【新婚旅行編】二人だけの旅路に、世界で一番甘い口づけを
◆
出発の朝、王城の正面玄関には、重厚な意匠が施された漆黒の馬車が佇んでいた。
アルヴィーノは、いつも以上に厳格な、一点の曇りもない漆黒の豪華な軍服に身を包み、冷酷無比な軍師の仮面を完璧に被り直していた。
その背後には、白いロリータ服の上に、あちらの寒さに備えた上質な白い外套を羽織ったルミが、完璧な「私属の従者」として、一歩下がって静かに控えている。
二人の前には、王の衣装を纏ったアルフレッドが、護衛の騎士たちを従えて立っていた。
周囲には見送りの文官や将兵が並び、張り詰めた緊張感が漂っている。
「アルヴィーノ。北方の国境は我が国の要だ。演習の成功と、現地の確実な統治を期待しているよ」
公の場に相応しい、威厳に満ちた冷徹な声。
アルフレッドは弟へ、王としての激励の言葉をかけた。
「御意のままに、陛下。このアルヴィーノ・レイストール、貴方様の冷たき刃として、北方の憂いを根こそぎ断ち切って御覧に入れましょう」
アルヴィーノは流麗に一礼し、一切の私情を挟まない声音で応じた。
その傍らで、ルミもまた、訓練された見事な動作で深く頭を下げる。
周囲の者たちは、その徹底された主従の姿に、やはり第二王子とその従者は冷徹な絆で結ばれているのだと、改めて息を呑んでいた。
「ああ。出発してくれ」
アルフレッドの許しを得て、アルヴィーノは翻って馬車へと乗り込む。ルミがその後に続き、扉が重々しく閉められた。
御手の合図とともに、馬車がゆっくりと動き出す。
王城の重い鉄門をくぐり、二人の「新婚旅行」とも言える旅路が、ついに始まった。
◇
遠ざかっていく馬車の小さくなる轍の音を聴きながら、アルフレッドは小さく息を吐いた。
周囲の将兵たちに「各自、己の職務に戻れ」と冷徹に命じ、自身もまた、足早に王の執務室へと引き返す。
護衛を扉の外に待たせ、一人で室内に足を踏み入れた瞬間――アルフレッドは、どっと押し寄せた疲労感に、思わず自身の額を押さえた。
薔薇木の机の上には、すでに山のような書類が積み上がっている。それは全て、昨日までに届いた、あるいは今日これから処理しなければならない、貴族たちからの「第二王子の縁談に関する嘆願書」の山だった。
一人きりになった室内で、アルフレッドは素の顔に戻り、大きな溜息をついた。
「……本当に、人使いの荒い弟だよ」
ぽつり、と溢れた本音。
アルフレッドは、先ほど完璧な主従を演じていた二人の姿を思い返す。
周囲を欺く冷徹な顔の裏で、あの二人がどれほどお互いを想い合い、そしてどれほど必死に世界からその絆を隠しているか、兄である彼は痛いほど知っていた。
「『成果を上げるまでは如何なる縁談も受け付けない』って、公式に宣言しちゃったからね。……さて、これをどうやってあの欲深い貴族どもに納得させるか」
アルフレッドは机に向かい、一通の書状を手に取った。
王都の有力侯爵からのもので、第二王子の正妃の座を虎視眈々と狙っている男からの圧力が、遠回しな美辞麗句で綴られている。
アルヴィーノが北方の国境で完璧な成果を上げ、国を守る「冷たき刃」としての価値を証明し続ける。
それが、二人が王都の喧騒から逃れるための大義名分だ。
しかし、その大義名分を貴族たちの前に突きつけ、誰一人として文句を言わせないように盾となって立ち塞がるのは、王であるアルフレッドの役目だった。
「あいつが国境を掌握する二ヶ月の間、僕がこの王都の泥沼を完璧に堰き止めなきゃいけないわけだ。……もし僕が失敗してあいつらの関係がバレたら、アルヴィーノは今度こそ、この国ごと僕を滅ぼしにかかるだろうからね」
冗談めかして呟きながらも、アルフレッドの瞳には、現王としての冷徹な覚悟が宿っていた。
かつて傷つけ合い、泥沼の確執を経て、ようやく掴み取った兄弟の和解。
そして、不器用で冷酷だった弟が、ルミという唯一無二の伴侶を得て、ようやく手に入れた人間らしい幸福。
兄として、それを守り通してやるのが、過去の贖罪であり、今の自分にできる最大の情だった。
「……ま、あっちに行けば、王都の目もないし、二人で少しは甘い時間でも過ごせてるだろ。その分のツケが、全部僕に回ってきてると思えば……安いもの、かな」
アルフレッドは苦笑しながら羽ペンを手に取ると、鋭い手つきで貴族たちへの「拒絶の返答書」を執筆し始めた。
「待っててよ、アルヴィーノ、ルミくん。君たちの唯一の場所は、この僕が完璧に守ってあげるからさ」
王都に残された兄の、誰にも見せない奮闘の火蓋が、今ここに切って落とされたのだった。
