【代理国王編】王の不在に、世界で一番冷たい采配を
王宮の最上階に位置する執務室には、沈黙だけが重く支配していた。
大きな執務机を挟み、二人の男が対峙している。
一人は、金髪碧眼の輝かしい容姿に、白を基調とした豪奢な王族服を纏った新王、アルフレッド・レイストール。
そしてもう一人は、少し癖のある紫の髪に、切れ長の深い紫色の瞳。漆黒の軍服に身を包んだ第二王子にして軍師、アルヴィーノ・レイストール。
アルフレッドは、普段の朗らかな笑みを少しだけ申し訳なさそうな形に変え、机の上に一通の書状を滑らせた。
「――というわけでね、アルヴィーノ。僕が彼女と二週間ほど王都を離れる間、代理国王としてこの国の差配を任せたいんだ」
アルヴィーノは机の上の書状に視線すら落とさず、ただ冷徹な瞳で兄を見据えた。その凍てつくような眼差しは、戦場で数多の敵兵を恐怖させてきた「魔王」そのものの威圧感を放っている。
「……正気ですか、兄上。いえ、陛下。貴方がよき理解者たる婚約者を迎え、その絆を深めるための『新婚旅行』という名目自体を否定するつもりはありません。しかし、この私に玉座に座れと? 私は貴方の『隠し刃』であり、戦場を統治する軍師です。光の中に立つ王の器ではない」
「形だけでいいんだよ。それに、今のレイストール王国で、僕が留守の間を完全に統治できるだけの実力と頭脳を持っているのは、君しかいない。これは僕からの頼みであり、王命だ」
アルフレッドは毅然とした態度で言った。かつては優しさだけで国を治めようとしていた彼だったが、紆余曲折を経て、王としての冷徹な一面と威厳を身につけている。魔力や武力ではアルヴィーノに遠く及ばずとも、その瞳にある王の覚悟は、アルヴィーノであっても無視できるものではなかった。
アルヴィーノは小さく息を吐き、切れ長の目を細める。
「不服ですね。私が玉座の代理に座れば、王都の無能な貴族どもは生きた心地がしないでしょう。私が彼らを『使えない駒』として間引き、この国が血の海になっても文句は言わないと言い切れますか」
「君がそんな非効率な真似はしないと信じているよ。チェスの盤面を動かすように、完璧に、かつ冷酷に処理してくれるはずだ」
アルフレッドはふっと悪戯っぽく笑い、声を潜めた。
「それにね、アルヴィーノ。君が北方の査察から戻ってきて以来、ルミくんとの時間が少し減っていただろう? 王都の貴族たちの目は厳しく、主従の仮面を被り続けるのも窮屈なはずだ。……君が代理国王としてこの執務室に籠もるなら、君の専属の給仕として、誰を指名しても僕は文句を言わないよ」
その言葉に、アルヴィーノの眉が僅かに動いた。
底冷えするようだった紫の瞳に、ほんの少しだけ、酷薄でありながらも確かな熱が宿る。
「……なるほど。交換条件としては、悪くない」
「交渉成立だね。頼んだよ、僕の頼もしい弟」
アルフレッドは満足そうに微笑み、その翌日、よき理解者である婚約者を伴って、静かに王都を発っていった。
――それから数日後。
主を失ったはずの国王の執務室は、アルフレッドがいた頃よりも遥かに張り詰めた、恐ろしいほどの緊張感に包まれていた。
玉座に、浅く腰を下ろしている男がいる。
漆黒の軍服の袖を僅かに捲り、頬杖をつきながら書類に目を通すアルヴィーノ。その姿は、王というよりも、国を裏から支配する冷徹な支配者――まさに「魔王」そのものの風格であった。
「次」
低く、美しくも冷酷な声が室内に響く。
直立不動で控えていた文官が、震える手で次の書類を差し出した。
「は、はい……! こちら、東部領地からの免税申請書でございます。昨年の凶作を理由に――」
「却下です」
アルヴィーノは書類を一瞥しただけで、サインをすることなく突き返した。
「東部の領主は昨年の秋、王都の夜会で新調した馬車を自慢していましたね。凶作で苦しむ民から絞り上げ、私腹を肥やすような無能の言葉に耳を傾ける価値はありません。これ以上、私に無駄な書類を読ませるな。その領主には、一週間以内に帳簿のすべてを開示するよう通達を。拒む、あるいは不正が見つかった場合は……その首を挿げ替えます。私が直接手を下すまでもない、兵を動かしなさい」
