凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
「――レオ。これを」
数日後の深夜、いつも通りに散らばる羊皮紙の真ん中に、音もなく一通の黒い封筒が落とされた。
ペンを握ったまま硬直したレオが顔を上げると、アルヴィーノは感情の読めない紫瞳で甥を見下ろしていた。
その手元にあるのは、アルヴィーノ自身が裏で囲っている、決して表には出ない極めて優秀な伝令係から届いたばかりの密告書。
「それは……?」
「アイゼンハルト帝国の『闇』の底から引き上げた情報です。読みなさい」
レオは震える指先で黒い封筒を破り、中の薄い紙を取り出した。
殴り書きされた暗号を脳内で引き写し、その内容を理解した瞬間――レオの顔から、完全に血の気が引いた。
『不浄の象徴、リリィ・アイゼンハルトの処刑決定。期日は半月後。罪状は不義の子としての存在そのもの。以前、その母親が処刑された際と全く同じ、白亜の塔の広場における断首刑とする』
「しょ、けい……断首、刑……?」
ガタガタと、机が派手な音を立てて揺れた。
レオの緑の瞳が、恐怖と絶望で激しく見開かれる。
あの、白薔薇の生け垣の奥で、大人の人間に怯えながらも「だいじょーぶ、ですか……?」とか細い声をかけてくれた、白く儚い雛鳥。
世界から拒絶され、ただ塔の最上階で震えていた彼女が、その首を無慈悲に撥ねられ、冷たい地面を転がる。
その最悪の光景が、生々しい幻影となってレオの脳裏に焼き付いた。
「嘘だ……そんな、まだ、何もしていないのに……! なぜ、なぜ今なんだ……!?」
「簡単な話です。貴方が一度、あの塔に不用意に踏み込んだからですよ」
アルヴィーノの声は、どこまでも残酷に平坦だった。
「アイゼンハルトの皇帝は察したのです。他国の王族がわざわざ密入国してまで接触を試みるほど、あの娘には利用価値がある、あるいは、生かしておけば他国を動かす火種になると。不確定要素を嫌う軍事国家だ。ならば火種が小さいうちに、かつてその母親を処理した時と同じように、綺麗に首を切り落としてしまおうと考えた。至極当然の戦略ですね」
「私の、せいで……?」
レオの呼吸が激しく乱れる。自分が彼女を求めたせいで、リリィの命の砂時計は一気に加速してしまった。
「あ……ああ、早く、早く行かなければ……ッ!!」
我失ったレオは、椅子を蹴立てて立ち上がった。
戦略も、計画も、通常業務も、すべてが頭から吹き飛んでいた。
今すぐ兵を動かすか、あるいは己一人でもいい、アイゼンハルトへ跳ばなければ。
一刻も早く彼女をあの地獄から連れ出し、自分の檻に閉じ込めなければ、彼女の白い首が赤く染まってしまう。
焦燥と恐怖に狂い、部屋を飛び出そうとしたレオの胸元を――。
ガシィッ、と、容赦ない力が掴んで、引き戻した。
「が、はっ……!?」
背中から強硬に机へと叩きつけられ、レオは息を詰まらせる。
目の前にあったのは、怜悧な刃そのものと化した、アルヴィーノの冷酷な双眸だった。
「どこへ行くつもりですか、無能」
アルヴィーノの声音には、怒りすらなく、ただ底冷えするような冷徹さだけがあった。
「今行ってどうするのです。また前と同じように、敵の罠に容易く嵌まり、今度は隣国の処刑台でその首を並べて晒されるつもりですか? 焦燥で思考を放棄するような獣に、軍師の盤面は動かせない」
「ですが……! リリィの時間が、ないのです! このままでは彼女が殺される……!!」
「ならば、さっさと私を黙らせる戦略を提出しなさい」
アルヴィーノはレオの胸元を乱暴に突き放すと、胸元の汚れを払うように冷たく言い放った。
「時間は半月。これまでの稚拙な作戦をすべて捨て、アイゼンハルトの精鋭を欺き、処刑台から彼女を掠め取る『完璧な必勝の策』を、今この場で組み立てる。……それ以外に、あの娘の首が繋がる道はありません」
「叔父、上……」
「座りなさい、レオ。貴方に焦る時間など、一秒たりとも与えられてはいない」
その言葉は、絶望の淵にいたレオの脳髄に、冷徹な楔となって打ち込まれた。
そうだ。焦って飛び出したところで、今の自分では再び無様に敗北するだけ。
目の前の、この『魔王』の知識をすべて吸い尽くし、敵の想定を遥かに超える悪魔の戦術を完成させなければ、リリィは絶対に救えない。
レオの緑の瞳から、一瞬の動揺が消え、代わりに底知れない『狂気の覚悟』が宿った。
「……わかり、ました」
掠れた声でそう応じると、レオは倒れた椅子を起こしもせず、床に膝をついたまま、散らばる羊皮紙の一枚を掴み取った。
ペンを握る指先からは、強すぎる力によって再び血が滲む。
リリィを殺させない。
彼女を救い、必ず自分だけの檻に閉じ込める。
その絶対的な狂愛の執着だけが、限界を迎えたレオの肉体を無理やり駆動させていた。
