凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
激動の嵐が去り、王宮を包む冬のような静寂は、数週間が過ぎてもなお、解ける気配を見せなかった。
レオは変わらず、生気のない新緑の瞳で、淡々と職務を熟し続けている。
その完璧すぎる仕事ぶりが、かえって彼の「心の死」を際立たせ、周囲の文官たちを密かに戦慄させていた。
ルミは相変わらず罪悪感に身を焦がし、レオの視界に入らぬよう身を潜め続けている。
国王執務室の空気は、今日も胃が捩れるほどの緊張感に満ちていた。
アルフレッドは、長椅子に腰掛けて優雅に書類を捲る弟――アルヴィーノに対し、鋭い、刺すような視線を向けていた。
(お前、本当にとんでもないことをやってくれたな……)
言外にそう告げるアルフレッドの碧眼には、父親としての怒りと、剥き出しの圧が籠もっている。
ルミの拒絶が決定打だったとはいえ、わざとレオを挑発し、最後の最後に完璧な絶望のどん底へ叩き落としたのは、目の前にいる冷酷非情な軍師だ。
だが、そんな兄からの無言の猛圧を受けてもなお、アルヴィーノは眉一つ動かさず、至極飄々とした態度を崩さない。
「随分と物騒な視線ですね、兄上。書類に穴が空きそうだ」
「……誰のせいで私がこんなに頭を抱えていると思っているんだ。レオはあれから、まるで魂を抜かれた人形のようだ。公務に支障はないが……このままでは、あの子は本当に壊れてしまう」
アルフレッドは机に両肘を突き、深く、重い溜息とともに顔を覆った。
どれほど自分が「光の中で生きろ」と願おうとも、一度完全に叩き潰された息子の心が、一朝一夕で直る気配など微塵もない。
次期国王としての器を失いかねない我が子の痛々しい状況に、王はただ無力感に苛まれていた。
そんな兄の限界を察したのか、アルヴィーノは手元にあったチェスの駒を一つ進めるように、静かに書類を閉じた。
その紫の瞳に、軍師としての冷徹な光が宿る。
「兄上。壊れた器を元通りに修復することなど不可能です。――ですが、その空っぽになった器に、別の『何か』を満たすことならできる」
「別の、何か……?」
アルフレッドが怪訝そうに顔を上げた。
アルヴィーノは軍服の懐から、一通の古びた、しかし厳重に封印された書状を取り出し、執務机の上へと滑らせた。
「我が軍の情報網が掴んだ、一通の密告書です。北西の峻厳なる山脈に囲まれた軍事国家、『アイゼンハルト帝国』どこかにある白亜の塔――そこに、不浄の象徴として幽閉されている、哀れな姫君がいます」
アイゼンハルト帝国。
レイストール王国とも国境を接する、厳格で冷酷な南東の覇権国家。
「名はリリィ。国王の不義の子として生まれ、存在そのものを歴史から消され、長く光の届かぬ塔に閉じ込められている。……長く幽閉されていた影響で、大人の人間を病的なまでに恐れ、声もまともに出せないほどに心が摩耗しているとか」
アルフレッドは差し出された密告書を手に取り、眉をひそめた。
「他国の、幽閉された姫……。それが、レオと何の関係があるんだ? まさか、彼にその姫を救い出させ、新たな恋でもさせようというのか? そんな単純なことで、今のレオの執着が消えるはずが――」
「まさか。そんな甘い話ではありませんよ、兄上」
アルヴィーノの唇が、酷薄な弧を描いた。
「彼の歪んだ本質は、ルミという『弱者』を自らの庇護下に置き、外堀から支配し、独占しようとした執着です。ならば、ルミよりも遥かに脆く、他に行き場のない、完璧な弱者を与えればどうなるか。……自分を恐れ、縋るしか生きる術のない『白き雛』を前にした時、彼の中の『狂愛』が、どちらを向くかという実験です」
アルフレッドの背筋に、冷たいものが走った。
アルヴィーノは、レオの心を救おうとしているのではない。
レオの中に眠る狂気ともいえる本能を、この哀れな姫という新たな生贄(ターゲット)によって呼び覚まし、ルミから視線を逸らさせようとしているのだ。
「アイゼンハルト帝国の現体制には、我が国としても揺さぶりをかけたいところ。公務の変形として、レオにこの姫の奪還、および保護を命じてはいかがですか?――彼に、新たな『檻』の作り方を思い出させてあげるのです」
悪魔の囁きのような提案。
アルフレッドは密告書を握りしめ、言葉を失った。