出発の朝、王城の正面玄関には、重厚な意匠が施された漆黒の馬車が佇んでいた。
アルヴィーノは、いつも以上に厳格な、一点の曇りもない漆黒の豪華な軍服に身を包み、冷酷無比な軍師の仮面を完璧に被り直していた。
その背後には、白いロリータ服の上に、あちらの寒さに備えた上質な白い外套を羽織ったルミが、完璧な「私属の従者」として、一歩下がって静かに控えている。
二人の前には、王の衣装を纏ったアルフレッドが、護衛の騎士たちを従えて立っていた。
周囲には見送りの文官や将兵が並び、張り詰めた緊張感が漂っている。
「アルヴィーノ。北方の国境は我が国の要だ。演習の成功と、現地の確実な統治を期待しているよ」
公の場に相応しい、威厳に満ちた冷徹な声。
アルフレッドは弟へ、王としての激励の言葉をかけた。
「御意のままに、陛下。このアルヴィーノ・レイストール、貴方様の冷たき刃として、北方の憂いを根こそぎ断ち切って御覧に入れましょう」
アルヴィーノは流麗に一礼し、一切の私情を挟まない声音で応じた。
その傍らで、ルミもまた、訓練された見事な動作で深く頭を下げる。
周囲の者たちは、その徹底された主従の姿に、やはり第二王子とその従者は冷徹な絆で結ばれているのだと、改めて息を呑んでいた。
「ああ。出発してくれ」
アルフレッドの許しを得て、アルヴィーノは翻って馬車へと乗り込む。ルミがその後に続き、扉が重々しく閉められた。
御手の合図とともに、馬車がゆっくりと動き出す。
王城の重い鉄門をくぐり、二人の「新婚旅行」とも言える旅路が、ついに始まった。
◇
遠ざかっていく馬車の小さくなる轍の音を聴きながら、アルフレッドは小さく息を吐いた。
周囲の将兵たちに「各自、己の職務に戻れ」と冷徹に命じ、自身もまた、足早に王の執務室へと引き返す。
護衛を扉の外に待たせ、一人で室内に足を踏み入れた瞬間――アルフレッドは、どっと押し寄せた疲労感に、思わず自身の額を押さえた。
薔薇木の机の上には、すでに山のような書類が積み上がっている。それは全て、昨日までに届いた、あるいは今日これから処理しなければならない、貴族たちからの「第二王子の縁談に関する嘆願書」の山だった。
一人きりになった室内で、アルフレッドは素の顔に戻り、大きな溜息をついた。
「……本当に、人使いの荒い弟だよ」
ぽつり、と溢れた本音。
アルフレッドは、先ほど完璧な主従を演じていた二人の姿を思い返す。
周囲を欺く冷徹な顔の裏で、あの二人がどれほどお互いを想い合い、そしてどれほど必死に世界からその絆を隠しているか、兄である彼は痛いほど知っていた。
「『成果を上げるまでは如何なる縁談も受け付けない』って、公式に宣言しちゃったからね。……さて、これをどうやってあの欲深い貴族どもに納得させるか」
アルフレッドは机に向かい、一通の書状を手に取った。
王都の有力侯爵からのもので、第二王子の正妃の座を虎視眈々と狙っている男からの圧力が、遠回しな美辞麗句で綴られている。
アルヴィーノが北方の国境で完璧な成果を上げ、国を守る「冷たき刃」としての価値を証明し続ける。
それが、二人が王都の喧騒から逃れるための大義名分だ。
しかし、その大義名分を貴族たちの前に突きつけ、誰一人として文句を言わせないように盾となって立ち塞がるのは、王であるアルフレッドの役目だった。
「あいつが国境を掌握する二ヶ月の間、僕がこの王都の泥沼を完璧に堰き止めなきゃいけないわけだ。……もし僕が失敗してあいつらの関係がバレたら、アルヴィーノは今度こそ、この国ごと僕を滅ぼしにかかるだろうからね」
冗談めかして呟きながらも、アルフレッドの瞳には、現王としての冷徹な覚悟が宿っていた。
かつて傷つけ合い、泥沼の確執を経て、ようやく掴み取った兄弟の和解。
そして、不器用で冷酷だった弟が、ルミという唯一無二の伴侶を得て、ようやく手に入れた人間らしい幸福。
兄として、それを守り通してやるのが、過去の贖罪であり、今の自分にできる最大の情だった。
「……ま、あっちに行けば、王都の目もないし、二人で少しは甘い時間でも過ごせてるだろ。その分のツケが、全部僕に回ってきてると思えば……安いもの、かな」
アルフレッドは苦笑しながら羽ペンを手に取ると、鋭い手つきで貴族たちへの「拒絶の返答書」を執筆し始めた。
「待っててよ、アルヴィーノ、ルミくん。君たちの唯一の場所は、この僕が完璧に守ってあげるからさ」
王都に残された兄の、誰にも見せない奮闘の火蓋が、今ここに切って落とされたのだった。