凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-
華やかな大広間を埋め尽くしていた貴族たちの波が、夜の更けるとともに、一人、また一人と去っていく。
馬車の轍の音が遠ざかり、あれほど眩かった魔導光の灯火が少しずつ落とされていく中、空間には祭りのあとのような、 ひやりとした冷たい静寂が広がりつつあった。
扉の前に立ち、 退出する高位貴族たちを完璧な礼儀で見送っているのは、 レオだった。
「本日はありがとうございました。 貴方方との会話は、 非常に有意義でしたよ」
純白の礼服に身を包んだレオは、 疲弊の色を一切見せず、 淀みない言葉と非の打ち所のない微笑みを令嬢たちに手渡していた。
その姿は、 誰もが次期国王としての資質を確信するほどに洗練されている。
だが、 その新緑の瞳の奥は、 完全に凍りついていた。
ただ機械的に言葉を紡ぎ、 貴族たちを見送るレオの意識は、 大広間の一角――今なお残る、 濃密な闇の気配へと向けられていた。
そこには、 アルフレッドとアルヴィーノが並んで佇み、 レオのその完璧な背中を見守っていた。
アルヴィーノの漆黒の軍服の影。
そこには、 先ほどの「最後の1曲」の余熱が冷めやらないルミの姿があった。
白くてふわふわなロリータ服の裾を小さく揺らしながら、 ルミはアルヴィーノの腕の外套をぎゅっと掴み、 隠れるようにして寄り添っている。
その白い頬は未だに薔薇色に火照り、 水色の瞳は、 潤んだ熱を帯びたまま、 憧憬を込めてアルヴィーノを見上げていた。
公の場での禁忌を犯してまで自分を求めてくれた、 あの強い抱擁の感触が、 ルミの心を今なお激しく歓喜で支配しているのだ。
我が子が放つ張り詰めた狂気と、 実の弟が撒き散らした身勝手な独占欲の残滓。
その狭間に立たされたアルフレッドは、 絞り出すような低い声音で、 隣の弟へ向けて静かに怒りを告げた。
「……アルヴィーノ。 お前は一体、 何をしてくれたんだ」
その碧眼には、 一国の王としての冷徹な怒りと、 父親としての底知れぬ絶望が宿っていた。
「あれほど『大人しくしていてくれ』と、 僕はあれほど頼んだはずだ。 レオの婚約者を探すための最重要な夜に、 君はわざわざ公衆の面前でルミくんの手を取り、 踊って見せた。 自分が敷いた主従の法を自ら破り、 レオを、 そして周囲の貴族たちを煽るような真似をして……何のつもりだ」
アルフレッドの拳は、 激しい怒りで微かに震えていた。
兄の血を吐くような訴えを無視し、 我が子の心を決定的に踏みにじった弟の暴挙。
それが許せなかった。
しかし、 アルヴィーノはレオを見つめたまま、 眉一つ動かさなかった。
完璧に統制された軍師の顔のまま、 酷く滑らかに、 傲然と言い放つ。
「何、 と言われても困りますね、 陛下。 私はただ、 義務を果たしたまでです」
「義務だと……?」
「ええ」
アルヴィーノは視線だけを動かし、 自身の影で頬を赤らめているルミへと、 酷く深い紫の瞳を向けた。
「私はルミの主であり、 ルミは私の従者だ。 主に『伴をしなさい』と請われれば、 従者はそれを拒む権利を持たない。 私はただ、 私の所有物である従者にダンスを命じ、 従者はそれに従った。 ……ただの主従の、 事務的なやり取りですよ」
「アルヴィーノ……っ」
「これほど都合のいい関係はないでしょう?」
アルヴィーノの唇の端が、 愉悦を孕んで僅かに持ち上がる。
「『主従』という完璧な縦の関係があるからこそ、 私はルミに命令を下し、 誰の介入も許さず、 この腕の中に縛り付けることができる。 歳の離れた『可愛い弟』などという、 対等で生温い家族の情誼(じょうぎ)よりも、 遥かに強固で、 確実な支配だ。 ……それを、 彼に今一度、 理解させてあげたのですよ」
言葉の裏に隠された、 残酷なまでの格の違い。
レオがどれほど「弟」としての信頼を築こうとも、 アルヴィーノが「主」として一言命じれば、 ルミはその身体ごとアルヴィーノの元へ跪く。
その絶対的な現実を、 最後の曲ですべての貴族の前で見せつけたのだ。
「――お前というやつは……!!」
アルフレッドはついに耐えかねたように、 激しい頭痛とともに自身の額を深く押さえ、 苦悶の表情で頭を抱え込んだ。
