凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
レイストール王宮の地下、常人ならば立ち入ることすら躊躇う薄暗い書庫の奥。
魔導書の黴臭い空気と魔力の残滓が漂うその空間に、レオは一人で足を踏み入れていた。
目の前に佇むのは、叔父であるアルヴィーノ。
細く切れ長な紫の瞳は、まるで侵入者の魂の価値を測るように、冷徹な光を放っている。
レオはアルヴィーノの数歩手前で足を止め、逃げ場のない視線を受け止めながら、静かに、しかし深く頭を下げた。
「叔父上。私を……貴方の本当の弟子にしてください。彼女を守り、この国で完全に独占するためには、今の私の力ではあまりにも足りない。もっと強く、もっと賢くならなければならないのです」
それは、先の救出劇での「一時的な手助け」を請うものとは意味が違っていた。
己の未来のすべてを、魔王の闇に捧げるという誓約に等しい。
アルヴィーノは手元にあった古い羊皮紙を閉じると、ふっと冷たい息を漏らした。
その表情には、甥を嘲笑うような色すら滲んでいる。
「……面白い冗談ですね、レオ。貴方の父親は、光の魔力を極め、新王として自国民に絶大な信頼を得ているアルフレッド陛下だ。正当な強さと王としての在り方を学ぶのであれば、私の元ではなく、陛下の元へ行くのが筋というものでしょう。なぜ、実の父親ではなく、私を師に選ぶのですか?」
突き放すような、試すような叔父の問い。
だが、レオの瞳に宿る昏い炎は、微塵も揺らがなかった。
彼はゆっくりと顔を上げ、アルヴィーノを真っ直ぐに見据える。
「……綺麗事だけでは、リリィを救えないと知ったからです」
レオの声には、かつての「光の王子」としての瑞々しさはなく、どこか凍てついた響きがあった。
「父上の優しさは気高い。ですが、隣国が彼女を求めて剣を抜いた時、父上はまず、国家の平穏と民の命を秤にかけるでしょう。それが王としての正しさだからです。……しかし、私は違う。世界がどうなろうと、私はリリィを誰にも渡したくない。綺麗で真っ直ぐな強さなど、彼女を縛る国際法(ルール)の前には無力です。国を欺き、呪詛を反転させ、破滅の果てに獲物を檻に閉じ込める……そのための冷酷な智力と力を得るには、叔父上、貴方以外に適任はいません」
己の狂気的な独占欲を、一切の飾りのない敬語で淡々と言い切った。
自らの父親の「善性」を理解した上で、それを見限り、叔父の「魔王の闇」を明確に求めてみせたのだ。
その言葉を聞いたアルヴィーノは、しばしの間、沈黙した。
紫の瞳の奥で、冷徹な軍師としての計算と、ほんの僅かな――己と同じ深淵に堕ちてきた血族への愉悦が混ざり合う。
やがて、アルヴィーノはゆっくりと椅子から立ち上がった。漆黒の軍服が擦れる音が、死神の囁きのように静寂に響く。
「いいでしょう」
アルヴィーノはレオの目の前で立ち止まり、その圧倒的な威圧感をもって見下ろした。
「ですが、最後に問います。レオ、貴方にその『覚悟』はありますか? 私の教えは、貴方がこれまで培ってきた王子としての誇りも、優しさも、すべてを削ぎ落とす地獄となる。一度でも私を見限れば、私は貴方をその場で駒として切り捨てる。自らの心を殺し、真の魔王の刃となる覚悟が……貴方にありますか?」
「――ございます」
レオは即座に、澱みのない声で応じた。
ひざまずき、己の忠誠を捧げるように頭を下げる。
その胸の奥にあるのは、自室のベッドで幸せそうに丸くなって眠る、白い髪の少女の姿だけだった。
彼女という唯一の光のためなら、どれほどの闇に染まろうとも構わない。
