凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
「――ほう」
その夜、アルヴィーノの唇から漏れたのは、これまでのような酷薄な嘲笑ではなかった。
散らばる羊皮紙の山の一角。
徹夜の連続で、指の腹がペンの摩擦で裂け、自身の血で薄汚れたその作戦書を、アルヴィーノは長い指先で拾い上げた。
切れ長の紫瞳が、そこに書き連ねられた緻密な導線を一瞥する。
「……アイゼンハルトの近衛を動かすための偽報の流布、および、処刑台の直下へ至る地下水道の完全な掌握。……なるほど、ここは問題ないですね」
アルヴィーノが目を細め、静かにそう告げた。
その瞬間、レオは大きく目を見開いた。
脳髄が歓喜で震える。あの『慈悲なき軍師』が、初めて自分の戦略を「無」に帰さず、認めたのだ。
それは、リリィの白い首へと繋がる細い蜘蛛の糸が、ようやく一本、手の中に手繰り寄せられたことを意味していた。
「あ……、ああ……ッ」
声を漏らす暇すら惜しむように、レオは猛然と羊皮紙に狂ったように齧り付いた。
認められたその路線を主軸とし、さらに細部を、徹底的に、偏執的なまでの狂気で埋めていく。
敵の文官の心理誘導、当日の天候による視界の狂い、救出後のリリィの精神状態を考慮した隠匿ルート――何日も、何日も、何度も何度も、自分の命を削り落としながら、盤面を「完璧」で満たしていった。
そうして。
アイゼンハルト帝国で、白き姫の処刑が執行される「翌日」を控えた、その深夜。
「――できました。叔父上……これが、私のすべてです」
レオは震える手で、最後の一枚を机に置いた。
その顔は完全に死人のそれだった。プラチナブロンドの髪は艶を失い、頬は痩せこけ、瞳は血走っている。
だが、その緑の奥底には、本物の『怪物』だけが宿す冷徹極まる策士の覇気が、ギラギラと狂おしく燃え盛っていた。
アルヴィーノは提出された最終作戦書をじっくりと、時間をかけて精査した。
部屋の隅で見守っていたルミが、緊張で息を呑むのが分かる。
やがて、アルヴィーノは羊皮紙を机に戻すと、ふっと酷薄で、しかしどこか満足げな笑みを浮かべ、最後にこう尋ねた。
「完璧な盤面です、レオ。……では、最後に一つ。この作戦を実行し、あの雛鳥を地獄から掠め取るのに、最も最適な『時間』はいつですか?」
試すような紫の瞳が、レオを射抜く。
焦燥に駆られたかつてのレオなら、「処刑が始まる直前、警備が最も混乱する瞬間」と答えただろう。
あるいは「前夜の闇に乗じて」と。
だが、地獄のような拷問を経て、叔父の冷酷さをその骨の髄まで叩き込まれた今のレオは、狂気すら完全に制御下に置いた『冷徹な悪魔』の笑みを浮かべた。
「――『断首の斧が、彼女の首筋に触れる一瞬前』です」
掠れた、けれど恐ろしいほどに平坦な声が、夜の部屋に響く。
「白亜の塔の広場。集まった民衆の歓声、処刑人の呼吸、そして皇帝の慢心が頂点に達し、アイゼンハルトのすべての意識が『リリィの死』という一点に集中する、その瞬間。そこが最も、彼らの防衛網が完全に機能停止する『空白の時間』だ。
絶望の極みで、死を受け入れた彼女の視界を、私の光で完全に塗り潰す。
恐怖に震える彼女の耳に、私の声だけを刻み込む。
その瞬間に彼女を救い出してこそ、リリィは生涯、私という檻から逃れられなくなる。……違いますか、叔父上」
それは、かつてルミを救い出し、自らの絶対的な伴侶としたアルヴィーノの「魔王の手口」そのものだった。
弱者を救うのではない。
最も絶望的な瞬間に現れることで、その心を一生縛り付ける。
ルミへの届かぬ愛に破滅した策士は、今、叔父と全く同じ『最悪の支配者』として完成したのだ。
アルヴィーノは、しばらく甥の歪みきった顔を見つめていたが、やがて、喉を鳴らして低く笑った。
