凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
王宮の喧騒から隔絶された、アルヴィーノの私室。
そこは、表舞台で完璧な「主と従者」を演じる二人が、唯一互いの素顔に戻れる絶対の聖域だった。
部屋の隅では、ルミが今回の東方遠征で使用した魔導具や書物を、手際よく棚へと片付けていた。
紺色の従者服の袖を少しだけ捲り上げ、水色の長い髪を揺らしながら立ち働く姿は、どこからどう見ても健気な従者そのものだ。
けれど、その内側に秘められた心は、主への無条件の愛で満たされている。
カチャリ、と静かな音を立てて、重厚な木目の扉が開いた。
入ってきたのは、漆黒の軍服に身を包んだアルヴィーノだ。
先ほどまで国王執務室で放っていた、あの凍りつくような「魔王」の覇気は、部屋に足を踏み入れた瞬間に霧散している。
「あ、アルヴィーノ! おかえりなさい」
ルミは抱えていた書類を机に置くと、ぱっと表情を輝かせて駆け寄った。
公の場での張り詰めた表情は消え去り、無邪気で可憐な笑みがその端正な顔に咲く。
「アルフレッド様とのお話、終わった? なんだか急に呼び出されるから、俺、少し心配しちゃった」
首を傾げ、覗き込むようにして尋ねるルミ。
その水色の瞳には、一点の曇りもない純粋な親愛と、ほんの少しの形ばかりの不安だけが浮かんでいた。
昨日、この王宮の地下でレオがどのような策謀を巡らせ、そして無様に瓦解したのか。
ルミは何も知らない。
アルヴィーノが、彼の世界からすべての泥を払い、綺麗なものだけを見せているからだ。
「……ただいま戻りました、ルミ」
アルヴィーノの声音は、先ほどアルフレッドに向けていたものとは到底同じとは思えないほど、深く、そして甘やかに震えていた。
彼は呼びかけると同時に長い腕を伸ばし、愛しい伴侶の華奢な身体を、壊れ物を惜しむように強く抱きすくめた。
「わっ……? アルヴィーノ……?」
突然の抱擁に、ルミは驚いて声を上げた。だが、拒むようなことは決してしない。
アルヴィーノの胸に顔を埋め、その心地よい体温と、わずかに香る異国の旅塵の匂いを愛おしそうに吸い込む。
「どうかしたの? やっぱり、何か大変なことでもあったんじゃ……」
「いいえ。何でもありませんよ」
アルヴィーノはルミの柔らかな水色の髪に指を滑らせ、その頭を優しく愛撫した。
兄の悲痛な叫び。
甥のドス黒い覚醒。
これから始まるであろう、血で血を洗うかもしれない身内の暗闘。
――そのすべてを、この小さな腕の中に囲い込んだ光から遠ざけるように、アルヴィーノは酷薄な微笑を、ルミの見えない頭上で浮かべる。
「ただの、長旅で疲れた兄上の愚痴に付き合わされていただけです。本当に……なんてことのない、くだらないお話でしたよ」
「もー、アルフレッド様ったら。アルヴィーノが遠征から帰ってきたばかりなのに、人使いが荒いんだから」
ルミはふふ、と呆れたように笑い、アルヴィーノの背中に腕を回して、その背をぽんぽんと叩いた。
慰めるような、慈しむような、あまりにも無防備なその温もり。
「ルミ。貴方はただ、私の傍で笑っていればいいのです」
囁かれた敬語の愛の言葉に、ルミは耳まで赤くしながらも、「うん……ずっと、一緒にいるよ」と小さく頷いた。
外の世界でどれほど歪んだ蜘蛛の糸が張られようとも、この私室という檻の中で、二人の絆はより一層、深く、濃密に色づいていく。
アルヴィーノはルミの身体をさらに強く引き寄せ、その白い首筋に、消えない刻印を残すように深く唇を寄せた。
そこは、表舞台で完璧な「主と従者」を演じる二人が、唯一互いの素顔に戻れる絶対の聖域だった。
部屋の隅では、ルミが今回の東方遠征で使用した魔導具や書物を、手際よく棚へと片付けていた。
紺色の従者服の袖を少しだけ捲り上げ、水色の長い髪を揺らしながら立ち働く姿は、どこからどう見ても健気な従者そのものだ。
けれど、その内側に秘められた心は、主への無条件の愛で満たされている。
カチャリ、と静かな音を立てて、重厚な木目の扉が開いた。
入ってきたのは、漆黒の軍服に身を包んだアルヴィーノだ。
先ほどまで国王執務室で放っていた、あの凍りつくような「魔王」の覇気は、部屋に足を踏み入れた瞬間に霧散している。
「あ、アルヴィーノ! おかえりなさい」
ルミは抱えていた書類を机に置くと、ぱっと表情を輝かせて駆け寄った。
公の場での張り詰めた表情は消え去り、無邪気で可憐な笑みがその端正な顔に咲く。
「アルフレッド様とのお話、終わった? なんだか急に呼び出されるから、俺、少し心配しちゃった」
首を傾げ、覗き込むようにして尋ねるルミ。
その水色の瞳には、一点の曇りもない純粋な親愛と、ほんの少しの形ばかりの不安だけが浮かんでいた。
昨日、この王宮の地下でレオがどのような策謀を巡らせ、そして無様に瓦解したのか。
ルミは何も知らない。
アルヴィーノが、彼の世界からすべての泥を払い、綺麗なものだけを見せているからだ。
「……ただいま戻りました、ルミ」
アルヴィーノの声音は、先ほどアルフレッドに向けていたものとは到底同じとは思えないほど、深く、そして甘やかに震えていた。
彼は呼びかけると同時に長い腕を伸ばし、愛しい伴侶の華奢な身体を、壊れ物を惜しむように強く抱きすくめた。
「わっ……? アルヴィーノ……?」
突然の抱擁に、ルミは驚いて声を上げた。だが、拒むようなことは決してしない。
アルヴィーノの胸に顔を埋め、その心地よい体温と、わずかに香る異国の旅塵の匂いを愛おしそうに吸い込む。
「どうかしたの? やっぱり、何か大変なことでもあったんじゃ……」
「いいえ。何でもありませんよ」
アルヴィーノはルミの柔らかな水色の髪に指を滑らせ、その頭を優しく愛撫した。
兄の悲痛な叫び。
甥のドス黒い覚醒。
これから始まるであろう、血で血を洗うかもしれない身内の暗闘。
――そのすべてを、この小さな腕の中に囲い込んだ光から遠ざけるように、アルヴィーノは酷薄な微笑を、ルミの見えない頭上で浮かべる。
「ただの、長旅で疲れた兄上の愚痴に付き合わされていただけです。本当に……なんてことのない、くだらないお話でしたよ」
「もー、アルフレッド様ったら。アルヴィーノが遠征から帰ってきたばかりなのに、人使いが荒いんだから」
ルミはふふ、と呆れたように笑い、アルヴィーノの背中に腕を回して、その背をぽんぽんと叩いた。
慰めるような、慈しむような、あまりにも無防備なその温もり。
「ルミ。貴方はただ、私の傍で笑っていればいいのです」
囁かれた敬語の愛の言葉に、ルミは耳まで赤くしながらも、「うん……ずっと、一緒にいるよ」と小さく頷いた。
外の世界でどれほど歪んだ蜘蛛の糸が張られようとも、この私室という檻の中で、二人の絆はより一層、深く、濃密に色づいていく。
アルヴィーノはルミの身体をさらに強く引き寄せ、その白い首筋に、消えない刻印を残すように深く唇を寄せた。