凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
石畳が続く城下町は、夕暮れ時の活気に包まれていた。
行き交う馬車の轍の音や、商人たちの威勢の良い声。
至る所の店先から漂う香ばしい匂いが、平穏な王国の日常を象徴している。
その喧騒の中を、二人の影が静かに歩んでいた。
漆黒の軍服を隙なく纏い、周囲の者を自然と平伏させるような威圧感を放つ第二王子アルヴィーノと、その斜め後ろを、白いふわふわなロリータ服の裾を揺らしながら歩くルミ。
身分の上では、二人はあくまで「主と従者」であった。
公の場であるこの城下町において、親密に手を繋いだり、 寄り添って歩いたりすることは許されない。
それがレイストール王国の法であり、彼らが守るべき最低限の「仮面」だった。
けれど、ルミの足取りは、 弾むように軽やかだった。
水色の長い髪を夕風に遊ばせ、時折、アルヴィーノの大きな背中を見上げては、誰にも気づかれないように水色の瞳を細める。
ただ同じ歩調で、同じ景色を見ながら歩いている。
その事実だけで、ルミの心は陽だまりのように温かな幸福感で満たされていた。
アルヴィーノは前を見据えたまま、その強靭な歩みを緩めることなく、 零れるような低い声で不意に問いかけた。
「――ルミ」
「はい、アルヴィーノ様」
ルミはすぐに声を落とし、従者としての完璧な距離を保ちながら応じた。
「先ほどの……レオのことですが」
アルヴィーノの切れ長の紫の瞳が、わずかに揺れる。
その脳裏に浮かんでいるのは、王宮の庭園でルミの手首を握りしめ、 完璧な王子様の微笑の裏で底知れない執着の牙を研いでいた、あの美少年の甥の姿だ。
アルヴィーノの卓越した軍師としての直感は、レオの内に秘められた狂気的な「何か」を明確に捉えていた。
「貴方は、彼をどう思っているのですか」
その問いは、ただの嫉妬ではなかった。
ルミの心がどこにあるかを疑っているわけでもない。
ただ、ルミがレオに対して「どのような境界線」を引いているのかを、改めて確かめておきたかったのだ。
ルミは不思議そうに水色の瞳をまたたかせ、それから、あの日エルザの私室で小さな鼓動に触れた時のことを思い出すように、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「レオのこと? うーん……あの時と、何も変わらないよ。背は俺よりずーっと大きくなっちゃって、びっくりしちゃうけど……やっぱり、俺にとっては、可愛くて大切な弟だよ?」
ルミの声には、一点の曇りも、 濁りもなかった。
どれほどレオが美少年に育とうと、どれほど「格好いい男」になろうと、ルミの最奥にある恋慕の情は、目の前を歩くアルヴィーノという男にしか向いていない。
ルミにとってレオは、いつまでも守り、 愛しむべき、血の繋がらない「可愛い弟」でしかなかった。
「……そうですか」
ルミの答を聞いたアルヴィーノの唇の端が、 誰も気づかないほど僅かに、満足げに持ち上がった。
「慈悲なき軍師」であり、のちに魔王と呼ばれる男の胸中を、 深い充足感が満たしていく。
どれほどレオが知略を巡らせ、完璧な弟を演じて外堀を埋めようと、ルミ自身の心が「弟」という強固な檻にレオを閉じ込めている限り、あの小僧がルミを手に入れることは決してない。
ルミの「無垢な一線」こそが、何よりも強固な盾であると、アルヴィーノは確信したのだ。
ご満悦のまま、アルヴィーノは一軒の洋菓子店の前で足を止めた。
窓硝子の向こうには、色とりどりの美しい焼き菓子や、果実をふんだんに使ったタルトが並んでいる。
ルミの好物が詰まった、城下町でも評判の店だった。
アルヴィーノは、回れ右をするようにルミの方へと向き直ると、躊躇うことなくその大きな手を伸ばした。
そして、公の場であることも忘れ、ルミの白く細い手を、 自身の大きな掌でそっと包み込んだのだ。
「あ……っ、アルヴィーノ様!?」
ルミは弾かれたように顔を上げ、水色の瞳を大きく見開いた。
周囲には、まだ買い出しの領民や、二人を遠巻きに警護している衛兵たちの目がいくらでもある。
「だ、駄目だよ、アルヴィーノ様、お外だから……! 誰かに見られちゃう……っ」
慌てて手を引き抜こうとするルミだったが、アルヴィーノの手は、 岩のようにびくともしなかった。
それどころか、逃がさないように指を絡め、 自身の熱を分け与えるように強く握りしめる。
「構いません」
低い声音には、王族としての尊大さと、最愛の伴侶に対する容赦のない独占欲が綯い交ぜになっていた。
今のアルヴィーノは、ルミの言葉を聞き入れるつもりなど毛頭なかった。
ルミの心が自分だけのものであると確認できた今、この愛しい存在を、一時たりとも離しておきたくはなかったのだ。
「さあ、入りましょう。貴方の好きな菓子を、 好きなだけ選ぶといい」
「も、もう……」
ルミは赤面し、白い服の襟元に顔を埋めるようにしながらも、 握られた手の圧倒的な温もりに、 結局は抗うことができなかった。
きゅっと、 自分からもその手を握り返してしまう。
夕暮れの街角、人目の溢れる洋菓子店の前で、静かに、けれど強く結ばれた二人の手。
それは、どれほど歳月が流れようと、どれほど周囲が変貌しようと、二人の絆が 決して揺るがないことを示す、絶対的な儀式のようでもあった。
しかし、この時。
洋菓子店へと入っていく二人の幸せな背後を、王宮の回廊から、あるいは城下町の喧騒の影から、 じっと見つめる新緑の瞳があることなど――今の二人の甘い世界には、 届くはずもなかった。
