凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
数年の歳月は、王宮内の歪な均衡をさらに深化させていた。
第一王子レオは、今や誰もがその知略と武勇を恐れるほどの、冷徹で完璧な「光の王子」としての地位を不動のものにしていた。
父アルフレッドの言葉通り、完璧な弟の仮面を被りながら、王宮の内外を問わず、ルミの周囲の「外堀」を音も立てずにじわじわと埋め尽くす――その執念の網の目は、すでに完成へと近づきつつあった。
そんなある日の昼下がり。
国王アルフレッドの執務室に、再び重苦しい空気が流れていた。
「――アルヴィーノ。すまないが、動いてもらいたい」
デスクに広げられた大陸の地図を指さしながら、アルフレッドが低い声を響かせた。
その碧眼には、長年の心労と、大陸の情勢を憂う王としての冷徹な光が宿っている。
「東方の辺境にある小国、『バルトロメウス公国』だ。度重なる国境線の調停に対し、再三の警告にもかかわらず、未だに判を押そうとしない。表向きはただの頑迷な小国を装っているが……我が方の密偵の報告によれば、裏で過激派と密通している形跡がある」
バルトロメウス公国。
領土こそ狭小だが、険しい山岳地帯に囲まれた天然の要害であり、その裏で張り巡らされた密約の根は深い。
放置すれば、レイストール王国の東側を脅かす巨大な火種になりかねない、 非常に厄介な「毒芽」だった。
「これ以上の対話は無意味だ。……手遅れになる前に、その芽を完全に摘んできてほしい」
「――承知いたしました、陛下」
アルヴィーノは隙のない挙作で一礼した。
漆黒の軍服に身を包んだその佇まいは、数年前と何ら変わらず、むしろ周囲の空気を凍りつかせる覇気は増している。
「大国を後ろ盾に得て、 己の身の程を見失った愚者どもです。二度と我が国に不敬を働けぬよう、その傲慢ごと、 根絶やしにしてご覧に入れましょう」
「ああ。……頼むよ」
アルフレッドは短く応じ、 祈るようにデスクに両手を突いた。
国の平穏のためには、 この冷酷無比な「慈悲なき軍師」の力が必要不可欠だった。
だが同時に、 彼が動くということは、 凄惨な血の雨が降ることを意味している。
アルヴィーノは翻した外套の裾を闇に揺らし、 執務室の重厚な扉を開けた。
「お待たせしました、 ルミ。 出陣です」
扉の外の回廊には、 じっと主の帰りを待っていたルミの姿があった。
今日のルミの装いは、 王宮内での白くふわふわとしたロリータ服ではない。
戦場への随行、 あるいは他国への公式な出陣の際にのみ着用を許される、 レイストール王国軍師直属の「紺色の従者服」だった。
深い夜空を思わせる紺青の生地に、 金の刺繍が厳かに施された上質な上着。
首元には白いタイが端正に結ばれ、 いつもより少し大人びた、 凛とした雰囲気を醸し出している。
「はい、 アルヴィーノ様。 材料の準備も、 馬車の配置も、 すべて完了しています」
ルミは水色の長い髪を一つに束ね、 瑞々しい瞳をまっすぐにアルヴィーノへと向けた。
どんなに危険な戦地であっても、 この男の傍らこそが自分の居場所であると、 その表情が雄弁に物語っている。
「よくできました。……行きましょう。我が愛しい従者」
アルヴィーノはルミの紺色の肩をそっと抱き寄せるようにして、 長い回廊を歩き出した。
二人の足音が、 静まり返った王宮に規則正しく響き渡る。
主と従者。
誰もが介入できない、 縦の絶対的な絆。
しかし、 二人が王宮の門へと向かうその道すがら――。
回廊の暗がりに佇む、 純白の礼服を纏ったひとつの影が、 その後ろ姿をじっと見つめていた。
成長し、 誰よりも美しく、 そして誰よりも昏い知性を宿した第一王子レオ。
その新緑の瞳は、 ルミの纏う「紺色の従者服」を、 そして彼を連れ去る叔父の背中を、 凍りつくような冷徹さで見据えていた。
(バルトロメウス公国……。 叔父上、 貴方が王宮を離れ、 その絶対的な支配の目が届かなくなるこの瞬間を……私は、 ずっと待っていたのですよ)
完璧な弟の仮面の下で、 レオの唇の端が、 狂気的な愉悦を孕んでゆっくりと持ち上がる。
