凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

北方遠征の当日の朝。
部屋の重い木扉が、静かに「コンコン」と小気味よい音を立ててノックされた。
すでに遠征用の軽装鎧を身に纏い、出発の準備を終えていたレオが振り返ると、扉が開いて入ってきたのは、水色の長い髪を揺らした少年――ルミだった。
その小さな両手には、衣服や日用品が詰め込まれた大きめの鞄、いわゆる「お泊まりセット」がしっかりと抱えられている。
突然の来訪者、それも奇妙な荷物を持ったルミの姿に、レオは微かに眉をひそめた。
ベッドの上で小さく丸くなっていたリリィも、驚いたように赤い瞳をパチくりとさせている。

「……ルミにぃ? その荷物は一体何ですか」
「ん? あ、これ、お泊まりの準備!」

ルミはいつもと同じような声音で、抱えた鞄を少し持ち上げてみせた。

「アルヴィーノに言われたんだ。『レオが遠征に行っている間、彼女が寂しがって泣くから、その部屋に泊まり込んで一緒にいてあげなさい』って。お留守番の任務、任されたの!」

その言葉を聞いた瞬間、レオはすべてを察した。
前日、アルヴィーノは「自分の息の掛かった者が守る」と言っていた。
それは直属の暗部による厳重な警備だけでなく、心を閉ざしていた過去を持ち、今は王宮で信頼できる数少ない存在であるルミを、リリィの「心の拠り所」として配置するという、叔父なりの冷徹かつ完璧な配慮だったのだ。

「叔父上が、そんなことを……」
「あ、それと、レオ、早く行かないとダメだよ」

ルミは水色の瞳でレオを真っ直ぐに見つめ、部屋の外の廊下を指差した。

「アルヴィーノ、もうお城の正面玄関で待ってる! すっごく不機嫌そうな顔してた。早く行かないと、本当に一人で置いていかれちゃうよ?」
「……っ、それは困りますね」

軍師としての叔父は、時間を破る者を容赦なく切り捨てる。
レオは小さく息を吐くと、ベッドの上のリリィへと向き直った。
リリィはルミの登場にまだ少しおどおどとしていたが、「一人きりではない」という事実を理解したのか、昨日ほどの絶望的な怯えは見せていない。

「リリィ。……行ってきます」

レオはリリィの前に膝を突き、その白い髪にそっと触れた。

「ルミにぃがいれば、寂しくはありませんね。彼は信頼できる人です。何かあれば、すぐに彼に、あるいは周囲の影たちに伝えてください。……いいですね?」
「は、はい……。レオ様、お気をつけて……。待って、います」

リリィは不安を堪えながらも、健気にこくりと頷いた。
レオはその赤い瞳を名残惜しそうに見つめ直してから立ち上がり、部屋の入り口に佇むルミへと視線を移した。
次期国王としての冷徹な策士の目が、一瞬だけ、深い信頼の色を帯びる。

「ルミにぃ。リリィを……私の大切な人を、お願いします」
「うん! 任せて! ちゃんと無事に帰ってきてね!」

ルミの短い返事を聞き届け、レオは漆黒の外套を翻した。
もう、躊躇いはない。
彼女を完璧に独占し、二度と誰にも脅かされない力を手に入れるため、レオは正面玄関で待つ「魔王」アルヴィーノのもとへと、確かな足取りで駆けて行った。
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