凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
静寂に包まれたレオの私室は、重苦しい焦燥感に満たされていた。
机の上に乱雑に広げられた地図、法典、他国の情勢を記した書状の数々。
その中心で、レオは髪を一本の手で強く掻き毟りながら、血走った目を書類に走らせていた。
「……否、この法を適用すれば周辺国の干渉を招く。ならば、叔父上の言うように軍を動かすか? ……いや、それでは父上の言う通り我が国が大義名分を失う。私が、私が完璧な檻を構築しなければ、リリィが……」
ぶつぶつと掠れた声で独り言を呟き、羽ペンを握る指先を震わせる。
叔父であるアルヴィーノに限界を突きつけられ、父であるアルフレッドに策の破綻を指摘された。
己の知力の限りを尽くしても、未だリリィを完璧に囲い込むための正解へと辿り着けない。
その焦燥が、彼を狂気の一歩手前まで追い詰めていた。
そんなレオの姿を、部屋の片隅から心配そうに見守る影があった。
白く長い髪を小さく揺らし、リリィは息を詰めるようにして彼を見つめていた。
数週間前、自分が庭園に出てしまったあの一瞬の過ち。
それが、大好きなレオをこれほどまでに追い詰め、壊そうとしている。
(私のせいで……。私が、余計なことをしたから、レオ様がこんなに苦しんでいる……)
心の中に渦巻く自責の念が、リリィの限界を容易く超えた。
レオを助けたいのに、自分には何もできない。
その無力感と恐怖が胸を突き上げ、リリィの赤い瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。
「うっ……、ひぐっ……」
押し殺そうとしても、嗚咽が漏れ出す。
絨毯に涙が点々と染みを作っていく音さえ、今の静まり返った部屋には大きく響いた。
「――リリィ!?」
呟きをピタリと止め、レオが弾かれたように顔を上げた。
泣き崩れる彼女の姿が目に飛び込んできた瞬間、脳内の複雑な戦略や交渉術など、すべてが消し飛んだ。
レオは椅子を激しく蹴立て、狂おしいほどの焦燥を伴って彼女の元へと駆け寄る。
「リリィ、どうしたのですか!? どこか痛むのですか、それとも――」
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい、レオ様……!」
リリィは床に膝を突いたまま、レオの衣服の裾をか細い指先で強く握り締めた。
顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、狂ったように謝罪の言葉を繰り返す。
「私のせいです……私が、お外になんて出なければ、こんなことにならなかったのに……! 私のせいで、レオ様が……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
おどおどと怯え、自分を激しく責め苛む少女。
レオは胸を破り裂かれるような衝撃を覚えながら、その小さな身体を壊れ物を扱うようにきつく抱き締めた。
「違います、リリィ。貴方は何も悪くない。悪いのは貴方を奪おうとする有象無象だ。だから、泣かないでください……お願いだ……」
その背を優しく撫で、必死に優しい言葉を紡いで溺れさせようとする。
叔父から教わった「愛の檻」の技術をなぞるように、必死に慰めの言葉を囁き続けた。
だが、リリィの涙は止まらなかった。
一度決壊した自責と恐怖の感情は、優しくされればされるほど、レオへの申し訳なさとなって彼女の心を激しく打ちのめす。
過呼吸気味に肩を揺らし、ごめんなさい、と、消え入りそうな声で泣き続けるリリィ。
腕の中でぼろぼろと崩れていく最愛の少女を見つめながら、レオの胸の奥で、何かが完全に弾け飛んだ。
(……これ以上、この子に怯えを、涙を流させてなるものか)
父の言う「対話」を交えた正論も、叔父の言う「暴力」による覇道も、今の自分には完璧に扱い切れない。
それらを両立させようと机の上で綺麗にチェスを指そうとしていたから、大切なリリィの心をこれほどまでに傷つけてしまったのだ。
大人たちのやり方に付き合っている時間など、もう一秒たりとも無い。
レオの瞳から、完全に迷いが消え失せた。
代わりに宿ったのは、アルヴィーノをも凌駕せんとする、絶対的な「魔王」の狂気。
リリィを完璧に救い、己だけのものにするために。