だが、抜け殻のようになった息子を救うためには、この毒を以て毒を制すような軍師の策に、乗る以外の選択肢は残されていなかった。
レオは変わらず、生気のない新緑の瞳で、淡々と職務を熟し続けている。
その完璧すぎる仕事ぶりが、かえって彼の「心の死」を際立たせ、周囲の文官たちを密かに戦慄させていた。
ルミは相変わらず罪悪感に身を焦がし、レオの視界に入らぬよう身を潜め続けている。
国王執務室の空気は、今日も胃が捩れるほどの緊張感に満ちていた。
アルフレッドは、長椅子に腰掛けて優雅に書類を捲る弟――アルヴィーノに対し、鋭い、刺すような視線を向けていた。
(お前、本当にとんでもないことをやってくれたな……)
言外にそう告げるアルフレッドの碧眼には、父親としての怒りと、剥き出しの圧が籠もっている。
ルミの拒絶が決定打だったとはいえ、わざとレオを挑発し、最後の最後に完璧な絶望のどん底へ叩き落としたのは、目の前にいる冷酷非情な軍師だ。
だが、そんな兄からの無言の猛圧を受けてもなお、アルヴィーノは眉一つ動かさず、至極飄々とした態度を崩さない。
「随分と物騒な視線ですね、兄上。書類に穴が空きそうだ」
「……誰のせいで私がこんなに頭を抱えていると思っているんだ。レオはあれから、まるで魂を抜かれた人形のようだ。公務に支障はないが……このままでは、あの子は本当に壊れてしまう」
アルフレッドは机に両肘を突き、深く、重い溜息とともに顔を覆った。
どれほど自分が「光の中で生きろ」と願おうとも、一度完全に叩き潰された息子の心が、一朝一夕で直る気配など微塵もない。
次期国王としての器を失いかねない我が子の痛々しい状況に、王はただ無力感に苛まれていた。
そんな兄の限界を察したのか、アルヴィーノは手元にあったチェスの駒を一つ進めるように、静かに書類を閉じた。
その紫の瞳に、軍師としての冷徹な光が宿る。
「兄上。壊れた器を元通りに修復することなど不可能です。――ですが、その空っぽになった器に、別の『何か』を満たすことならできる」
「別の、何か……?」
アルフレッドが怪訝そうに顔を上げた。
アルヴィーノは軍服の懐から、一通の古びた、しかし厳重に封印された書状を取り出し、執務机の上へと滑らせた。
「我が軍の情報網が掴んだ、一通の密告書です。北西の峻厳なる山脈に囲まれた軍事国家、『アイゼンハルト帝国』どこかにある白亜の塔――そこに、不浄の象徴として幽閉されている、哀れな姫君がいます」
アイゼンハルト帝国。
レイストール王国とも国境を接する、厳格で冷酷な南東の覇権国家。
「名はリリィ。国王の不義の子として生まれ、存在そのものを歴史から消され、長く光の届かぬ塔に閉じ込められている。……長く幽閉されていた影響で、大人の人間を病的なまでに恐れ、声もまともに出せないほどに心が摩耗しているとか」
アルフレッドは差し出された密告書を手に取り、眉をひそめた。
「他国の、幽閉された姫……。それが、レオと何の関係があるんだ? まさか、彼にその姫を救い出させ、新たな恋でもさせようというのか? そんな単純なことで、今のレオの執着が消えるはずが――」
「まさか。そんな甘い話ではありませんよ、兄上」
アルヴィーノの唇が、酷薄な弧を描いた。
「彼の歪んだ本質は、ルミという『弱者』を自らの庇護下に置き、外堀から支配し、独占しようとした執着です。ならば、ルミよりも遥かに脆く、他に行き場のない、完璧な弱者を与えればどうなるか。……自分を恐れ、縋るしか生きる術のない『白き雛』を前にした時、彼の中の『狂愛』が、どちらを向くかという実験です」
アルフレッドの背筋に、冷たいものが走った。
アルヴィーノは、レオの心を救おうとしているのではない。
レオの中に眠る狂気ともいえる本能を、この哀れな姫という新たな生贄(ターゲット)によって呼び覚まし、ルミから視線を逸らさせようとしているのだ。
「アイゼンハルト帝国の現体制には、我が国としても揺さぶりをかけたいところ。公務の変形として、レオにこの姫の奪還、および保護を命じてはいかがですか?――彼に、新たな『檻』の作り方を思い出させてあげるのです」
悪魔の囁きのような提案。
アルフレッドは密告書を握りしめ、言葉を失った。
だが、抜け殻のようになった息子を救うためには、この毒を以て毒を制すような軍師の策に、乗る以外の選択肢は残されていなかった。