行き交う馬車の轍の音や、商人たちの威勢の良い声。
至る所の店先から漂う香ばしい匂いが、平穏な王国の日常を象徴している。
その喧騒の中を、二人の影が静かに歩んでいた。
漆黒の軍服を隙なく纏い、周囲の者を自然と平伏させるような威圧感を放つ第二王子アルヴィーノと、その斜め後ろを、白いふわふわなロリータ服の裾を揺らしながら歩くルミ。
身分の上では、二人はあくまで「主と従者」であった。
公の場であるこの城下町において、親密に手を繋いだり、 寄り添って歩いたりすることは許されない。
それがレイストール王国の法であり、彼らが守るべき最低限の「仮面」だった。
けれど、ルミの足取りは、 弾むように軽やかだった。
水色の長い髪を夕風に遊ばせ、時折、アルヴィーノの大きな背中を見上げては、誰にも気づかれないように水色の瞳を細める。
ただ同じ歩調で、同じ景色を見ながら歩いている。
その事実だけで、ルミの心は陽だまりのように温かな幸福感で満たされていた。
アルヴィーノは前を見据えたまま、その強靭な歩みを緩めることなく、 零れるような低い声で不意に問いかけた。
「――ルミ」
「はい、アルヴィーノ様」
ルミはすぐに声を落とし、従者としての完璧な距離を保ちながら応じた。
「先ほどの……レオのことですが」
アルヴィーノの切れ長の紫の瞳が、わずかに揺れる。
その脳裏に浮かんでいるのは、王宮の庭園でルミの手首を握りしめ、 完璧な王子様の微笑の裏で底知れない執着の牙を研いでいた、あの美少年の甥の姿だ。
アルヴィーノの卓越した軍師としての直感は、レオの内に秘められた狂気的な「何か」を明確に捉えていた。
「貴方は、彼をどう思っているのですか」
その問いは、ただの嫉妬ではなかった。
ルミの心がどこにあるかを疑っているわけでもない。
ただ、ルミがレオに対して「どのような境界線」を引いているのかを、改めて確かめておきたかったのだ。
ルミは不思議そうに水色の瞳をまたたかせ、それから、あの日エルザの私室で小さな鼓動に触れた時のことを思い出すように、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「レオのこと? うーん……あの時と、何も変わらないよ。背は俺よりずーっと大きくなっちゃって、びっくりしちゃうけど……やっぱり、俺にとっては、可愛くて大切な弟だよ?」
ルミの声には、一点の曇りも、 濁りもなかった。
どれほどレオが美少年に育とうと、どれほど「格好いい男」になろうと、ルミの最奥にある恋慕の情は、目の前を歩くアルヴィーノという男にしか向いていない。
ルミにとってレオは、いつまでも守り、 愛しむべき、血の繋がらない「可愛い弟」でしかなかった。
「……そうですか」
ルミの答を聞いたアルヴィーノの唇の端が、 誰も気づかないほど僅かに、満足げに持ち上がった。
「慈悲なき軍師」であり、のちに魔王と呼ばれる男の胸中を、 深い充足感が満たしていく。
どれほどレオが知略を巡らせ、完璧な弟を演じて外堀を埋めようと、ルミ自身の心が「弟」という強固な檻にレオを閉じ込めている限り、あの小僧がルミを手に入れることは決してない。
ルミの「無垢な一線」こそが、何よりも強固な盾であると、アルヴィーノは確信したのだ。
ご満悦のまま、アルヴィーノは一軒の洋菓子店の前で足を止めた。
窓硝子の向こうには、色とりどりの美しい焼き菓子や、果実をふんだんに使ったタルトが並んでいる。
ルミの好物が詰まった、城下町でも評判の店だった。
アルヴィーノは、回れ右をするようにルミの方へと向き直ると、躊躇うことなくその大きな手を伸ばした。
そして、公の場であることも忘れ、ルミの白く細い手を、 自身の大きな掌でそっと包み込んだのだ。
「あ……っ、アルヴィーノ様!?」
ルミは弾かれたように顔を上げ、水色の瞳を大きく見開いた。
周囲には、まだ買い出しの領民や、二人を遠巻きに警護している衛兵たちの目がいくらでもある。
「だ、駄目だよ、アルヴィーノ様、お外だから……! 誰かに見られちゃう……っ」
慌てて手を引き抜こうとするルミだったが、アルヴィーノの手は、 岩のようにびくともしなかった。
それどころか、逃がさないように指を絡め、 自身の熱を分け与えるように強く握りしめる。
「構いません」
低い声音には、王族としての尊大さと、最愛の伴侶に対する容赦のない独占欲が綯い交ぜになっていた。
今のアルヴィーノは、ルミの言葉を聞き入れるつもりなど毛頭なかった。
ルミの心が自分だけのものであると確認できた今、この愛しい存在を、一時たりとも離しておきたくはなかったのだ。
「さあ、入りましょう。貴方の好きな菓子を、 好きなだけ選ぶといい」
「も、もう……」
ルミは赤面し、白い服の襟元に顔を埋めるようにしながらも、 握られた手の圧倒的な温もりに、 結局は抗うことができなかった。
きゅっと、 自分からもその手を握り返してしまう。
夕暮れの街角、人目の溢れる洋菓子店の前で、静かに、けれど強く結ばれた二人の手。
それは、どれほど歳月が流れようと、どれほど周囲が変貌しようと、二人の絆が 決して揺るがないことを示す、絶対的な儀式のようでもあった。
しかし、この時。
洋菓子店へと入っていく二人の幸せな背後を、王宮の回廊から、あるいは城下町の喧騒の影から、 じっと見つめる新緑の瞳があることなど――今の二人の甘い世界には、 届くはずもなかった。