凍てつく姫に、春を告ぐ-蒼き獅子の騎士譚-

――それは、狂気とも呼べる執念の加速だった。

城下町でルミの口から告げられた「大好きな人の色」という残酷な真実。
それが最後の一滴となり、レオの胸中で燻っていた焔は、すべてを焼き尽くす苛烈な業火へと化していた。

それからのレオは、これまでの努力すら生温いと思わせるほどの、凄まじいまでの自己研鑽に身を投じた。
夜明け前の静寂の中、まだ誰もいない訓練場には、鋭く空を切り裂く剣鳴が途切れることなく響き渡った。
手のひらの皮膚が裂け、剣の柄が血に染まろうとも、レオの緑の瞳が光を失うことはない。
座学においては、王国の法や帝王学に留まらず、かつて叔父アルヴィーノが戦場で用いたという高度な戦術書のすべてを暗記し、その思考回路さえも我が物としようとした。

さらに、魔術の訓練は凄絶を極めた。
光の王子としての資質を持ちながらも、レオが求めたのは叔父に対抗し得る、より強大で絶対的な「力」だった。
全ての魔法、さらには宮廷魔術師すら戦慄するような高位の攻撃魔法の制御を、まだ十代前半の身体で完全に掌握せんとしたのだ。
膨大な魔力を練り上げるたび、全身の血管が焼き切れるような激痛が走る。
だが、レオはその苦痛すらも、ルミへ至るための心地よい代償として、冷徹に受け入れていた。

周囲の大人たちは、その常軌を逸した精進ぶりに目を見張り、同時に底知れぬ恐ろしさを抱き始めていた。
父アルフレッドの胃痛は日を追うごとに悪化し、レオから漂う「慈悲なき軍師(魔王)」の影は、もはや隠しきれないほどに濃くなっていた。

すべては、ルミを手に入れるため。
搦め手で、 緻密に、 完璧に、 誰も介入できない巨大な檻を外側から構築し、あの人を完全に閉じ込めるために。

だが、そんなレオの身を削るような血にまみれた努力の理由を、ルミだけは、本当の意味で知らなかった。

「――レオ、もうおしまい!これ以上は絶対に駄目!」

ある日の深い夜。
激しい魔術の鍛錬を終え、自身の私室で息を整えていたレオのもとに、 扉を強く押し開けてルミが飛び込んできた。
いつもならパタパタと楽しげに響く足音は、今夜はひどく焦燥に駆られて乱れている。
水色の長い髪を振り乱し、白いロリータ服の裾を揺らして駆け寄ってきたルミの顔は、見たこともないほどに青ざめていた。

「ルミにぃ……?」

レオは瞬時に、荒い呼吸を完璧に統制した。
新緑の瞳から昏い狂気を綺麗に消し去り、いつもの優しく従順な「弟」の顔でルミを見つめる。
ルミはレオの前にしゃがみ込むと、躊躇うことなくその白く細い両手で、レオの大きく逞しくなった両手を包み込んだ。
手のひらから伝わってくるのは、剣術で擦り切れ、魔力の酷使で微かに震えるレオの痛々しい熱だ。

「……無理しちゃだめ! お願いだから、もうこれ以上無理はしないで、レオ!」

ルミの声は、 泣き出しそうなほどに震えていた。
瑞々しい水色の瞳に、 ぽろぽろと大粒の涙が溜まっていく。

「最近のレオは、なんだか遠くに行っちゃいそうで、見ていてすごく怖いの。お勉強も、剣も、魔法も、そんなに一度に頑張ったら、レオの身体が壊れちゃうよ……。俺、レオに倒れてほしくない。だって、俺の、世界で一番可愛くて大切な弟なんだもん……」

ルミはきゅっと、レオの手を胸元で抱きしめるように強く握り直した。
そこに宿っているのは、かつてエルザのお腹を撫でながら「お兄ちゃんになる」と誓ったあの昼下がりから、一歩もブレていない、純粋で無垢な家族への愛情だった。
血は繋がっていなくとも、自分を「お兄ちゃん」と呼んで慕ってくれたこのプラチナブロンドの少年を、傷つけたくない、守りたいという、あまりにも優しい光。

ルミの涙。
自分を心から案じる、 震える声。
その瞬間、レオの胸の奥底に、気が遠くなるほどの甘美な衝撃が走った。

(ああ、 ルミにぃ……)

ルミに触れられている手のひらから、極上の熱が全身へと駆け巡る。
ルミの世界の中心には、まだあの深い紫色の男がいる。
自分に向けられているのは、相変わらず「弟」へ対する歪みのない親愛だ。

けれど――それでも、 構わなかった。
自分のために、 この純粋な人が涙を流してくれている。
自分の身体を心配し、 その細い手で必死に繋ぎ止めようとしてくれている。

その事実だけで、 レオの歪んだ心は、 狂おしいほどの歓喜で満たされた。

「……すみません、 ルミにぃ。貴方を、 そんなに不安にさせてしまうなんて、 弟失格ですね」

レオはふっと、 世界で最も美しい聖者のような、 完璧な「光の王子」の微笑みを浮かべた。
そして、 自分を包むルミの小さな両手を、 逆にそっと、 壊れ物を扱うような優しさで包み込み、 その甲にそっと額を押し当てた。 長い睫毛の影に、 底なしの執念を隠しながら。

「貴方のその優しいお言葉だけで……私は、 どこまでも強くなれる。 どんな試練も、 容易く乗り越えられます」

(ええ、 もっと頑張れますとも。 貴方が泣いて止めるというのなら、 私は貴方の前では、 完璧に無害な弟であり続けましょう。 ……ですが、 貴方の見えない外側では、 決して手を緩めない。 貴方の退路を、 その優しい心を搦め捕るための蜘蛛の糸を、 私はもっと強固に、 密密と張り巡らせてみせます)

「本当に……? 約束、 してくれる?」

涙を浮かべたまま、 どこまでも無防備に顔を上げるルミ。

「はい、 お約束します。 ルミにぃ」

レオは新緑の瞳を細め、 慈愛に満ちた声で囁いた。
ルミにぃ、 貴方はまだ知らない。
その無垢な優しさと、 私を繋ぎ止めようとするその温かな両手こそが、 私という怪物の牙を、 最も鋭く研ぎ澄ます最高の蜜であるということを。

深夜の静寂の中、 互いの手を握り合う二人の姿は、 どこまでも美しく、 ほわほわとした絆に結ばれているように見えた。
しかし、 ルミの背後に広がる暗闇の中、 レオの落とす影は、 すでにルミの白い足元を完全に侵食し、 逃れられぬ深淵へと引きずり込もうと、 じっと息を潜めていた。
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