胃の奥が雑巾のように雑に絞られるような、 焼けるような激痛。
アルフレッドの必死の制止も、 懇願も、 この二人の化け物の前では何の意味もなさなかった。
光の王子として育てたはずの我が子は、 叔父の背中を睨みつけながら深い深淵へと沈み、 その叔父は、 甥の牙をへし折るためにさらに冷酷な現実を突きつける。
「頼むから……頼むから、 これ以上レオを刺激しないでくれ、 アルヴィーノ……」
アルフレッドは声を震わせ、 祈るように呟いた。
「あの子は……レオはもう、 傷ついて引き下がるような子供ではないんだ。 君がそうやって圧倒的な力の差を見せつければ見せつけるほど、 あの子は『真っ当な手段では君に勝てない』と学習し、 より緻密で、 より逃げ場のない『最悪の罠』を裏で編み上げることになる。 君がルミくんを檻に囲うなら、 あの子は国ごと、 君のその檻ごと、 ルミくんを自分の深淵へ引きずり落とすつもりだぞ……!」
それは、 善性の王だからこそ予見できた、 最悪の未来の崩壊劇だった。
「……フン。 ならば、 どこまで足掻けるか見ものですね」
アルヴィーノは兄の絶望を冷徹に切り捨てると、 掴まれていたルミの手をそっと自身の大きな手で包み直し、 翻した漆黒の外套の影へとルミを完全に隠すようにして、 歩き出した。
「行きましょう、 ルミ。 夜風が冷えます」
「あ、 うん……っ。 アルヴィーノ様……」
ルミはアルヴィーノの歩調に合わせ、 幸せそうに寄り添いながら、 大広間の奥へと消えていく。
去っていく黒と白の背中を、 貴族を送り出し終えたレオが、 遠くからじっと見つめていた。
完全に孤立した大広間の中心で、 レオの落とす影は、 床一面を侵食するように長く、 昏く伸びている。
その新緑の瞳には、 もはや「完璧な弟」の光など一滴も残されてはいなかった。
(外側から、 じっくりと……。 ええ、 叔父上。 貴方のその『主従』という傲慢な絆ごと、 すべての土台を削り崩して差し上げます。 ルミにぃが、 私の檻の中でしか息ができなくなるその日まで)
王宮の平穏な日常の裏側で、 二人の化け物の執着は完全に臨界点を突破し、 逃げ場のない破滅への歯車が、 凄まじい轟音を立てて回り始めていた。
馬車の轍の音が遠ざかり、あれほど眩かった魔導光の灯火が少しずつ落とされていく中、空間には祭りのあとのような、 ひやりとした冷たい静寂が広がりつつあった。
扉の前に立ち、 退出する高位貴族たちを完璧な礼儀で見送っているのは、 レオだった。
「本日はありがとうございました。 貴方方との会話は、 非常に有意義でしたよ」
純白の礼服に身を包んだレオは、 疲弊の色を一切見せず、 淀みない言葉と非の打ち所のない微笑みを令嬢たちに手渡していた。
その姿は、 誰もが次期国王としての資質を確信するほどに洗練されている。
だが、 その新緑の瞳の奥は、 完全に凍りついていた。
ただ機械的に言葉を紡ぎ、 貴族たちを見送るレオの意識は、 大広間の一角――今なお残る、 濃密な闇の気配へと向けられていた。
そこには、 アルフレッドとアルヴィーノが並んで佇み、 レオのその完璧な背中を見守っていた。
アルヴィーノの漆黒の軍服の影。
そこには、 先ほどの「最後の1曲」の余熱が冷めやらないルミの姿があった。
白くてふわふわなロリータ服の裾を小さく揺らしながら、 ルミはアルヴィーノの腕の外套をぎゅっと掴み、 隠れるようにして寄り添っている。
その白い頬は未だに薔薇色に火照り、 水色の瞳は、 潤んだ熱を帯びたまま、 憧憬を込めてアルヴィーノを見上げていた。
公の場での禁忌を犯してまで自分を求めてくれた、 あの強い抱擁の感触が、 ルミの心を今なお激しく歓喜で支配しているのだ。
我が子が放つ張り詰めた狂気と、 実の弟が撒き散らした身勝手な独占欲の残滓。
その狭間に立たされたアルフレッドは、 絞り出すような低い声音で、 隣の弟へ向けて静かに怒りを告げた。
「……アルヴィーノ。 お前は一体、 何をしてくれたんだ」
その碧眼には、 一国の王としての冷徹な怒りと、 父親としての底知れぬ絶望が宿っていた。
