【代理国王編】王の不在に、世界で一番冷たい采配を

それからさらに数日が経過した王宮は、いよいよ限界に近い緊張感に包まれていた。

毎日誰かの首が飛び、役職が剥奪される。張り詰めすぎた空気に、王宮の廊下を行き交う貴族たちの顔は一様に土気色を帯び、誰もが「次は我が身か」と怯えきっていた。

そんなある日の午後、重苦しい王宮の回廊の物陰で、数人の貴族たちが声を潜めて深刻な話し合いをしていた。

「……これ以上、アルヴィーノ殿下の独裁を許しては、我が国は崩壊してしまう」
「しかし、あの御方に異を唱えれば即座に『使えない駒』として間引かれるだけだ。正論も武力も通じない。一体どうすれば……」

絶望的な溜息が漏れる中、一人の文官が周囲を警戒しながら、さらに声を潜めて囁いた。

「……実は、ここだけの話がある。あの『魔王』にも、唯一の抜け穴があるという噂だ」
「何だと? 抜け穴だと!?」
「静かに! ……殿下が連れておられる、あの水色の髪の従者……ルミという少年をご存知か?」
「ああ、いつも白い服を着ている、あの……」
「あの冷酷非情な殿下が、ルミの言葉にだけは滅法弱いらしいのだ。ルミの言うことならどんな無理難題でも耳を貸す。ルミの言うことだけは絶対に聞く……。王宮の奥の給仕たちが、そう密かに噂している」

貴族たちは目を見張った。あの絶対的な氷の軍師を動かす鍵が、そんな、魔力の使い方もおぼつかない小柄な従者にあるというのか。にわかには信じがたい話だったが、背に腹は代えられない。

「そのルミという少年は、今どこにいる!?」
「確か、今は裏庭で、殿下の部屋に飾る花を剪定しているはずですが……」
「行くぞ! 我らの命運をその少年に賭けるのだ!」

貴族たちは藁にも縋る思いで、一斉に裏庭へと向かった。

――その頃、王宮の瑞々しい裏庭では。

「うーん、このお花、アルヴィーノのお部屋に飾ったら綺麗かなぁ……?」

腰まである美しい水色の髪を揺らし、ルミは小さな手でハサミを握りながら、楽しそうに花を選んでいた。アルヴィーノを喜ばせたい一心で、一輪一輪、真剣に見つめている。公の場であるため白い従者服を着てはいるが、その無邪気で可憐な佇まいは、血生臭い王宮の中でそこだけが別の世界のようだった。

そこへ、ドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。

「ルミ殿……! ルミ殿とお見受けする!」

「ひゃうっ!?」

突然、必死の形相をした見ず知らずの貴族たちがドッと押し寄せてきて、ルミは驚きのあまり小さな悲鳴を上げて一歩後退りした。

貴族たちは、ルミを包囲するようにして次々とその場に膝を突いた。彼らの顔は青ざめ、必死さを通り越してどこか悲壮感すら漂っている。

「お願いだ、ルミ殿! 我らをお救いいただきたい!」
「え、ええっ!? お、俺が……ですか?」
「そうだ! アルヴィーノ殿下の暴政を止められるのは、この世で貴方しかいないのだ!」

ルミはハサミを胸元で抱きしめたまま、水色の大きな瞳をぱちくりとさせた。

「あ、あの……アルヴィーノが、何かしたんですか?」
「何かした、どころではない! 昨日は西部の徴税官が罷免され、一昨日は内務部の高官が領地へ追放された! 殿下は我ら貴族を『無能なゴミ』と呼び、一切の慈悲もなく切り捨てておられるのだ!」
「このままでは、王都の貴族は全滅してしまう! ルミ殿、貴方から殿下に『もう少し優しくしてほしい』と言っていただけないだろうか! 殿下なら、貴方の言葉なら必ず聞き届けてくださるはずだ!」

口々に縋り付いてくる貴族たちを見て、ルミは少しだけ困ったように眉を下げた。

(アルヴィーノ、やっぱりまたみんなを怖がらせちゃってるんだな……)

ルミは、アルヴィーノが兄であるアルフレッド王のために、あえて泥を被って「悪い仕事」を完璧にこなしていることを知っている。だから、アルヴィーノのやり方を頭ごなしに否定するつもりはなかった。
けれど、こうして目の前で大の大人が涙目を浮かべて震えているのを見ると、少しだけ可哀想にもなってしまう。

