凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

一方、レオの私室――。
遠征から帰還した主との再会を果たしたリリィは、再び彼に与えられた小さな空間にいた。
レオが帰ってきた喜びと安堵はあったものの、彼はすぐにアルフレッドの元へ呼び出され、執務室から戻ってこない。
部屋に一人取り残されたリリィの心には、拠り所を失ったような、おどおどとした不安が再び小さく鎌首をもたげていた。

「……あの、失礼、します……」

主のいない静寂に向かって、リリィは消え入りそうな声で呟いた。
ただじっとしていると、胸の奥の心細さが膨らんでいく。
リリィは縋るような思いで、部屋の探索を始めることにした。
白く長い髪を小さく揺らしながら、爪先立ちで部屋の調度品を見て回る。
どれもが上質で、触れることすら躊躇われるほどに美しい。やがて彼女の赤い瞳が、壁際に据えられた重厚な木製の書棚で足を止めた。
整然と並ぶ背表紙の列。
レオの許可を得ているわけではない。
リリィは細い指先を服の裾できゅっと握り締め、周囲を伺うように視線を泳がせた。

「……すこし、だけ、なら……怒られない、でしょうか……」

誰も咎める者はいない。
リリィは意を決して、比較的薄く、装丁の柔らかい一冊の本に手を伸ばした。

そっとページをめくると、インクの匂いが鼻腔をくすぐる。
書かれていたのは、このレイストール王国の成り立ちを記した古い歴史書だった。
難しい単語や見慣れない地名が多く、リリィの知識では完全に理解することは難しい。
それでも、おどおどとした手つきで文字を指でなぞりながら、少しずつ、貪るように読み進めていく。

(レオ様は……こういう、難しいお勉強を、たくさんされているのですね……)

頁をめくるたび、リリィの心には圧倒されるような感覚と、同時に奇妙な充足感が満ちていった。
本を読むことは、レオの思考の片鱗に触れることに似ていた。
彼がどのような世界を見て、どのような言葉を紡いできたのか。
それを知ることは、この広く冷たい城の中で、リリィが孤独に押し潰されないための唯一の防壁となっていく。

歴史書の次は、大陸に伝わる古い民話の集録。
その次は、色鮮やかな植物の図譜。
リリィは毎日、少しずつ、大切に本を読み重ねていった。
理解できない記述があれば、小さな頭を傾げ、何度もうわ言のようにその言葉を繰り返す。
彼女にとってその行為は、知識の探求ではなく、レオの気配が色濃く残るこの部屋に、己の存在を辛うじて繋ぎ止めるための儀式だった。

「私……もっと、たくさん読めば、レオ様のお話に……ついていけるように、なるでしょうか……」

ぽつりと溢れた独り言は、寂寞とした部屋の空気に溶けて消える。
せっかく遠征から戻ってきたのに、毎日のように父王に縛られ、自分を置いて行ってしまうレオ。
リリィはその寂しさと怯えを打ち消すように、今日も書棚の前に座り込み、薄暗い部屋の中で本を開き続ける。
その健気で歪な努力が、やがて自分を完璧に監禁するための「環境(檻)」を構築しつつあるレオの思惑と、完璧に噛み合っていく。
少女はまだ、知る由もなかった。
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