「あれほど『大人しくしていてくれ』と、 僕はあれほど頼んだはずだ。 レオの婚約者を探すための最重要な夜に、 君はわざわざ公衆の面前でルミくんの手を取り、 踊って見せた。 自分が敷いた主従の法を自ら破り、 レオを、 そして周囲の貴族たちを煽るような真似をして……何のつもりだ」
アルフレッドの拳は、 激しい怒りで微かに震えていた。
兄の血を吐くような訴えを無視し、 我が子の心を決定的に踏みにじった弟の暴挙。
それが許せなかった。
しかし、 アルヴィーノはレオを見つめたまま、 眉一つ動かさなかった。
完璧に統制された軍師の顔のまま、 酷く滑らかに、 傲然と言い放つ。
「何、 と言われても困りますね、 陛下。 私はただ、 義務を果たしたまでです」
「義務だと……?」
「ええ」
アルヴィーノは視線だけを動かし、 自身の影で頬を赤らめているルミへと、 酷く深い紫の瞳を向けた。
「私はルミの主であり、 ルミは私の従者だ。 主に『伴をしなさい』と請われれば、 従者はそれを拒む権利を持たない。 私はただ、 私の所有物である従者にダンスを命じ、 従者はそれに従った。 ……ただの主従の、 事務的なやり取りですよ」
「アルヴィーノ……っ」
「これほど都合のいい関係はないでしょう?」
アルヴィーノの唇の端が、 愉悦を孕んで僅かに持ち上がる。
「『主従』という完璧な縦の関係があるからこそ、 私はルミに命令を下し、 誰の介入も許さず、 この腕の中に縛り付けることができる。 歳の離れた『可愛い弟』などという、 対等で生温い家族の情誼(じょうぎ)よりも、 遥かに強固で、 確実な支配だ。 ……それを、 彼に今一度、 理解させてあげたのですよ」
言葉の裏に隠された、 残酷なまでの格の違い。
レオがどれほど「弟」としての信頼を築こうとも、 アルヴィーノが「主」として一言命じれば、 ルミはその身体ごとアルヴィーノの元へ跪く。
その絶対的な現実を、 最後の曲ですべての貴族の前で見せつけたのだ。
「――お前というやつは……!!」
アルフレッドはついに耐えかねたように、 激しい頭痛とともに自身の額を深く押さえ、 苦悶の表情で頭を抱え込んだ。
胃の奥が雑巾のように雑に絞られるような、 焼けるような激痛。
アルフレッドの必死の制止も、 懇願も、 この二人の化け物の前では何の意味もなさなかった。
光の王子として育てたはずの我が子は、 叔父の背中を睨みつけながら深い深淵へと沈み、 その叔父は、 甥の牙をへし折るためにさらに冷酷な現実を突きつける。
「頼むから……頼むから、 これ以上レオを刺激しないでくれ、 アルヴィーノ……」
アルフレッドは声を震わせ、 祈るように呟いた。
「あの子は……レオはもう、 傷ついて引き下がるような子供ではないんだ。 君がそうやって圧倒的な力の差を見せつければ見せつけるほど、 あの子は『真っ当な手段では君に勝てない』と学習し、 より緻密で、 より逃げ場のない『最悪の罠』を裏で編み上げることになる。 君がルミくんを檻に囲うなら、 あの子は国ごと、 君のその檻ごと、 ルミくんを自分の深淵へ引きずり落とすつもりだぞ……!」
それは、 善性の王だからこそ予見できた、 最悪の未来の崩壊劇だった。
「……フン。 ならば、 どこまで足掻けるか見ものですね」
アルヴィーノは兄の絶望を冷徹に切り捨てると、 掴まれていたルミの手をそっと自身の大きな手で包み直し、 翻した漆黒の外套の影へとルミを完全に隠すようにして、 歩き出した。
「行きましょう、 ルミ。 夜風が冷えます」
「あ、 うん……っ。 アルヴィーノ様……」
ルミはアルヴィーノの歩調に合わせ、 幸せそうに寄り添いながら、 大広間の奥へと消えていく。
去っていく黒と白の背中を、 貴族を送り出し終えたレオが、 遠くからじっと見つめていた。
完全に孤立した大広間の中心で、 レオの落とす影は、 床一面を侵食するように長く、 昏く伸びている。
その新緑の瞳には、 もはや「完璧な弟」の光など一滴も残されてはいなかった。
(外側から、 じっくりと……。 ええ、 叔父上。 貴方のその『主従』という傲慢な絆ごと、 すべての土台を削り崩して差し上げます。 ルミにぃが、 私の檻の中でしか息ができなくなるその日まで)
王宮の平穏な日常の裏側で、 二人の化け物の執着は完全に臨界点を突破し、 逃げ場のない破滅への歯車が、 凄まじい轟音を立てて回り始めていた。