凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

その日、国王執務室に足を踏み入れたレオの姿は、やはり数週間前と何一つ変わっていなかった。
寸分の乱れもない仕立ての礼服。
完璧な角度の拝礼。
しかし、その一連の美しい動作には、生きている人間の生気が完全に欠落している。
プラチナブロンドの髪の隙間から覗く新緑の瞳は、まるで底の割れた深淵のように昏く、濁ったまま。
声をかければ淀みなく言葉を返すが、そこには何の感情も、何の起伏も存在しない。

「父上、お呼びでしょうか。本日の内政に関する報告書であれば、すでにすべて目を通し、署名を終えておりますが」

抑揚のない、乾いた声。
アルフレッドは、机を挟んで佇む我が子のその痛々しい姿に、一瞬だけ胸を締め付けられるような痛みを覚えた。
アルヴィーノからあの密告書を渡されてから数日、アルフレッドは悩み、考え抜いた。
弟の提案は、レオの歪んだ支配欲を別の少女へと向けさせる、いわば「毒を以て毒を制す」悪魔の策だ。
だが同時に、このままこのルミの気配が残り、敗北の記憶が染みついたこの場所にレオを留め置いておけば、息子の心は本当に修復不可能なほどに腐食し、いつか完全に瓦解してしまう。
それだけは、父親として絶対に避けたかった。

「いや、今日の公務の話ではないんだ、レオ」

アルフレッドは努めて穏やかな、けれど威厳に満ちた声を響かせた。

「数日後、私は外交のために、南東のアイゼンハルト帝国へ赴く。……レオ、君も私に同行しなさい」

その言葉に、レオは拒絶も承諾も示さず、ただ静かに視線を上げた。
その瞳には、かつてルミを巡って知略を巡らせていた頃の、あのギラギラとした執着の光は微塵もない。

「……アイゼンハルト、ですか。あそこは軍事規律が厳格な国。次期国王としての見聞を広めるための随行、と理解してよろしいでしょうか」
「ああ、その通りだ。あちらの皇帝とも、国境付近の魔導演習に関する協定について直接話さねばならなくてね。君の持つ鋭い内政の視線が、交渉の席で必要になる」

アルフレッドは、あえて「白き姫リリィ」の存在を完全に伏せた。
アルヴィーノがもたらした情報には、アイゼンハルトのどこかにある白亜の塔に、不義の子である姫が幽閉されているという「素性」しか記されていない。
その姫が本当に実在するのか、どのような状態にあるのか、現地の情報網を直接動かし、独自に調査を進めて全容を掴むまでは、レオに余計な情報を与えるべきではないと判断したのだ。

何より、これはアルフレッドなりの、不器用で、けれど切実な親心(きづかい)だった。
外交という大義名分を与え、強制的にこのレイストール王国の重苦しい空気から引き剥がす。
旅路の冷たい風に吹かれ、異国の見知らぬ景色に身を置くことで、少しでもレオの胸に空いた巨大な空洞が、傷が、癒えるきっかけになればいい。
今はただ、その一縷の望みに賭けるしかなかった。

「……分かりました。陛下の随行員として、恥じぬよう準備を進めます」

レオは、やはり感情の乗らない声で淡々と応じ、深く一礼した。

「出発は三日後だ。体調を整えておくように」
「は。失礼いたします」

踵を返し、音もなく執務室を去っていく息子の背中を、アルフレッドは祈るような、そしてどこか悲痛な眼差しで見つめ続けていた。
行き先は、峻厳なる山脈に囲まれた、冷徹なるアイゼンハルト帝国。
そこで待ち受ける、光の届かぬ塔に閉じ込められた「白き雛」との邂逅が、破滅したレオの運命を再びどう狂わせていくのか。
この時のアルフレッドには、まだ知る由もなかった。
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