レオは、それまで頑なに拒んでいた、ある最悪で確実な「決断」を心に下した。
机の上に乱雑に広げられた地図、法典、他国の情勢を記した書状の数々。
その中心で、レオは髪を一本の手で強く掻き毟りながら、血走った目を書類に走らせていた。
「……否、この法を適用すれば周辺国の干渉を招く。ならば、叔父上の言うように軍を動かすか? ……いや、それでは父上の言う通り我が国が大義名分を失う。私が、私が完璧な檻を構築しなければ、リリィが……」
ぶつぶつと掠れた声で独り言を呟き、羽ペンを握る指先を震わせる。
叔父であるアルヴィーノに限界を突きつけられ、父であるアルフレッドに策の破綻を指摘された。
己の知力の限りを尽くしても、未だリリィを完璧に囲い込むための正解へと辿り着けない。
その焦燥が、彼を狂気の一歩手前まで追い詰めていた。
そんなレオの姿を、部屋の片隅から心配そうに見守る影があった。
白く長い髪を小さく揺らし、リリィは息を詰めるようにして彼を見つめていた。
数週間前、自分が庭園に出てしまったあの一瞬の過ち。
それが、大好きなレオをこれほどまでに追い詰め、壊そうとしている。
(私のせいで……。私が、余計なことをしたから、レオ様がこんなに苦しんでいる……)
心の中に渦巻く自責の念が、リリィの限界を容易く超えた。
レオを助けたいのに、自分には何もできない。
その無力感と恐怖が胸を突き上げ、リリィの赤い瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。
「うっ……、ひぐっ……」
押し殺そうとしても、嗚咽が漏れ出す。
絨毯に涙が点々と染みを作っていく音さえ、今の静まり返った部屋には大きく響いた。
「――リリィ!?」
呟きをピタリと止め、レオが弾かれたように顔を上げた。
泣き崩れる彼女の姿が目に飛び込んできた瞬間、脳内の複雑な戦略や交渉術など、すべてが消し飛んだ。
レオは椅子を激しく蹴立て、狂おしいほどの焦燥を伴って彼女の元へと駆け寄る。
「リリィ、どうしたのですか!? どこか痛むのですか、それとも――」
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい、レオ様……!」
リリィは床に膝を突いたまま、レオの衣服の裾をか細い指先で強く握り締めた。
顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、狂ったように謝罪の言葉を繰り返す。
「私のせいです……私が、お外になんて出なければ、こんなことにならなかったのに……! 私のせいで、レオ様が……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
おどおどと怯え、自分を激しく責め苛む少女。
レオは胸を破り裂かれるような衝撃を覚えながら、その小さな身体を壊れ物を扱うようにきつく抱き締めた。
「違います、リリィ。貴方は何も悪くない。悪いのは貴方を奪おうとする有象無象だ。だから、泣かないでください……お願いだ……」
その背を優しく撫で、必死に優しい言葉を紡いで溺れさせようとする。
叔父から教わった「愛の檻」の技術をなぞるように、必死に慰めの言葉を囁き続けた。
だが、リリィの涙は止まらなかった。
一度決壊した自責と恐怖の感情は、優しくされればされるほど、レオへの申し訳なさとなって彼女の心を激しく打ちのめす。
過呼吸気味に肩を揺らし、ごめんなさい、と、消え入りそうな声で泣き続けるリリィ。
腕の中でぼろぼろと崩れていく最愛の少女を見つめながら、レオの胸の奥で、何かが完全に弾け飛んだ。
(……これ以上、この子に怯えを、涙を流させてなるものか)
父の言う「対話」を交えた正論も、叔父の言う「暴力」による覇道も、今の自分には完璧に扱い切れない。
それらを両立させようと机の上で綺麗にチェスを指そうとしていたから、大切なリリィの心をこれほどまでに傷つけてしまったのだ。
大人たちのやり方に付き合っている時間など、もう一秒たりとも無い。
レオの瞳から、完全に迷いが消え失せた。
代わりに宿ったのは、アルヴィーノをも凌駕せんとする、絶対的な「魔王」の狂気。
リリィを完璧に救い、己だけのものにするために。
レオは、それまで頑なに拒んでいた、ある最悪で確実な「決断」を心に下した。