「ひっ……! 畏まりました!」
文官は青い顔をして、逃げるように執務室を退室していった。
アルヴィーノにとって、政治も戦場も同じだった。無能な駒は捨て、有能な駒を適材適所に配置する。彼の頭脳の冴え渡るチェス盤の上で、レイストール王国の国務は、アルフレッドの時代よりも遥かに迅速に、そして容赦なく処理されていく。
張り詰めた空気の中、アルヴィーノは疲れた様子も見せず、ただ静かに溜息を漏らした。
「……退屈ですね。やはり、私はこの席に向いていない」
その時、トントン、と控えめなノックの音が響いた。
入室を許可する声をかけるより早く、重厚な扉が僅かに開く。隙間から顔を覗かせたのは、腰まである美しい水色の髪と、透き通るような水色の瞳を持った、小柄で愛らしい少年――ルミだった。
「アルヴィーノ様、失礼します……お茶をお持ちしました」
公の場であるため、ルミはいつもの可愛いロリータ服ではなく、仕立ての良い白い従者服を身に纏っていた。しかし、その無邪気で可憐な雰囲気は隠せるものではない。
ルミが室内に入り、扉が完全に閉まった瞬間。
それまで室内に満ちていた「魔王」の冷徹な威圧感が、霧散するように消え去った。
アルヴィーノの切れ長の目が、一瞬にして蕩けるような、甘く深い熱を帯びる。
「ルミ。わざわざ貴方が運んできてくれたのですか」
「うん! アルヴィーノ、ずっとお仕事ばっかりで心配だったから。はい、これ、お兄ちゃん……じゃなくて、アルフレッド様から教えてもらった、アルヴィーノの好きなハーブティーだよ」
ルミはトレイを机に置くと、嬉しそうに微笑んだ。
私室ではないものの、ここは完全に人目を遮断した空間だ。ルミが親しみを込めて「アルヴィーノ」と名前を呼ぶと、アルヴィーノは我慢ができないと言わんばかりに、長い腕を伸ばしてルミの細い腰を引き寄せた。
「わっ……!」
ルミの体が、漆黒の軍服に包まれたアルヴィーノの胸の中にすっぽりと収まる。
アルヴィーノはルミを自身の膝の上に抱き上げ、その水色の美しい髪に深く顔を埋めた。
「アルヴィーノ……? くすぐったいよ」
「少し、こうさせてください。貴方の香りを吸い込まなければ、あの無能な貴族どもを今すぐ極大魔法で消し飛ばしてしまいそうでした。……やはり、貴方は私の天使だ。私の荒んだ心を癒やしてくれる、唯一の存在」
オブラートに包むことのない、ストレートで激重な愛の言葉。
ルミは一瞬にして顔を真っ赤に染めたが、拒むことなく、アルヴィーノの広い背中に小さな手を回した。
「えへへ……俺も、アルヴィーノに会いたかった。ずっとお部屋でお留守番だったから、寂しかったんだ。アルヴィーノ、ちゃんとお休みできてる?」
「貴方が隣にいてくれれば、それだけで十分です」
アルヴィーノはルミの顎を優しく指先で持ち上げ、その潤んだ水色の瞳を見つめた。
戦場では冷酷非情、どんな人間も道具としか見なさない彼が、この少年一人の前では、ただの恋い焦がれる男になる。
「ルミ。アルフレッド兄上が戻るまでのあと数日、この執務室は私の領域です。誰も、私と貴方の邪魔はさせない。ここで、私が仕事を終えるのを見ていてくれますか?」
「うん! 俺、ずっとここにいる。アルヴィーノの邪魔にならないように、静かにしてるから」
「いいえ、静かにしている必要はありません。貴方の声を聞き、貴方に触れながら執務を行う方が、私の頭脳はより冴え渡る」
ルミは小さく首を傾げ、「それじゃ仕事にならないんじゃ……」と呟いたが、アルヴィーノは気にした風もなく、ルミの額に深い口づけを落とした。
王都を離れ、婚約者と甘い時間を過ごしているであろう光の新王、アルフレッド。
そして、その留守を預かり、影の中から完璧に国を統治しながらも、最愛の伴侶を膝の上で溺愛する魔王、アルヴィーノ。
