凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
アイゼンハルト帝国の冷徹な皇帝との謁見を終え、張り詰めた公式行事が一段落した昼下がり。
レオは、父アルフレッドの言葉に従い、息抜きという名の空白の時間を埋めるため、帝国の広大な王宮庭園へと足を向けていた。
レイストール王国の華やかな庭園とは異なり、アイゼンハルトの庭園はどこか幾何学的で、厳格な美しさに支配されている。
冷たい北西の風が通り抜ける中、レオは人通りのない奥まった一画を見つけ、大理石のベンチへと静かに腰を下ろした。
ふと視線を上げると、目の前には、見事なまでに純白の薔薇が咲き誇る高い生け垣が姿を現した。
寒冷な気候に耐え、気高く花開いた白薔薇の群生。
その圧倒的な白さを視界に収めた瞬間、レオの脳裏に、数週間前の記憶の断片が、望みもしないのに鮮明に浮かび上がった。
『あ、レオ! 見て見て、この薔薇。すごく綺麗に咲いてたから、少し摘んでアルヴィーノの執務室に飾るんだ! アルヴィーノ、いつも難しい顔をしてるから、これを見て少しでも笑ってくれるといいなぁ』
――無邪気に笑う、水色の髪の少年。
自分をただの「可愛い弟」として扱い、その世界の中心にいる叔父への愛を、一点の曇りもなく語っていた姿。
「……くっ」
胸を抉られるような愛おしさは、一瞬にして、あの日の悍ましい記憶へと強制的に書き換えられた。
『俺は、アルヴィーノが好きだから。何回記憶を消されたって、俺はまた、絶対にアルヴィーノを見つけて、もう一度あの人を好きになるよ』
『君の入るスペースなど、あの中にはなかったんだよ』
押し倒したソファの感触、拒絶の涙、父親の容赦なき断罪の声。
過去の幻影が頭の中で濁流となって渦巻くと同時に、レオは激しい頭痛に襲われ、思わず額を押さえて深く俯いた。
「はぁ、はぁ……っ……」
何の意味もない。
どんなに剣を極め、知略を磨き、異国の地へ来ようとも、自分はまだ、あの水色の檻から一歩も出られていない。
失うものなど何もないはずの虚無の心に、なおも執着の毒がこびりついて離れない現実に、レオはただ暗い地面を見つめて自嘲の息を漏らした。
――その時だった。
カサリ、と近くの木々の隙間から小さな音がした。
「――っ?」
長年の剣術の訓練による条件反射で、レオの視線が鋭くその方向へと向く。
覇気は失われていても、次期国王としての警戒心までは死んでいない。
新緑の瞳を細め、侵入者を捉えようとしたレオの視界に飛び込んできたのは――。
豪奢な薔薇の茂みの陰から、ひょこっと顔を覗かせている、一人の可愛らしい少女の姿だった。
その子は、燃えるような、しかしどこか優しく吸い込まれそうな赤い瞳をしていた。
見慣れない仕立ての上質なドレスを纏ったその少女は、レオの端正な、けれど完全に生気を失っている横顔を、ずっと陰から見守っていたのだろう。
その赤い両眸には、歳の頃の近いレオに対する、深い、そして純粋な心配の光が、ありありと浮かんでいた。
「あ……」
目が合うと、少女は気まずそうに、しかし逃げ出すこともせず、ただその場でおろおろと小さな手を弄んだ。
ルミに完全に拒絶され、世界中のすべてに拒まれて深い闇の底に沈んでいたレオ。
その冷え切った新緑の視界の中に、初めてアルヴィーノの影も、ルミへの執着も介さない、全く新しい「赤い光」が静かに差し込もうとしていた。
レオは、父アルフレッドの言葉に従い、息抜きという名の空白の時間を埋めるため、帝国の広大な王宮庭園へと足を向けていた。
レイストール王国の華やかな庭園とは異なり、アイゼンハルトの庭園はどこか幾何学的で、厳格な美しさに支配されている。
冷たい北西の風が通り抜ける中、レオは人通りのない奥まった一画を見つけ、大理石のベンチへと静かに腰を下ろした。
ふと視線を上げると、目の前には、見事なまでに純白の薔薇が咲き誇る高い生け垣が姿を現した。
寒冷な気候に耐え、気高く花開いた白薔薇の群生。
その圧倒的な白さを視界に収めた瞬間、レオの脳裏に、数週間前の記憶の断片が、望みもしないのに鮮明に浮かび上がった。
『あ、レオ! 見て見て、この薔薇。すごく綺麗に咲いてたから、少し摘んでアルヴィーノの執務室に飾るんだ! アルヴィーノ、いつも難しい顔をしてるから、これを見て少しでも笑ってくれるといいなぁ』
――無邪気に笑う、水色の髪の少年。
自分をただの「可愛い弟」として扱い、その世界の中心にいる叔父への愛を、一点の曇りもなく語っていた姿。
「……くっ」
胸を抉られるような愛おしさは、一瞬にして、あの日の悍ましい記憶へと強制的に書き換えられた。
『俺は、アルヴィーノが好きだから。何回記憶を消されたって、俺はまた、絶対にアルヴィーノを見つけて、もう一度あの人を好きになるよ』
『君の入るスペースなど、あの中にはなかったんだよ』
押し倒したソファの感触、拒絶の涙、父親の容赦なき断罪の声。
過去の幻影が頭の中で濁流となって渦巻くと同時に、レオは激しい頭痛に襲われ、思わず額を押さえて深く俯いた。
「はぁ、はぁ……っ……」
何の意味もない。
どんなに剣を極め、知略を磨き、異国の地へ来ようとも、自分はまだ、あの水色の檻から一歩も出られていない。
失うものなど何もないはずの虚無の心に、なおも執着の毒がこびりついて離れない現実に、レオはただ暗い地面を見つめて自嘲の息を漏らした。
――その時だった。
カサリ、と近くの木々の隙間から小さな音がした。
「――っ?」
長年の剣術の訓練による条件反射で、レオの視線が鋭くその方向へと向く。
覇気は失われていても、次期国王としての警戒心までは死んでいない。
新緑の瞳を細め、侵入者を捉えようとしたレオの視界に飛び込んできたのは――。
豪奢な薔薇の茂みの陰から、ひょこっと顔を覗かせている、一人の可愛らしい少女の姿だった。
その子は、燃えるような、しかしどこか優しく吸い込まれそうな赤い瞳をしていた。
見慣れない仕立ての上質なドレスを纏ったその少女は、レオの端正な、けれど完全に生気を失っている横顔を、ずっと陰から見守っていたのだろう。
その赤い両眸には、歳の頃の近いレオに対する、深い、そして純粋な心配の光が、ありありと浮かんでいた。
「あ……」
目が合うと、少女は気まずそうに、しかし逃げ出すこともせず、ただその場でおろおろと小さな手を弄んだ。
ルミに完全に拒絶され、世界中のすべてに拒まれて深い闇の底に沈んでいたレオ。
その冷え切った新緑の視界の中に、初めてアルヴィーノの影も、ルミへの執着も介さない、全く新しい「赤い光」が静かに差し込もうとしていた。