【バカンス編】真夏の楽園に、世界で一番甘い休日を
翌朝。
新王アルフレッドの執務室の扉は、ノックの音もそこそこに、背筋が凍るような威圧感とともに押し開けられた。
「兄上。南方のルセリア共和国との合同軍事演習、および国境地帯の査察を私に命じてください。本日、これより出発します」
入室するなり、机に一通の「遠征嘆願書」を叩きつけたアルヴィーノを前に、アルフレッドは持っていた万年筆をぽろりと落とした。
金髪碧眼の麗しき新王の目の下には、くっきりと濃い隈が刻まれている。
前回の「代理国王事件」でアルヴィーノが更地にした主要貴族たちの戦後処理が、いまだに終わっていないのだ。
「……待ってくれ、アルヴィーノ。南方のルセリア? あそこは今、我が国との関係も安定しているし、合同演習の予定なんて半年先のはずだが……」
「前倒しにします。あの地域の治安維持には、私の『魔王』としての威を直に見せつけておくのが最適解だ。異論は認めません」
一切の妥協を許さない、冷徹極まる紫の瞳。
しかし、長年の付き合いであるアルフレッドには、その傲岸不遜な態度の裏にある「真の目的」が透けて見えていた。
ルセリア共和国といえば、大陸でも有数の美しい海岸線を持つ、常夏の海洋国家である。
アルフレッドは深く、深いため息をつき、頭を抱えた。
「……ルミくんだね? ルミくんが『海を見たい』とでも言ったんだろう?」
「察しが良くて助かります、陛下。ならば話は早い、すぐに可決を」
「ふざけないでおくれよ!!」
ついにアルフレッドが叫んだ。
それは王としての威厳をかなぐり捨てた、一人の兄としての、そして過労死寸前の男の悲痛な叫びだった。
「君が留守中にやらかしてくれた大粛清のせいで、僕がどれだけ不眠不休で働いているか分かっているのかい!? 地方貴族の宥め役に、新しい役人の選定、これ全部僕がやってるんだよ!?」
「それは王である貴方の仕事です」
「僕だってハネムーンの余韻も吹き飛んで、今すぐすべてを放り出してその綺麗な海に行きたいくらいだよ! なのに君は、自分だけルミくんを連れて二度目の新婚旅行に行こうだなんて……! 頼むから、せめてこの書類の山が片付くまで待ってくれ!」
アルフレッドがここまで感情を露わにするのは珍しかった。
まさに胃痛が限界突破している証拠である。
だが、慈悲なき軍師の心には、兄の涙ながらの訴えなど微塵も響かない。
「却下します。夏の海は今しかありません。私の天使が今、行きたいと仰ったのです。それを引き延ばすなど、万死に値する」
「万死するのは僕の胃だよ!!」
アルヴィーノは冷ややかに鼻で笑うと、すっと腰の剣に手をかけた。
その周囲の大気が、パチパチと極大魔法の予兆である濃密な魔力で歪み始める。
「……兄上。私は『願い出ている』のではありません。『通告』しているのです。もしこれ以上、私のルミへの奉仕を邪魔立てするというのなら……この王宮を、一度本当の『更地』に落とさねばならなくなりますが?」
「っ……!?」
笑顔のまま、一切の冗談抜きで「王宮破壊」を仄めかす弟の眼光に、アルフレッドは戦慄した。
魔力においても武力においても、この「魔王」に勝てる者はこの国に存在しない。
そして今のアルヴィーノは、ルミのためなら本当にその禁忌の力を振るいかねない狂気を孕んでいる。
「……わ、分かった。分かったから、魔法の構築を解いてくれ……。許可する、許可するから……!」
アルフレッドは震える手で承認の印を押し、書類を差し出した。
それを受け取ったアルヴィーノは、先ほどまでの凶悪な魔力を一瞬で霧散させ、完璧に洗練された一礼を披露する。
「賢明なご判断です、陛下。では、二ヶ月ほど留守にしますので。……ああ、追ってルミの分の特製水着の費用を国庫に請求しておきます。では」
「二ヶ月!? 演習は一週間で終わるよね!? あと水着って何だい、公費で落とせるわけないだろう――ちょっと、アルヴィーノ!!」
主の悲鳴を置き去りに、漆黒の軍師は翻るマントとともに、軽やかな足取りで執務室を後にした。