仮面を被り続ける王宮の片隅で、二人の絆は、誰にも引き裂けないほど深く、濃密に色づいていくのだった。
大きな執務机を挟み、二人の男が対峙している。
一人は、金髪碧眼の輝かしい容姿に、白を基調とした豪奢な王族服を纏った新王、アルフレッド・レイストール。
そしてもう一人は、少し癖のある紫の髪に、切れ長の深い紫色の瞳。漆黒の軍服に身を包んだ第二王子にして軍師、アルヴィーノ・レイストール。
アルフレッドは、普段の朗らかな笑みを少しだけ申し訳なさそうな形に変え、机の上に一通の書状を滑らせた。
「――というわけでね、アルヴィーノ。僕が彼女と二週間ほど王都を離れる間、代理国王としてこの国の差配を任せたいんだ」
アルヴィーノは机の上の書状に視線すら落とさず、ただ冷徹な瞳で兄を見据えた。その凍てつくような眼差しは、戦場で数多の敵兵を恐怖させてきた「魔王」そのものの威圧感を放っている。
「……正気ですか、兄上。いえ、陛下。貴方がよき理解者たる婚約者を迎え、その絆を深めるための『新婚旅行』という名目自体を否定するつもりはありません。しかし、この私に玉座に座れと? 私は貴方の『隠し刃』であり、戦場を統治する軍師です。光の中に立つ王の器ではない」
「形だけでいいんだよ。それに、今のレイストール王国で、僕が留守の間を完全に統治できるだけの実力と頭脳を持っているのは、君しかいない。これは僕からの頼みであり、王命だ」
アルフレッドは毅然とした態度で言った。かつては優しさだけで国を治めようとしていた彼だったが、紆余曲折を経て、王としての冷徹な一面と威厳を身につけている。魔力や武力ではアルヴィーノに遠く及ばずとも、その瞳にある王の覚悟は、アルヴィーノであっても無視できるものではなかった。
アルヴィーノは小さく息を吐き、切れ長の目を細める。
「不服ですね。私が玉座の代理に座れば、王都の無能な貴族どもは生きた心地がしないでしょう。私が彼らを『使えない駒』として間引き、この国が血の海になっても文句は言わないと言い切れますか」
「君がそんな非効率な真似はしないと信じているよ。チェスの盤面を動かすように、完璧に、かつ冷酷に処理してくれるはずだ」
アルフレッドはふっと悪戯っぽく笑い、声を潜めた。
「それにね、アルヴィーノ。君が北方の査察から戻ってきて以来、ルミくんとの時間が少し減っていただろう? 王都の貴族たちの目は厳しく、主従の仮面を被り続けるのも窮屈なはずだ。……君が代理国王としてこの執務室に籠もるなら、君の専属の給仕として、誰を指名しても僕は文句を言わないよ」
その言葉に、アルヴィーノの眉が僅かに動いた。
底冷えするようだった紫の瞳に、ほんの少しだけ、酷薄でありながらも確かな熱が宿る。
「……なるほど。交換条件としては、悪くない」
「交渉成立だね。頼んだよ、僕の頼もしい弟」
アルフレッドは満足そうに微笑み、その翌日、よき理解者である婚約者を伴って、静かに王都を発っていった。
――それから数日後。
主を失ったはずの国王の執務室は、アルフレッドがいた頃よりも遥かに張り詰めた、恐ろしいほどの緊張感に包まれていた。
玉座に、浅く腰を下ろしている男がいる。
漆黒の軍服の袖を僅かに捲り、頬杖をつきながら書類に目を通すアルヴィーノ。その姿は、王というよりも、国を裏から支配する冷徹な支配者――まさに「魔王」そのものの風格であった。
「次」
低く、美しくも冷酷な声が室内に響く。
直立不動で控えていた文官が、震える手で次の書類を差し出した。
「は、はい……! こちら、東部領地からの免税申請書でございます。昨年の凶作を理由に――」
「却下です」
アルヴィーノは書類を一瞥しただけで、サインをすることなく突き返した。
「東部の領主は昨年の秋、王都の夜会で新調した馬車を自慢していましたね。凶作で苦しむ民から絞り上げ、私腹を肥やすような無能の言葉に耳を傾ける価値はありません。これ以上、私に無駄な書類を読ませるな。その領主には、一週間以内に帳簿のすべてを開示するよう通達を。拒む、あるいは不正が見つかった場合は……その首を挿げ替えます。私が直接手を下すまでもない、兵を動かしなさい」