こうして、光の王子の皮を被った若き策士と、慈悲なき魔王による、本当の地獄の教導が幕を開けた。
魔導書の黴臭い空気と魔力の残滓が漂うその空間に、レオは一人で足を踏み入れていた。
目の前に佇むのは、叔父であるアルヴィーノ。
細く切れ長な紫の瞳は、まるで侵入者の魂の価値を測るように、冷徹な光を放っている。
レオはアルヴィーノの数歩手前で足を止め、逃げ場のない視線を受け止めながら、静かに、しかし深く頭を下げた。
「叔父上。私を……貴方の本当の弟子にしてください。彼女を守り、この国で完全に独占するためには、今の私の力ではあまりにも足りない。もっと強く、もっと賢くならなければならないのです」
それは、先の救出劇での「一時的な手助け」を請うものとは意味が違っていた。
己の未来のすべてを、魔王の闇に捧げるという誓約に等しい。
アルヴィーノは手元にあった古い羊皮紙を閉じると、ふっと冷たい息を漏らした。
その表情には、甥を嘲笑うような色すら滲んでいる。
「……面白い冗談ですね、レオ。貴方の父親は、光の魔力を極め、新王として自国民に絶大な信頼を得ているアルフレッド陛下だ。正当な強さと王としての在り方を学ぶのであれば、私の元ではなく、陛下の元へ行くのが筋というものでしょう。なぜ、実の父親ではなく、私を師に選ぶのですか?」
突き放すような、試すような叔父の問い。
だが、レオの瞳に宿る昏い炎は、微塵も揺らがなかった。
彼はゆっくりと顔を上げ、アルヴィーノを真っ直ぐに見据える。
「……綺麗事だけでは、リリィを救えないと知ったからです」
レオの声には、かつての「光の王子」としての瑞々しさはなく、どこか凍てついた響きがあった。
「父上の優しさは気高い。ですが、隣国が彼女を求めて剣を抜いた時、父上はまず、国家の平穏と民の命を秤にかけるでしょう。それが王としての正しさだからです。……しかし、私は違う。世界がどうなろうと、私はリリィを誰にも渡したくない。綺麗で真っ直ぐな強さなど、彼女を縛る国際法(ルール)の前には無力です。国を欺き、呪詛を反転させ、破滅の果てに獲物を檻に閉じ込める……そのための冷酷な智力と力を得るには、叔父上、貴方以外に適任はいません」
己の狂気的な独占欲を、一切の飾りのない敬語で淡々と言い切った。
自らの父親の「善性」を理解した上で、それを見限り、叔父の「魔王の闇」を明確に求めてみせたのだ。
その言葉を聞いたアルヴィーノは、しばしの間、沈黙した。
紫の瞳の奥で、冷徹な軍師としての計算と、ほんの僅かな――己と同じ深淵に堕ちてきた血族への愉悦が混ざり合う。
やがて、アルヴィーノはゆっくりと椅子から立ち上がった。漆黒の軍服が擦れる音が、死神の囁きのように静寂に響く。
「いいでしょう」
アルヴィーノはレオの目の前で立ち止まり、その圧倒的な威圧感をもって見下ろした。
「ですが、最後に問います。レオ、貴方にその『覚悟』はありますか? 私の教えは、貴方がこれまで培ってきた王子としての誇りも、優しさも、すべてを削ぎ落とす地獄となる。一度でも私を見限れば、私は貴方をその場で駒として切り捨てる。自らの心を殺し、真の魔王の刃となる覚悟が……貴方にありますか?」
「――ございます」
レオは即座に、澱みのない声で応じた。
ひざまずき、己の忠誠を捧げるように頭を下げる。
その胸の奥にあるのは、自室のベッドで幸せそうに丸くなって眠る、白い髪の少女の姿だけだった。
彼女という唯一の光のためなら、どれほどの闇に染まろうとも構わない。
こうして、光の王子の皮を被った若き策士と、慈悲なき魔王による、本当の地獄の教導が幕を開けた。