新王アルフレッドの執務室の扉は、ノックの音もそこそこに、背筋が凍るような威圧感とともに押し開けられた。
「兄上。南方のルセリア共和国との合同軍事演習、および国境地帯の査察を私に命じてください。本日、これより出発します」
入室するなり、机に一通の「遠征嘆願書」を叩きつけたアルヴィーノを前に、アルフレッドは持っていた万年筆をぽろりと落とした。
金髪碧眼の麗しき新王の目の下には、くっきりと濃い隈が刻まれている。
前回の「代理国王事件」でアルヴィーノが更地にした主要貴族たちの戦後処理が、いまだに終わっていないのだ。
「……待ってくれ、アルヴィーノ。南方のルセリア? あそこは今、我が国との関係も安定しているし、合同演習の予定なんて半年先のはずだが……」
「前倒しにします。あの地域の治安維持には、私の『魔王』としての威を直に見せつけておくのが最適解だ。異論は認めません」
一切の妥協を許さない、冷徹極まる紫の瞳。
しかし、長年の付き合いであるアルフレッドには、その傲岸不遜な態度の裏にある「真の目的」が透けて見えていた。
ルセリア共和国といえば、大陸でも有数の美しい海岸線を持つ、常夏の海洋国家である。
アルフレッドは深く、深いため息をつき、頭を抱えた。
「……ルミくんだね? ルミくんが『海を見たい』とでも言ったんだろう?」
「察しが良くて助かります、陛下。ならば話は早い、すぐに可決を」
「ふざけないでおくれよ!!」
ついにアルフレッドが叫んだ。
それは王としての威厳をかなぐり捨てた、一人の兄としての、そして過労死寸前の男の悲痛な叫びだった。
「君が留守中にやらかしてくれた大粛清のせいで、僕がどれだけ不眠不休で働いているか分かっているのかい!? 地方貴族の宥め役に、新しい役人の選定、これ全部僕がやってるんだよ!?」
「それは王である貴方の仕事です」
「僕だってハネムーンの余韻も吹き飛んで、今すぐすべてを放り出してその綺麗な海に行きたいくらいだよ! なのに君は、自分だけルミくんを連れて二度目の新婚旅行に行こうだなんて……! 頼むから、せめてこの書類の山が片付くまで待ってくれ!」
アルフレッドがここまで感情を露わにするのは珍しかった。
まさに胃痛が限界突破している証拠である。
だが、慈悲なき軍師の心には、兄の涙ながらの訴えなど微塵も響かない。
「却下します。夏の海は今しかありません。私の天使が今、行きたいと仰ったのです。それを引き延ばすなど、万死に値する」
「万死するのは僕の胃だよ!!」
アルヴィーノは冷ややかに鼻で笑うと、すっと腰の剣に手をかけた。
その周囲の大気が、パチパチと極大魔法の予兆である濃密な魔力で歪み始める。
「……兄上。私は『願い出ている』のではありません。『通告』しているのです。もしこれ以上、私のルミへの奉仕を邪魔立てするというのなら……この王宮を、一度本当の『更地』に落とさねばならなくなりますが?」
「っ……!?」
笑顔のまま、一切の冗談抜きで「王宮破壊」を仄めかす弟の眼光に、アルフレッドは戦慄した。
魔力においても武力においても、この「魔王」に勝てる者はこの国に存在しない。
そして今のアルヴィーノは、ルミのためなら本当にその禁忌の力を振るいかねない狂気を孕んでいる。
「……わ、分かった。分かったから、魔法の構築を解いてくれ……。許可する、許可するから……!」
アルフレッドは震える手で承認の印を押し、書類を差し出した。
それを受け取ったアルヴィーノは、先ほどまでの凶悪な魔力を一瞬で霧散させ、完璧に洗練された一礼を披露する。
「賢明なご判断です、陛下。では、二ヶ月ほど留守にしますので。……ああ、追ってルミの分の特製水着の費用を国庫に請求しておきます。では」
「二ヶ月!? 演習は一週間で終わるよね!? あと水着って何だい、公費で落とせるわけないだろう――ちょっと、アルヴィーノ!!」
主の悲鳴を置き去りに、漆黒の軍師は翻るマントとともに、軽やかな足取りで執務室を後にした。