記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-

ルミの寝息が静かに部屋を満たす頃、アルヴィーノは足音もなく主寝室へと戻ってきた。

愛おしいお嫁さんの寝顔を一目見るため、そして、枕元に置かれた電子端末の充電を確認するためだ。婚約記念日という特別な1日を終え、アルヴィーノの胸には、ルミへの狂おしいほどの情愛と、同時に「明日の朝にはまたリセットされてしまう」という、慣れ親しんだ、けれど今夜は一段と切ない現実が横たわっていた。

ベッドサイドへ歩み寄り、ルミの愛らしい寝顔を見つめる。
その時、アルヴィーノの鋭い視線が、枕の下から微かに覗く「異物」を捉えた。

「……これは」

引き出してみれば、それは電子端末ではなく、かつてルミがボロボロになるまで使い込み、今では図書室の奥に眠っていたはずの、あの古い革装丁のノートだった。

なぜ今夜、ルミがこれを。

アルヴィーノは息を潜め、月明かりの下でそっとそのページをめくった。
擦り切れて掠れた過去の文字の連なりを通り過ぎ、たどり着いたのは、まだ新しくインクの匂いが残る、最後の白い余白。

そこに躍っていたのは、ルミの、今夜の、剥き出しの「心」だった。

『あしたのルミへ。
おきて、頭が真っ白になっても、これだけは絶対に忘れないで。
きょうは、アルヴィーノさんとの婚約記念日でした。
とっても、とっても、しあわせな日でした』

「っ……」

アルヴィーノの喉が、ひゅっと震えた。
紙の上には、ぽたぽたと落ちた涙の跡が、乾いて丸く歪んだシミとなって残っている。
その涙のせいで、いくつかの文字は酷くにじみ、歪んでいた。

けれど、そこに綴られている言葉のすべてが、ルミの「幸せでたまらない」という精一杯の愛と、それと同じくらい深い「忘れたくない」という切ない祈りで満ちていた。

『アルヴィーノさんは、おれに綺麗な指輪をくれました。
おれをぎゅってして、泣きそうな顔で、愛してるって言ってくれました。
頭から消えちゃっても、おてては、アルヴィーノさんの温かさを覚えているよ。
だから、すぐに見つけて。
おれをせかいで一番愛してくれる、おれの大好きな旦那様を、すぐに思い出して――』

「ルミ……、ルミ……っ」

アルヴィーノはノートを握る指先を激しく震わせ、溢れそうになる感情を抑えるように、自らの口元を片手で強く覆った。

苦しくなどない、何万回でも初めての恋をさせてやる、と兄の前では不敵に笑ってみせた魔王。
しかし、本当は彼とて人間だった。
毎週、最愛の存在の瞳から自分の光が消えるたび、その魂は人知れず削られていたのだ。

それなのに、あの子は。
頭の記憶が消えてしまう過酷な運命の中で、こんなにも必死に、掠れたインクと自分の涙で、アルヴィーノへの愛を明日へ繋ごうとしてくれていた。データとしての記録ではない、ルミの魂そのものが叫んだ「忘れたくない」という熱。

にじんだ文字をそっと指先でなぞる。
アルヴィーノの紫の瞳から、一筋の熱い涙がこぼれ落ち、ルミの涙の跡のすぐ隣へと吸い込まれていった。

「愛しています、ルミ……。ああ、私の愛しいお嫁さん……」

アルヴィーノはノートを愛おしそうに胸に抱きしめ、天を仰いだ。
胸を引き裂くような切なさと、それを遥かに凌駕する圧倒的な幸福感が、彼の全身を支配していく。

明日、世界が真っ白になっても構わない。
このノートがある。ルミが命を削るようにして遺した、この愛の証言がある。

アルヴィーノはノートをルミの枕元へと優しく戻すと、ベッドに滑り込み、愛おしい小さな身体を後ろからそっと抱きしめた。ルミは眠ったまま、身体の記憶の赴くままに、アルヴィーノの体温を求めてその胸へとすり寄ってくる。

「おやすみなさい、ルミ。良い夢を。……明日の朝、お前が目覚めたら、世界で一番優しい声で、お前がどれほど幸せだったかを教えてあげましょうね」

消えゆく記憶の境界線で、二人の涙が溶け合ったノートは静かに次の朝を待つ。
たとえ7日間の輪廻が永遠に続こうとも、彼らの楽園は、今夜、誰にも壊せない絶対の絆で結ばれたのだった。
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