凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

夜の帳が完全に王宮を包み込んだ頃、国王アルフレッドの執務室には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
机の上の魔導ランプが、羊皮紙の山と、そこに落とされる二人の王族の影を淡く照らしている。
アルフレッドは、机を挟んで傲然と佇むアルヴィーノを、 鋭さと疲弊の入り混じった碧眼で見据えていた。

「アルヴィーノ。……君に、 少し話がある」
「夜更けにわざわざ呼び出しをかけるとは、 珍しいですね、 陛下。なにか不備でも?」

漆黒の軍服を一切の乱れなく纏ったアルヴィーノは、 切れ長の紫の瞳に冷徹な光を宿したまま、 声音を変えずに応じた。
その佇まいは、 相変わらず周囲の空気を凍りつかせるような覇気に満ちている。
アルフレッドは一つ、 深い溜息を噛み殺し、 本題を切り出した。

「その話ではない。……レオのことだ。君、 あそこまで幼い子供に対して、 些か大人気ないちょっかいが過ぎるのではないかい?」
「ちょっかい、 ですか。 何のことか、 私には些か見当がつきかねますが」

アルヴィーノは表情一つ変えず、 飄々とした顔でしらばっくれた。
兄の追及など、 どこ吹く風といった態度である。
しかし、 アルフレッドの目は誤魔化せなかった。
先日、 執務室にやってきた我が子から立ち上っていた、 あの昏く刺すような気配。
あれは間違いなく、 目の前にいるこの「慈悲なき軍師」によって植え付けられたものだった。

「白々しいことを言わないでくれ。レオは今、 君を……君とルミくんの関係を、 狂おしいほどの眼差しで見つめている。あの子のルミくんに対する執着は、 君の想像を遥かに超えて膨れ上がっているんだよ。そして同時に君のことを、 明確な『敵』として認識し、 激しく敵視し始めている」

アルフレッドは机に両手を突き、 弟に詰め寄るように声を低めた。

「まだ十代前半の我が子が、 実の叔父を殺しかねないほどの鋭い牙を研いでいるんだ。親として、 そして王として、 これを看過できると思うかい?」

実の息子が闇に堕ちかけているという、 狂気的な事実。
だが、 その深刻な指摘を受けながらも、 アルヴィーノの唇の端は、 酷く冷ややかに、 愉悦を孕んで僅かに持ち上がっただけだった。

「――知っていますが? それが何か?」
「何……?」

アルフレッドが息を呑む。 アルヴィーノは紫の瞳の奥に圧倒的な支配者の光を灯し、 傲然と言い放った。

「レオの視線など、 最初からすべて把握していますよ。あの瞳の奥で、 どれほど醜悪で、 傲慢な独占欲が育っているかもね。……だからこそ、 ですよ、 兄上」

アルヴィーノは一歩、 机へと歩み寄った。
その身体から放たれる圧倒的な「魔王」としての威圧感が、 執務室の空気を限界まで希薄にする。

「あの歪んだ牙は、 今のうちに根元からへし折って、 完全に抜いておく必要がある。どれほど背を伸ばそうと、 どれほど剣や智略を極めようと、 『ルミはどんなに頑張ってもお前のものにはならない』と……身の程を、 その骨の髄まで叩き込んでわからせるために、 私はレオの前でルミを抱き、 独占して見せているのですよ」

その言葉には、 子供相手の手加減など一滴も存在しなかった。
ルミという唯一無二の伴侶を脅かす存在であれば、 たとえそれが実の甥であろうと、 次期国王たる第一王子であろうと、 徹底的に叩き潰し、 絶望の底へ突き落とす。
それがアルヴィーノという男の、 苛烈極まる愛の形だった。
アルヴィーノの、 傲岸不遜極まるその言い分を聞いた瞬間。

「――それだよ!! 僕が言っているのは、 まさにそれなんだ!!」

アルフレッドはついに耐えかねたように、 自身の端正なプラチナブロンドの髪を両手で乱暴にかきむしった。
こめかみを激しい頭痛が襲い、 胃の奥が雑巾のように雑に絞られるような痛みに、 思わずデスクに片手を突いて身体を丸める。

「君がそうやって、 容赦なく圧倒的な格の違いを見せつけるから……! あの一途でプライドの高いレオが、 完全にへそを曲げて、 逆に君のその冷酷さと策謀を学習し始めてしまったんだ! 君の真似をして、 君を越えようとして……あの子は今、 君のような最悪の『化け物』に変貌しようとしているんだよ!?」

善性の王として、 必死に周囲を光で満たそうとしてきたアルフレッド。
だが、 そのすぐ身内では、 最凶の魔王が、 次世代の最凶の策士の牙を、 容赦なく、 愉しげに研ぎ澄まさせている。

「……フン。 私の模倣、 ですか。 結構なことだ」

アルヴィーノは、 兄の頭痛の混じった絶叫すら心地よい音楽のように受け流しながら、 漆黒の手袋をはめた手で自身の顎をなぞった。

「せいぜい足掻けばいい。 あの方がどれほど私に似てこようと、 ルミの心にある『弟』という名の檻は、 決して壊せはしないのですから」

そう言い残し、 アルヴィーノは完璧な一礼とともに、 翻した漆黒の外套の裾を闇に揺らして執務室を去っていった。
静まり返った室内で、 アルフレッドは一人、 深い絶望とともに頭を抱え、 デスクに突っ伏した。
激しい胃痛の中で、 彼は確信していた。
自分の必死の軌道修正も、 弟の容赦のない洗礼も、 すべてはレオという怪物を育てるための極上の「糧」にしかなっていない。
この王宮の平穏な日常の裏側で、 逃げ場のない破滅へのカウントダウンは、 確実に、 じわじわと、 その秒針を進めていた。
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