「……分かりました。俺、アルヴィーノにお話してみます」

ルミがこくりと頷くと、貴族たちの顔に劇的な歓喜の光が宿った。
「おお……! 届いた、我らの声が届いたぞ……!」
「ルミ殿、いや、ルミ様! 感謝いたします!」

彼らがルミを神仏のように拝み倒そうとした、その瞬間だった。

背後から、大気を一瞬で凍りつかせるような、底冷えする声が響いた。

「――私の許可なく、私のルミに群がるとは何事ですか。ゴミ虫ども」

「ひっ……!?」

貴族たちの背筋に強烈な悪寒が走った。
振り返ると、そこには漆黒の軍服を纏ったアルヴィーノが立っていた。細く切れ長の深い紫色の瞳には、地の底よりも深い殺意が宿っている。彼から放たれる圧倒的な魔力のプレッシャーにより、周囲の草花が恐怖で戦慄くように一斉に伏せた。

「で、殿下……っ!?」
「貴方たちが無能な頭を捻って、私のルミを巻き込もうと画策していたことは筒抜けです」

アルヴィーノはゆっくりと歩み寄り、貴族たちの前に立ちはだかるようにしてルミを背後に隠した。その独占欲に満ちた瞳は、ルミに触れようとした貴族たちを今すぐ極大魔法で消し飛ばさんばかりの威圧感を放っている。

「私のルールを忘れたのですか? 使えない駒は間引く。ルミを脅し、その清らかな心を煩わせようとしたその罪……万死に値する」

アルヴィーノが静かに右手を持ち上げた。無詠唱で発動しかけている極大魔法の余波で、周囲の空間が不穏に歪み始める。貴族たちは「終わった」と絶望し、その場にへたり込んだ。

しかし、その漆黒の袖を、後ろからクイクイと引っ張る小さな手があった。

「アルヴィーノ、だめだよ。みんな、俺を苛めに来たわけじゃないもん」

「……ルミ?」

ルミの声が響いた瞬間、あれほど禍々しかった魔力のプレッシャーがピタリと止まった。アルヴィーノは驚くほどの素早さで振り返り、眉を下げてルミを見つめる。

「ですがルミ、この男たちは貴方を利用しようと――」
「ううん、みんなすごく困ってたの。アルヴィーノがお仕事頑張りすぎて、怖くて夜も眠れないんだって。……アルヴィーノ、お仕事が早いのは凄く格好いいけど、みんなが怖がりすぎてお仕事にならなくなったら、アルフレッド様も困っちゃうよ?」

ルミは水色の瞳でまっすぐにアルヴィーノを見上げ、優しく微笑んだ。
「だからね、もう少しだけ、みんなにお優しくお話ししてあげて? ね?」

首を少し傾げて、おねだりするように見つめるルミ。
その破壊力は、世界最強の軍師の理性を一瞬で消し飛ばすのに十分すぎた。

アルヴィーノの深い紫色の瞳が、みるみるうちに蕩けるような甘い熱で満たされていく。

「……っ、ああ。貴方がそう望むのであれば、私の天使。貴方の言葉は、私にとって世界の何よりも絶対の法です」

アルヴィーノは先ほどまでの冷酷さを完全に霧散させ、ルミの手をそっと取って愛おしそうに口づけを落とした。オブラートに包まない激重な愛の視線をこれでもかと注ぎ、とろけるような声を出す。

「分かりました。彼らの命は、貴方の慈悲によって免じましょう。……おい、貴方たち」

アルヴィーノは貴族たちの方へ向き直った。その声は依然として冷たかったが、先ほどの殺意は消えている。

「ルミの寛大さに感謝しなさい。今後、職務に真摯に向き合うのであれば、発言の機会くらいは与えてあげます。ですが、二度とルミに近づき、その手を煩わせることは許しません。……分かりたら、失せなさい」

「は、はいぃぃっ! ありがたき幸せにございます!」

貴族たちは文字通り脱兎のごとく、転がるようにして裏庭から逃げ出していった。
(噂は本当だった……! あの魔王を飼い慣らす、水色の髪の天使が本当にいたんだ……!)と、ルミへの終生変わらぬ感謝を胸に刻み込みながら。

静かになった裏庭で、アルヴィーノはすぐにルミの細い腰を引き寄せ、その胸に抱きとめた。

「ルミ、貴方は優しすぎる。あの者たちはただの有象無象の駒だというのに」
「えへへ……でも、アルヴィーノが怒ってるところ、あんまり見たくないんだもん。俺の前では、優しいアルヴィーノでいてほしいな」

ルミが胸元に顔を埋めてそう呟くと、アルヴィーノの胸に言葉にできないほどの熱い感情が爆発する。

「ああ、ルミ……! なんという愛らしいことを。貴方の前では、私はいつでも貴方だけの忠実な下僕であり、伴侶です。……予定よりも早く執務を終わらせます。今夜は、私をたっぷりと甘やかしてくださいね」

「うん……! アルヴィーノ、いつもお疲れ様」

白い従者服を纏ったルミを、漆黒の軍服の腕で壊れ物のように強く抱きしめながら、アルヴィーノは心底幸せそうに目を細めるのだった。
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