二人の化け物が恐るべき破滅へと向かう中、 誰も知らない裏側で、 レオの編み上げた「外堀を埋める罠」の歯車が、 ついに冷酷な音を立てて噛み合い、 動き出そうとしていた。
第一王子レオは、今や誰もがその知略と武勇を恐れるほどの、冷徹で完璧な「光の王子」としての地位を不動のものにしていた。
父アルフレッドの言葉通り、完璧な弟の仮面を被りながら、王宮の内外を問わず、ルミの周囲の「外堀」を音も立てずにじわじわと埋め尽くす――その執念の網の目は、すでに完成へと近づきつつあった。
そんなある日の昼下がり。
国王アルフレッドの執務室に、再び重苦しい空気が流れていた。
「――アルヴィーノ。すまないが、動いてもらいたい」
デスクに広げられた大陸の地図を指さしながら、アルフレッドが低い声を響かせた。
その碧眼には、長年の心労と、大陸の情勢を憂う王としての冷徹な光が宿っている。
「東方の辺境にある小国、『バルトロメウス公国』だ。度重なる国境線の調停に対し、再三の警告にもかかわらず、未だに判を押そうとしない。表向きはただの頑迷な小国を装っているが……我が方の密偵の報告によれば、裏で過激派と密通している形跡がある」
バルトロメウス公国。
領土こそ狭小だが、険しい山岳地帯に囲まれた天然の要害であり、その裏で張り巡らされた密約の根は深い。
放置すれば、レイストール王国の東側を脅かす巨大な火種になりかねない、 非常に厄介な「毒芽」だった。
「これ以上の対話は無意味だ。……手遅れになる前に、その芽を完全に摘んできてほしい」
「――承知いたしました、陛下」
アルヴィーノは隙のない挙作で一礼した。
漆黒の軍服に身を包んだその佇まいは、数年前と何ら変わらず、むしろ周囲の空気を凍りつかせる覇気は増している。
「大国を後ろ盾に得て、 己の身の程を見失った愚者どもです。二度と我が国に不敬を働けぬよう、その傲慢ごと、 根絶やしにしてご覧に入れましょう」
「ああ。……頼むよ」
アルフレッドは短く応じ、 祈るようにデスクに両手を突いた。
国の平穏のためには、 この冷酷無比な「慈悲なき軍師」の力が必要不可欠だった。
だが同時に、 彼が動くということは、 凄惨な血の雨が降ることを意味している。
アルヴィーノは翻した外套の裾を闇に揺らし、 執務室の重厚な扉を開けた。
「お待たせしました、 ルミ。 出陣です」
扉の外の回廊には、 じっと主の帰りを待っていたルミの姿があった。
今日のルミの装いは、 王宮内での白くふわふわとしたロリータ服ではない。
戦場への随行、 あるいは他国への公式な出陣の際にのみ着用を許される、 レイストール王国軍師直属の「紺色の従者服」だった。
深い夜空を思わせる紺青の生地に、 金の刺繍が厳かに施された上質な上着。
首元には白いタイが端正に結ばれ、 いつもより少し大人びた、 凛とした雰囲気を醸し出している。
「はい、 アルヴィーノ様。 材料の準備も、 馬車の配置も、 すべて完了しています」
ルミは水色の長い髪を一つに束ね、 瑞々しい瞳をまっすぐにアルヴィーノへと向けた。
どんなに危険な戦地であっても、 この男の傍らこそが自分の居場所であると、 その表情が雄弁に物語っている。
「よくできました。……行きましょう。我が愛しい従者」
アルヴィーノはルミの紺色の肩をそっと抱き寄せるようにして、 長い回廊を歩き出した。
二人の足音が、 静まり返った王宮に規則正しく響き渡る。
主と従者。
誰もが介入できない、 縦の絶対的な絆。
しかし、 二人が王宮の門へと向かうその道すがら――。
回廊の暗がりに佇む、 純白の礼服を纏ったひとつの影が、 その後ろ姿をじっと見つめていた。
成長し、 誰よりも美しく、 そして誰よりも昏い知性を宿した第一王子レオ。
その新緑の瞳は、 ルミの纏う「紺色の従者服」を、 そして彼を連れ去る叔父の背中を、 凍りつくような冷徹さで見据えていた。
(バルトロメウス公国……。 叔父上、 貴方が王宮を離れ、 その絶対的な支配の目が届かなくなるこの瞬間を……私は、 ずっと待っていたのですよ)
完璧な弟の仮面の下で、 レオの唇の端が、 狂気的な愉悦を孕んでゆっくりと持ち上がる。
二人の化け物が恐るべき破滅へと向かう中、 誰も知らない裏側で、 レオの編み上げた「外堀を埋める罠」の歯車が、 ついに冷酷な音を立てて噛み合い、 動き出そうとしていた。