【代理国王編】王の不在に、世界で一番冷たい采配を

その日、レイストール王宮の大広間は、数日前とは比べものにならないほどの静寂――否、極限の恐怖による絶望に支配されていた。

謁見の間、玉座の代わりに用意された豪奢な椅子に、アルヴィーノは深く背を預けていた。
漆黒の軍服のボタンを上まで厳格に留め、長い脚をこれみよがしに組み、頬杖をついている。少し癖のある紫の髪の隙間から覗く、細く切れ長の瞳は、まるで路傍の石ころを見るかのように冷淡で、完全に色を失っていた。

「……以上が、南部街道の整備に関する、我が派閥からの具申にございます。何卒、何卒前向きなご検討を……」

絨毯に額を擦り付けんばかりに平伏しているのは、王都でも名のある侯爵だった。ルミに命を救われた貴族たちの噂を聞きつけ、「今の殿下なら、少しは話を聞いてくれるはずだ」と、己の利権をねじ込もうと必死に言葉を紡いでいた。

しかし、アルヴィーノは彼が話し終えても、視線すら動かさない。
ただ退屈そうに、組んだ脚の爪先を小さく揺らすだけだった。

「……殿下?」

侯爵が恐る恐る顔を上げた、その瞬間。
大広間の気温が、一気に氷点下まで叩き落とされたかのような錯覚が一同を襲った。

「退屈ですね」

低く、美しく、そして一切の感情が削ぎ落とされた声が響く。

「ルミに免じて、貴方たちの無能な言葉にも耳を貸してやろうと思いましたが……やはりゴミの戯言はどこまで行ってもゴミだ。時間の無駄でしかない」

「な、……ッ!?」

貴族たちは一斉に息を呑み、周囲を見回した。
いつもなら、この冷酷な魔王の暴走を止めてくれる、あの「水色の髪の天使」の姿が、アルヴィーノの背後にも、部屋のどこにもいなかったからだ。

そう、今日のアルヴィーノの傍らには、ルミがいない。

ここ数日、アルヴィーノを宥めるために不慣れな政治の場に立ち会い、貴族たちから「ルミ様、どうか殿下を!」と難しい陳情や建前をたくさん聞かされ続けたルミは、すっかり知恵熱を出してしまっていた。魔力は高くとも使いこなせず、研究所で心を閉ざしていたルミにとって、王宮のドロドロとした人間関係はあまりにも負担が大きすぎたのだ。

今、ルミは私室のベッドのなかで、すやすやと眠って疲れを癒やしている。
アルヴィーノは、愛する伴侶が自分のせいで心身を摩耗させたことに、内心激しい憤りと、そして抑えきれない独占欲の飢餓感を覚えていた。

ルミという唯一の「首輪」を失った魔王を止める術など、この国には存在しない。

「勘違いをしている者が多いようですが」

アルヴィーノはゆっくりと頬杖を外し、細い紫の瞳をギラリと光らせた。凄まじい全属性の魔力の波動が、無詠唱のまま大広間のステンドグラスをガタガタと震わせる。

「私がルミの言葉に耳を傾けるのは、ルミが私の『伴侶』であり、私の世界のすべてだからです。貴方たち無能な駒の命に価値があるからではない。……そのルミを、貴方たちは言葉の暴力で疲れさせ、眠らせた。万死に値する、と言ってもまだ足りない」

「ひ、ひえっ……!」

「本日をもって、南部の利権を主張した貴族一派の資産をすべて凍結します。使えない駒どころか、私の邪魔をする障害物だ。……一時間以内に王都から出ていきなさい。拒むのであれば、今ここで私の極大魔法の塵となりなさい」

「そんな、暴君だ……! 傍若無人すぎる……!!」

一人の貴族が絶望のあまり叫んだ。
しかし、アルヴィーノは酷薄な笑みを浮かべるだけだった。

「ええ、暴君で結構。我が兄、アルフレッド王が戻られるまで、この国を統治するのは私だ。私のチェス盤の上で、私のルールに従えないゴミは、その場で間引く。……兵を動かすまでもありません。私の影(闇魔法)で、今すぐその口を永遠に閉じさせてあげましょうか?」

アルヴィーノが右手を僅かに上げると、貴族たちの足元の影が、まるで生き物のように蠢き、鋭い刃の形を成して彼らの首元へと伸びた。禁術すら操る男の本気のプレッシャーの前に、貴族たちは声を上げることすらできず、涙を流して首を振るしかなかった。

「……失せなさい」

冷徹な一喝。貴族たちは腰を抜かし、這いつくばりながら、開かれた扉から一斉に逃げ惑っていった。
ルミという光を失った王宮は、名実ともに「魔王アルヴィーノ」の独裁国家と化していた。

――数時間後。

すべての政務を冷酷非情に、かつ完璧に捌き切ったアルヴィーノは、無人の執務室を後にし、足早に二人の私室へと戻っていた。

重厚な扉を静かに開け、足音を完全に消してベッドへと近づく。
そこには、腰まである美しい水色の髪を乱し、白いシーツに包まれて小さく息を立てているルミの姿があった。

その瞬間、アルヴィーノの顔から「傍若無人な暴君」の仮面が完全に剥ぎ取られた。
蕩けるような、深く、そして狂おしいほどの愛おしさに満ちた瞳で、アルヴィーノはルミの枕元に膝を突く。

「……ルミ」

低く甘い声で呼びかけながら、ルミの透き通るような肌に、そっと指先で触れる。
すると、ルミの水色の長い睫毛が微かに揺れ、寝ぼけ眼の水色の瞳がアルヴィーノを捉えた。

「ん……ぁ、アルヴィーノ……? お仕事、おわったの……?」

「ええ、終わりましたよ。私の天使。貴方を疲れさせる有象無象どもは、すべて私の手で片付けてきました」

アルヴィーノはシーツごとルミの小柄な体を抱き上げ、その胸に強く、愛おしそうに抱きしめた。オブラートに包むことのない激重な感情が、言葉となって溢れ出す。

「貴方のいない玉座など、ただの退屈な箱でしかなかった。貴方の声が聞けない時間は、私にとって地獄そのものです。……よく頑張ってくれましたね、ルミ。もう、あの無能どもの相手をする必要はありません。私がすべてを捩じ伏せ、排除しましたから」

ルミはまだ頭が回らない様子で、アルヴィーノの漆黒の軍服の胸元に顔を埋め、ふにゃりと笑った。

「えへへ……アルヴィーノ、怒ってない? 俺、途中で寝ちゃって、ごめんね……」

「怒るはずがありません。貴方がこうして私の腕の中で息をしてくれているだけで、私は救われるのです。……さあ、私がいない間に冷えてしまった貴方の身体を、私がたっぷりと温めてあげましょう」

アルヴィーノはルミの額や頬、そして柔らかい唇に、何度も、何度も深い口づけを落としていく。
外の世界でどれほど「傍若無人な魔王」と恐れられようとも、この私室の中、ルミの腕の中にいる時だけが、アルヴィーノにとっての唯一の真実だった。

「アルヴィーノ、だーいすき……」

「ええ、私も貴方を愛しています。私の命のすべてを賭けて」

王宮を震撼させた暴君の夜は、最愛の伴侶を溺愛する、甘く濃密な沈黙へと溶けていくのだった。
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