凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

三日の猶予は瞬く間に過ぎ、出発の朝が訪れた。

レイストール王国の王旗を掲げた豪奢な馬車は、厳重な近衛兵の護衛に守られながら、北西の国境を目指して静かに走り出した。
目指すは、険しい岩山と冷徹な軍律に支配された国――アイゼンハルト帝国。

ガタゴトと規則正しく揺れる馬車の車内は、重苦しい沈黙に支配されていた。
向かい合う座席に座る親子。
アルフレッドは、窓外へと流れていく見慣れた王都の景色を眺めつつも、その意識のすべてを対面に座る我が子へと向けていた。

レオは、やはりあの日から何一つ変わっていなかった。
仕立てのいい旅装に身を包み、背筋を正して座る姿は気品に満ちている。
しかし、その膝の上に広げられた厚い地政学の勉学書を見つめる新緑の瞳には、何の光も灯っていない。
ページを繰る白く細い指先は、まるで定められた規則に従って動く機械のようだった。
車内の狭い空間だからこそ、息子から発せられるその痛々しいほどの「覇気の無さ」が、アルフレッドの胸を鋭く締め付ける。

「……レオ」

耐えかねたように、アルフレッドが静かに声をかけた。
レオは、父の声に迷いなく反応し、視線を本から上げた。
乱れのない動作、完璧な姿勢。だが、向けられた新緑の瞳は、底の割れた深淵のように昏く、濁ったままだ。

「はい、父上。何かご指示でしょうか。アイゼンハルトとの魔導演習に関する協定書であれば、すでに全条項の暗記と、我が国に有利となる修正案の構築を終えておりますが」

抑揚のない、乾いた声。
彼はただ、与えられた「次期国王としての職務」を完璧に熟すことで、自らの壊れた心を埋め立てようとしていた。
それ以外の何にも興味を持たず、何を渇望することもない。

「いや、仕事の話ではないんだ」

アルフレッドは優しく、けれどどこか悲痛な色を帯びた碧眼で息子を見つめ、小さく首を振った。

「今回の外交は、少々長引く予定だ。あちらの皇帝との謁見だけでなく、国境付近の査察も含めれば、しばらくの間はアイゼンハルトに滞在することになる」

アルフレッドは言葉を一度区切り、馬車の窓の外、遠くに見え始めた峻厳な山脈へと視線を向けた。
あの大地の最深部、白亜の塔に幽閉されているという「白き姫リリィ」。
その素性を探り、レオの空っぽになった器に新たな運命を注ぎ込むための、これは長い旅になる。

「だから……現地に着いたら、少しは息抜きもしてくれ」
「息抜き、ですか」

レオは、その言葉の意味を頭の中で翻訳するかのように、小さく呟いた。

「国を離れ、見知らぬ異国の風土に触れることも、次期国王としての器を広げるための大事な経験だ。四六時中、そんな風に難しい本ばかりを読んでいる必要はない。あちらの王宮の庭園を散策するなり、街の様子を見るなり……君の好きなように時間を使っていいんだよ」

それは、アルフレッドならではの、痛々しい我が子を想う不器用な気遣いだった。
ルミの気配が残るレイストールから引き剥がし、異国の冷たい空気の中で、少しでも心の傷を癒やしてほしい。
張り詰めた心の糸を、ほんの少しでも緩めてほしいという、父親としての切実な願い。

「……分かりました。父上のお気遣いに感謝いたします」

しかし、レオの返答には、何の感情の起伏も、感謝の熱も含まれていなかった。
彼はただ、従順に頭を下げると、再び膝の上の勉学書へと視線を落とした。淡々と文字を追うその横顔には、やはり何の覇気も戻らない。

ガタゴトと、馬車は冷酷な足取りで進んでいく。
己を縛っていた歪んだ狂愛の鎖を失い、完全な虚無へと堕ちた光の王子彼がその旅路の果てに、大人の人間を病的なまでに恐れる儚き「白き雛」と出会った時、その凍りついた心に一体何が灯るのか。
馬車は冷たい風を切り裂きながら、静かに国境を越えていった。
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