暑さの中、戦況を模した殺気立った空気が張り詰めていた。

「――甘い。左翼の展開が三秒遅い。戦場であれば今の一瞬で、貴方方の命など塵と化していますよ」

指揮台の上に立つアルヴィーノの声は、完全に「慈悲なき軍師」のそれだった。
漆黒の軍服に身を包み、汗一つかかずに冷徹な指示を飛ばすその姿は、相変わらず圧倒的に格好よく、そして近づきがたい威圧感を放っている。
ルセリアの将兵たちは、そのあまりの冷酷な采配と、チェス盤の駒のように自分たちを追い詰めていく軍師の頭脳に、絶望的な疲弊を滲ませていた。
そんな演習場の入り口で、ルミはそわそわしながら立ち尽くしていた。
一応は「従者」としての体裁を保つため、演習の邪魔にならないよう配慮してはいるものの、白いワンピース姿で入り口を行ったり来たりする可憐な姿は、やはりこの血生臭い場所においてひどく目立っていた。

(アルヴィーノ、すごく真剣な顔をしてる……。お仕事の邪魔しちゃ、悪いかな……)

少し不安になって、麦わら帽子の庇を手で押さえながら見つめていると――。
ピク、と指揮台のアルヴィーノの眉が動いた。
数千人の兵士たちの動きを完璧に掌握していたはずの魔王は、入り口に愛しい水色の髪が揺れた瞬間、戦況図など完全にどうでもよくなったらしい。

「――演習を一時中断する。各自、その場で待機していなさい」

冷たく言い放つや否や、アルヴィーノは指揮台から信じられないほどの軽い足取りで下り、一直線にルミの元へと歩み寄ってきた。
すれ違う兵士たちが「な、何事だ……!?」と戦慄する中、アルヴィーノはルミの前まで来ると、周囲の目を気にして辛うじて抱きしめるのだけは堪えつつも、その紫の瞳を一瞬でとろけるような甘い熱で満たした。

「ルミ、どうしたのですか? 私に会いたくて、わざわざここまで来てくれたのですか? ああ、やはり私の天使は愛らしい……」
「あ、あのね、アルヴィーノ様。お仕事中にごめんなさい」

ルミは周囲の兵士たちの視線を意識して、慌てて「従者」としての呼び方に切り替えると、ポケットから折りたたんだチラシを取り出して見せた。

「街でこれを見つけたんです。今日、夏祭りがあるみたいで……。もし、今日のお仕事が終わったら、アルヴィーノ様と一緒に、そのお祭りに行ってみたいんです。ダメ……ですか?」

上目遣いで、水色の瞳を潤ませながらのおねだり。
その瞬間、アルヴィーノの中で「今日の演習をじっくり長引かせる」という選択肢は微塵も残らず消滅した。
最愛の伴侶が自分と共にお祭りを楽しみたがっている――それ以上の最優先事項など、この世界に存在するはずがない。

「……ダメなわけがないでしょう。分かりました。ルミ、そこに座って少しだけ待っていなさい」

アルヴィーノはルミの頭を優しく撫でると、くるりと指揮台の方へ振り返った。
その瞬間、彼から放たれたのは、先ほどまでとは比較にならないほどの【凶悪な魔力】と、底なしの暗黒のプレッシャーだった。
笑顔のまま、しかし紫の瞳からは完全に光が消え、文字通り「世界の終わり」を予感させる声音が演習場全体に響き渡る。

「ルセリアの諸君。急用ができました。これより、本日予定していたすべての『必須演習メニュー』を、最短時間で消化します」

「え……?」とルセリアの将軍が間抜けな声をあげる暇さえなかった。

「全軍、私を本気で怒らせたくなければ、死に物狂いでついてきなさい。使えない駒から順番に、容赦なく切り捨てて差し上げますから」

そこからは、演習という名の、ルセリア軍にとっての『地獄の饗宴』が始まった。
アルヴィーノは自身の手を汚すことなく、しかし神速の采配で兵たちを極限まで追い詰め、容赦のない速度で行軍と戦術展開を強要していった。
「右翼、遅い! 死にたいのですか!?」「陣形が乱れています、次やれば全員僻地送りです」と、冷酷非情な怒号が飛び交う。

兵士たちは汗と涙でボロボロになり、文字通り白目を剥きかけながら、魔王の課す超人的なメニューをこなしていく。
演習場には「ひ、ひいいぃっ……!」「助けてくれ……!」という悲鳴が絶え間なく響き渡り、彼らにとっては、まさに命がけの不条理な試練そのものだった。
そんな、あまりにも可哀想な兵士たちの猛特訓を、ルミは入り口のベンチに座って、少し申し訳なさそうに、けれど「やっぱりアルヴィーノは凄いなぁ」と尊敬の眼差しで見つめているのだった。
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