凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

――さらに数年の歳月が流れ、レイストール王国の王宮はひとりの少年の成長に沸き立っていた。

第一王子レオ・レイストールは、かつてのあどけなさを完全に脱ぎ捨て、誰もが足を止めて見惚れるほどの苛烈な美少年にへと成長を遂げていた。
父親譲りのプラチナブロンドの髪は陽光を浴びて絹のようにきらめき、母親譲りの新緑の瞳は、時にすべてを見透かすような冷徹な知性を覗かせる。
剣術においても座学においても群を抜き、王族としての気品と威厳はすでに次期国王として非の打ち所がないレベルに達していた。
そして何より、その容姿の成長は著しかった。
レオの背丈はいつの間にか、かつて見上げていたはずのルミを完全に追い越していたのだ。
今や二人が並んで歩けば、白くてふわふわなロリータ服を纏った可憐なルミの方が、まるで年下の弟であるかのように見えてしまうほど。
周囲の者たちも、そのあまりの体格差とレオの醸し出す大人の色気に、「どちらがお兄様か分かりませんね」と影で囁き合うようになっていた。
けれど、どれほど背が伸びようとも、どれほど周囲から称賛されようとも、レオの胸の内にある「ただひとつの目的」は、幼いあの日から一歩もブレてはいなかった。

「ルミにぃ、お待たせしました。今日の騎士団との合同演習は、すべて私の勝利で終わりましたよ」

訓練場から戻ったレオは、出迎えたルミの前で、ふっと形に嵌めたような完璧な王子様の笑みを浮かべた。
その瞳は、ルミにだけ向けられる極上の甘さを湛えている。
すべては、この水色の瞳に自分を「男」として焼き付けるため。
叔父であるアルヴィーノに負けない、完璧で格好いい伴侶の器になるためだった。
ルミはレオの姿を見るなり、我がことのように水色の瞳をきらきらと輝かせ、その胸元へと駆け寄った。

「わあ……っ! すごいよレオ、本当に格好いい! もう騎士団の人たちを負かしちゃうなんて、俺、びっくりしちゃった。背もこんなに大きくなって……うん、自慢の格好いい弟だね!」

ルミはそう言って、眩しいほどの無邪気な笑顔でレオを大絶賛した。
背が追い抜かれても、ルミの中での役割は変わらない。
レオの頭に触れようと、ルミが少しだけ爪先立ちになって、愛おしそうにそのプラチナブロンドの髪を撫でる。

「……ありがとうございます、ルミにぃ」

レオは目を細め、大人しくその愛撫を受け入れた。
ルミの口から「格好いい」という言葉を引き出すたびに、胸の奥が狂おしいほどの歓喜で満たされるのは間違いなかった。
しかし、同時にレオの胸の奥には、冷たい泥のような焦燥感がじわじわと広がっていく。

(――『弟』、ですか)

ルミが自分を褒める時、その瞳にあるのは、どこまでも純粋で、濁りのない「家族への愛情」だ。
あの日、母エルザと交わした約束の通り、ルミにとってレオは、いつまでも守るべき、導くべき、可愛い「弟」の枠から一歩も出てはいなかった。

どんなに剣を極めても、どんなに知略を巡らせても、ルミの心の最奥には、いつも冷徹な「魔王」アルヴィーノ様が鎮座している。
ルミが恋をする少年の顔を見せるのは、あの漆黒の軍服を纏う叔父だけなのだ。
レオを「格好いい」と絶賛するルミの、その無防備で優しい水色の瞳。
それが自分を「ひとりの男」として見ていないという残酷な現実が、レオの心の中で、じりじりと音を立てて嫉妬の炎を燃え上がらせていく。

(ルミにぃ。貴方は私のことを、ずっと『可愛い弟』だと思っているのですね。……いいでしょう。今は、まだそのままで)

レオは髪を撫でるルミの、白く細い手首をそっと優しく握りしめた。
壊さないように、けれど決して逃がさないように、静かな圧力を込めて。

(外堀は、もう十分に埋まりつつあります。貴方が私を『男』として見なさざるを得なくなるその日まで……私はいくらでも、完璧な弟を演じてみせますよ)