「ひっ……! 畏まりました!」
文官は青い顔をして、逃げるように執務室を退室していった。
アルヴィーノにとって、政治も戦場も同じだった。無能な駒は捨て、有能な駒を適材適所に配置する。彼の頭脳の冴え渡るチェス盤の上で、レイストール王国の国務は、アルフレッドの時代よりも遥かに迅速に、そして容赦なく処理されていく。
張り詰めた空気の中、アルヴィーノは疲れた様子も見せず、ただ静かに溜息を漏らした。
「……退屈ですね。やはり、私はこの席に向いていない」
その時、トントン、と控えめなノックの音が響いた。
入室を許可する声をかけるより早く、重厚な扉が僅かに開く。隙間から顔を覗かせたのは、腰まである美しい水色の髪と、透き通るような水色の瞳を持った、小柄で愛らしい少年――ルミだった。
「アルヴィーノ様、失礼します……お茶をお持ちしました」
公の場であるため、ルミはいつもの可愛いロリータ服ではなく、仕立ての良い白い従者服を身に纏っていた。しかし、その無邪気で可憐な雰囲気は隠せるものではない。
ルミが室内に入り、扉が完全に閉まった瞬間。
それまで室内に満ちていた「魔王」の冷徹な威圧感が、霧散するように消え去った。
アルヴィーノの切れ長の目が、一瞬にして蕩けるような、甘く深い熱を帯びる。
「ルミ。わざわざ貴方が運んできてくれたのですか」
「うん! アルヴィーノ、ずっとお仕事ばっかりで心配だったから。はい、これ、お兄ちゃん……じゃなくて、アルフレッド様から教えてもらった、アルヴィーノの好きなハーブティーだよ」
ルミはトレイを机に置くと、嬉しそうに微笑んだ。
私室ではないものの、ここは完全に人目を遮断した空間だ。ルミが親しみを込めて「アルヴィーノ」と名前を呼ぶと、アルヴィーノは我慢ができないと言わんばかりに、長い腕を伸ばしてルミの細い腰を引き寄せた。
「わっ……!」
ルミの体が、漆黒の軍服に包まれたアルヴィーノの胸の中にすっぽりと収まる。
アルヴィーノはルミを自身の膝の上に抱き上げ、その水色の美しい髪に深く顔を埋めた。
「アルヴィーノ……? くすぐったいよ」
「少し、こうさせてください。貴方の香りを吸い込まなければ、あの無能な貴族どもを今すぐ極大魔法で消し飛ばしてしまいそうでした。……やはり、貴方は私の天使だ。私の荒んだ心を癒やしてくれる、唯一の存在」
オブラートに包むことのない、ストレートで激重な愛の言葉。
ルミは一瞬にして顔を真っ赤に染めたが、拒むことなく、アルヴィーノの広い背中に小さな手を回した。
「えへへ……俺も、アルヴィーノに会いたかった。ずっとお部屋でお留守番だったから、寂しかったんだ。アルヴィーノ、ちゃんとお休みできてる?」
「貴方が隣にいてくれれば、それだけで十分です」
アルヴィーノはルミの顎を優しく指先で持ち上げ、その潤んだ水色の瞳を見つめた。
戦場では冷酷非情、どんな人間も道具としか見なさない彼が、この少年一人の前では、ただの恋い焦がれる男になる。
「ルミ。アルフレッド兄上が戻るまでのあと数日、この執務室は私の領域です。誰も、私と貴方の邪魔はさせない。ここで、私が仕事を終えるのを見ていてくれますか?」
「うん! 俺、ずっとここにいる。アルヴィーノの邪魔にならないように、静かにしてるから」
「いいえ、静かにしている必要はありません。貴方の声を聞き、貴方に触れながら執務を行う方が、私の頭脳はより冴え渡る」
ルミは小さく首を傾げ、「それじゃ仕事にならないんじゃ……」と呟いたが、アルヴィーノは気にした風もなく、ルミの額に深い口づけを落とした。
王都を離れ、婚約者と甘い時間を過ごしているであろう光の新王、アルフレッド。
そして、その留守を預かり、影の中から完璧に国を統治しながらも、最愛の伴侶を膝の上で溺愛する魔王、アルヴィーノ。
仮面を被り続ける王宮の片隅で、二人の絆は、誰にも引き裂けないほど深く、濃密に色づいていくのだった。