「素晴らしい。合格です、レオ。……さあ、行きなさい。貴方の愛しい雛鳥を、その歪んだ檻へ閉じ込めるために」
その夜、アルヴィーノの唇から漏れたのは、これまでのような酷薄な嘲笑ではなかった。
散らばる羊皮紙の山の一角。
徹夜の連続で、指の腹がペンの摩擦で裂け、自身の血で薄汚れたその作戦書を、アルヴィーノは長い指先で拾い上げた。
切れ長の紫瞳が、そこに書き連ねられた緻密な導線を一瞥する。
「……アイゼンハルトの近衛を動かすための偽報の流布、および、処刑台の直下へ至る地下水道の完全な掌握。……なるほど、ここは問題ないですね」
アルヴィーノが目を細め、静かにそう告げた。
その瞬間、レオは大きく目を見開いた。
脳髄が歓喜で震える。あの『慈悲なき軍師』が、初めて自分の戦略を「無」に帰さず、認めたのだ。
それは、リリィの白い首へと繋がる細い蜘蛛の糸が、ようやく一本、手の中に手繰り寄せられたことを意味していた。
「あ……、ああ……ッ」
声を漏らす暇すら惜しむように、レオは猛然と羊皮紙に狂ったように齧り付いた。
認められたその路線を主軸とし、さらに細部を、徹底的に、偏執的なまでの狂気で埋めていく。
敵の文官の心理誘導、当日の天候による視界の狂い、救出後のリリィの精神状態を考慮した隠匿ルート――何日も、何日も、何度も何度も、自分の命を削り落としながら、盤面を「完璧」で満たしていった。
そうして。
アイゼンハルト帝国で、白き姫の処刑が執行される「翌日」を控えた、その深夜。
「――できました。叔父上……これが、私のすべてです」
レオは震える手で、最後の一枚を机に置いた。
その顔は完全に死人のそれだった。プラチナブロンドの髪は艶を失い、頬は痩せこけ、瞳は血走っている。
だが、その緑の奥底には、本物の『怪物』だけが宿す冷徹極まる策士の覇気が、ギラギラと狂おしく燃え盛っていた。
アルヴィーノは提出された最終作戦書をじっくりと、時間をかけて精査した。
部屋の隅で見守っていたルミが、緊張で息を呑むのが分かる。
やがて、アルヴィーノは羊皮紙を机に戻すと、ふっと酷薄で、しかしどこか満足げな笑みを浮かべ、最後にこう尋ねた。
「完璧な盤面です、レオ。……では、最後に一つ。この作戦を実行し、あの雛鳥を地獄から掠め取るのに、最も最適な『時間』はいつですか?」
試すような紫の瞳が、レオを射抜く。
焦燥に駆られたかつてのレオなら、「処刑が始まる直前、警備が最も混乱する瞬間」と答えただろう。
あるいは「前夜の闇に乗じて」と。
だが、地獄のような拷問を経て、叔父の冷酷さをその骨の髄まで叩き込まれた今のレオは、狂気すら完全に制御下に置いた『冷徹な悪魔』の笑みを浮かべた。
「――『断首の斧が、彼女の首筋に触れる一瞬前』です」
掠れた、けれど恐ろしいほどに平坦な声が、夜の部屋に響く。
「白亜の塔の広場。集まった民衆の歓声、処刑人の呼吸、そして皇帝の慢心が頂点に達し、アイゼンハルトのすべての意識が『リリィの死』という一点に集中する、その瞬間。そこが最も、彼らの防衛網が完全に機能停止する『空白の時間』だ。
絶望の極みで、死を受け入れた彼女の視界を、私の光で完全に塗り潰す。
恐怖に震える彼女の耳に、私の声だけを刻み込む。
その瞬間に彼女を救い出してこそ、リリィは生涯、私という檻から逃れられなくなる。……違いますか、叔父上」
それは、かつてルミを救い出し、自らの絶対的な伴侶としたアルヴィーノの「魔王の手口」そのものだった。
弱者を救うのではない。
最も絶望的な瞬間に現れることで、その心を一生縛り付ける。
ルミへの届かぬ愛に破滅した策士は、今、叔父と全く同じ『最悪の支配者』として完成したのだ。
アルヴィーノは、しばらく甥の歪みきった顔を見つめていたが、やがて、喉を鳴らして低く笑った。
「素晴らしい。合格です、レオ。……さあ、行きなさい。貴方の愛しい雛鳥を、その歪んだ檻へ閉じ込めるために」