夜明けの来ない暗闇の中、若き策士は、命を削るようにして再びペンを走らせ始めた。
数日後の深夜、いつも通りに散らばる羊皮紙の真ん中に、音もなく一通の黒い封筒が落とされた。
ペンを握ったまま硬直したレオが顔を上げると、アルヴィーノは感情の読めない紫瞳で甥を見下ろしていた。
その手元にあるのは、アルヴィーノ自身が裏で囲っている、決して表には出ない極めて優秀な伝令係から届いたばかりの密告書。
「それは……?」
「アイゼンハルト帝国の『闇』の底から引き上げた情報です。読みなさい」
レオは震える指先で黒い封筒を破り、中の薄い紙を取り出した。
殴り書きされた暗号を脳内で引き写し、その内容を理解した瞬間――レオの顔から、完全に血の気が引いた。
『不浄の象徴、リリィ・アイゼンハルトの処刑決定。期日は半月後。罪状は不義の子としての存在そのもの。以前、その母親が処刑された際と全く同じ、白亜の塔の広場における断首刑とする』
「しょ、けい……断首、刑……?」
ガタガタと、机が派手な音を立てて揺れた。
レオの緑の瞳が、恐怖と絶望で激しく見開かれる。
あの、白薔薇の生け垣の奥で、大人の人間に怯えながらも「だいじょーぶ、ですか……?」とか細い声をかけてくれた、白く儚い雛鳥。
世界から拒絶され、ただ塔の最上階で震えていた彼女が、その首を無慈悲に撥ねられ、冷たい地面を転がる。
その最悪の光景が、生々しい幻影となってレオの脳裏に焼き付いた。
「嘘だ……そんな、まだ、何もしていないのに……! なぜ、なぜ今なんだ……!?」
「簡単な話です。貴方が一度、あの塔に不用意に踏み込んだからですよ」
アルヴィーノの声は、どこまでも残酷に平坦だった。
「アイゼンハルトの皇帝は察したのです。他国の王族がわざわざ密入国してまで接触を試みるほど、あの娘には利用価値がある、あるいは、生かしておけば他国を動かす火種になると。不確定要素を嫌う軍事国家だ。ならば火種が小さいうちに、かつてその母親を処理した時と同じように、綺麗に首を切り落としてしまおうと考えた。至極当然の戦略ですね」
「私の、せいで……?」
レオの呼吸が激しく乱れる。自分が彼女を求めたせいで、リリィの命の砂時計は一気に加速してしまった。
「あ……ああ、早く、早く行かなければ……ッ!!」
我失ったレオは、椅子を蹴立てて立ち上がった。
戦略も、計画も、通常業務も、すべてが頭から吹き飛んでいた。
今すぐ兵を動かすか、あるいは己一人でもいい、アイゼンハルトへ跳ばなければ。
一刻も早く彼女をあの地獄から連れ出し、自分の檻に閉じ込めなければ、彼女の白い首が赤く染まってしまう。
焦燥と恐怖に狂い、部屋を飛び出そうとしたレオの胸元を――。
ガシィッ、と、容赦ない力が掴んで、引き戻した。
「が、はっ……!?」
背中から強硬に机へと叩きつけられ、レオは息を詰まらせる。
目の前にあったのは、怜悧な刃そのものと化した、アルヴィーノの冷酷な双眸だった。
「どこへ行くつもりですか、無能」
アルヴィーノの声音には、怒りすらなく、ただ底冷えするような冷徹さだけがあった。
「今行ってどうするのです。また前と同じように、敵の罠に容易く嵌まり、今度は隣国の処刑台でその首を並べて晒されるつもりですか? 焦燥で思考を放棄するような獣に、軍師の盤面は動かせない」
「ですが……! リリィの時間が、ないのです! このままでは彼女が殺される……!!」
「ならば、さっさと私を黙らせる戦略を提出しなさい」
アルヴィーノはレオの胸元を乱暴に突き放すと、胸元の汚れを払うように冷たく言い放った。
「時間は半月。これまでの稚拙な作戦をすべて捨て、アイゼンハルトの精鋭を欺き、処刑台から彼女を掠め取る『完璧な必勝の策』を、今この場で組み立てる。……それ以外に、あの娘の首が繋がる道はありません」
「叔父、上……」
「座りなさい、レオ。貴方に焦る時間など、一秒たりとも与えられてはいない」
その言葉は、絶望の淵にいたレオの脳髄に、冷徹な楔となって打ち込まれた。
そうだ。焦って飛び出したところで、今の自分では再び無様に敗北するだけ。
目の前の、この『魔王』の知識をすべて吸い尽くし、敵の想定を遥かに超える悪魔の戦術を完成させなければ、リリィは絶対に救えない。
レオの緑の瞳から、一瞬の動揺が消え、代わりに底知れない『狂気の覚悟』が宿った。
「……わかり、ました」
掠れた声でそう応じると、レオは倒れた椅子を起こしもせず、床に膝をついたまま、散らばる羊皮紙の一枚を掴み取った。
ペンを握る指先からは、強すぎる力によって再び血が滲む。
リリィを殺させない。
彼女を救い、必ず自分だけの檻に閉じ込める。
その絶対的な狂愛の執着だけが、限界を迎えたレオの肉体を無理やり駆動させていた。
夜明けの来ない暗闇の中、若き策士は、命を削るようにして再びペンを走らせ始めた。