凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

所変わってアルヴィーノの執務室。

窓から差し込むうららかな陽光とは対照的に、室内にはどこか沈んだ、重苦しい空気が漂っていた。
ルミは紺色の従者服に身を包み、机の上に積まれた軍事演習の報告書を仕分けるという、いつもの職務をこなしていた。
しかし、その手元は先ほどから何度も止まり、水色の長い髪を揺らしては、小さな唇から儚げな溜息ばかりが零れ落ちる。

「はぁ……」

一応、従者としての形は保っている。
けれど、その心は未だ数週間前のあの日に囚われたまま、一歩も前に進めていなかった。
書類の束を見つめるルミの脳裏に、何度も何度も、あの時のレオの絶叫が、涙で血走った新緑の瞳が蘇る。
自分が無邪気に「お兄ちゃん」を気取り、良かれと思って注いできた無自覚な親愛。
それが、歳の離れた大切な弟をどれほど狂わせ、追い詰め、最終的にあそこまで無残に叩き潰す原因になってしまったのか。
考えれば考えるほど、胸の奥が鋭利な刃物で抉られるように痛む。
カサリ、と力なく書類を置いたルミの頭上で、静かな、けれど深く甘やかな声音が響いた。

「……ルミ。そんなに溜息ばかりついていては、せっかくの美味しい紅茶が冷めてしまいますよ」

執務机の後ろ、黒革の椅子に深く腰掛けたアルヴィーノが、手にした万年筆を置いてルミを見つめていた。
紫髪の間から覗く切れ長の紫瞳には、軍議の時の冷徹さは微塵もなく、ただ愛しい伴侶を案じる、底なしの包容力だけが湛えられている。

「あ……アルヴィーノ様。ごめんなさい、俺、また……」
「謝る必要はありません。――彼のことなら、そのうちなんとかなりますよ。兄上が直々に、荒療治を兼ねて連れ出すようですからね」

アルヴィーノは長椅子から立ち上がると、迷いのない足取りでルミの元へと歩み寄り、その華奢な肩を後ろからそっと抱きすくめた。
漆黒の軍服から香る、いつもの落ち着く匂いがルミを包み込む。

「だから貴方が、これ以上その小さな心を痛める必要はどこにもないのです。我が小鳥は、ただ私の腕の中で、穏やかに笑っていればいい」

主としての、そして伴侶としての、絶対的な甘い肯定。
いつもなら、それだけで蕩けるような幸福に満たされるはずだった。
けれど、今のルミの胸に深く刺さった楔は、その甘やな言葉だけで容易に抜けるものではなかった。

「……うん。ありがとう、アルヴィーノ様。でもね、俺……やっぱり、どうしても考えちゃうんだ」

ルミは自身の胸元で、アルヴィーノの大きな手に自分の手を重ね、きゅっと握りしめた。
水色の瞳が、隠しきれない罪悪感と悲しみで潤んでいく。

「俺がもっと早く、レオの気持ちに気づいていれば……。あんなふうに、レオを追い詰める前に、ちゃんと一人の男の子として向き合って、話ができていれば……。レオがあんな顔をして、立ち上がれなくなるくらい傷つくことはなかったんじゃないかって、どうしても考えちゃうの」

ルミの声が、微かに震える。

「俺はアルヴィーノが大好きだから、レオの気持ちには一生答えられなかった。それは、何回記憶を消されたって変わらない。……だけど、だからこそ、もっと違う伝え方があったんじゃないかって。俺のせいで、レオの心を、未来を、あんなふうにめちゃくちゃに壊しちゃったんだもん……」

ぽつり、とルミの目から溢れた涙が、仕分け途中の書類に小さな染みを作った。
ルミは、アルヴィーノへの愛を微塵も疑っていない。
けれど同時に、自分を無条件に慕ってくれていた弟分を、己の無垢さゆえに奈落の底へ叩き落としてしまったという事実は、彼にとってあまりにも重い十字架だった。
背後から抱きしめるアルヴィーノは、そんなルミの痛切な後悔を、何も言わずにただ深い沈黙で受け止めていた。
すべてを自分の手の中に囲い込み、泥を払ってやりたい「魔王」の独占欲。
しかし、伴侶のこの心優しい「傷」さえもまた、自分が愛したルミという少年の魂の美しさなのだと、アルヴィーノは誰よりも理解していた。
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