ほわほわとした平穏な日常の裏側で、レオの策謀はすでに、ルミの退路を完全に断つための巨大な檻を完成させつつあった。

「――ルミ」

低く、 地響きのように鼓鳴を響かせる声音が、二人の間に割り込んだ。
ルミに手首を握られながらも、完璧な「弟」の仮面を被って佇んでいたレオの緑の瞳が、一瞬で冷徹な鋭さを帯びる。
そこに立っていたのは、数年前と変わらず、圧倒的な闇の覇気を纏ったアルヴィーノだった。
漆黒の軍服に身を包み、全属性の魔法を操る「慈悲なき軍師」の紫の瞳は、目の前の美少年に育った甥を、まっすぐに、 そして冷酷に見据えていた。
アルヴィーノは気づいていた。
レオがどれほど異常な速度で力をつけ、完璧な王子を演じながら、その裏でルミの周囲の「外堀」をじわじわと埋めようとしているか。
その新緑の瞳の奥に潜む、かつての自分をも凌駕しかねない、狂気的な執着と策謀の匂いを。
だからこそ、分からせなければならなかった。
どれほど知略を巡らせようと、背丈が伸びようと、ルミの心も身体も、世界の誰のものでもないこの私だけのものなのだと。

「あっ、アルヴィーノ様……!」

アルヴィーノの姿を認めた瞬間、それまでレオの髪を撫でていたルミの手が離れた。
水色の瞳が弾けたように輝き、頬がぽっと薔薇色に染まる。
レオに向けられていた「お兄ちゃん」としての優しい光は、またたく間に、一人の男にすべてを捧げた「伴侶」の熱い熱へと変貌していく。
ルミはレオの手首からすっと自分の手を引き抜くと、吸い寄せられるようにアルヴィーノの元へと駆け寄った。
アルヴィーノは、戻ってきた愛しい獲物を迎えるように、その逞しい片腕をルミの細い腰へと回した。
そして、後ろに佇むレオにこれ以上ないほどはっきりと見せつけるように、ルミの身体を自身の胸へと強く抱き寄せる。
漆黒の軍服と、白いふわふわなロリータ服が、完璧なコントラストを描いて重なり合う。

「アルヴィーノ様、お仕事終わったの?」
「ええ。貴方に寂しい思いをさせてしまいましたね」

アルヴィーノは、腕の中のルミを愛おしそうに見つめながら、その水色の長い髪にそっと唇を寄せた。
そして、そのままルミの腰を抱いた手つきに、所有権を誇示するような絶対的な重さを込めながら、低い声で囁く。

「……これから、二人で城下町へ行きましょうか。貴方の好きな、あの甘い菓子でも買いに」
「本当……!? やったぁ!」

ルミは歓喜の声をあげ、アルヴィーノの首に嬉しそうに抱きついた。
自分の最愛の人が、今、背後にいる甥に対してどれほど冷酷で容赦のない「敗北」を突きつけているかなど、純粋なルミはこれっぽっちも気づいていない。
アルヴィーノはルミを抱きしめたまま、その肩越しに、 視線だけをレオへと向けた。
切れ長の紫の瞳が、侮蔑と、圧倒的な格の違いを乗せて、美少年の甥を見下ろす。

(どれほど牙を研ごうと、この男は私のものだ。手出しは許さん)

言葉にせずとも伝わる、魔王としての苛烈な警告。
レオは、その光景を真っ正面から受け止めていた。
生唾をごくりと飲み込み、新緑の瞳が激しく揺れる。
ルミにぃの手の温もりが消えた自分の手のひらを、 破れるほどに強く握りしめ、レオは必死で「完璧な弟」の笑みを張り付かせ続けた。
胸の奥で、ドス黒い嫉妬と、叔父への激しい殺意が、 爆発しそうなほどの渦を巻いている。

「レオ、お勉強も演習も頑張ってね! またね!」

ルミはアルヴィーノの腕に抱かれ、幸せいっぱいの笑顔でレオに手を振った。

「……はい。いってらっしゃいませ、ルミにぃ。叔父上」

レオは声を震わせることなく、完璧な礼を持って二人を見送った。

去っていく、黒と白の二人の後ろ姿。
ルミの楽しげな笑い声が遠ざかるにつれ、回廊に佇むレオの周囲から、完全に「光」が消え去った。

(――ああ、やはり。優しく『かっこいい弟』のままでは、あの人は手に入らない)

アルヴィーノが見せつけた絶対的な格差。
それが、レオの胸の中の策士のスイッチを、完全に「次なる段階」へと押し進めた。

(待っていなさい、ルミにぃ。私が必ず、あの魔王の腕から、貴方を引き剥がして見せますから……)

夕暮れの影がレオの顔を半分に割り、その新緑の瞳は、底なしの暗闇のように深く、 昏く沈み込んでいた。
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