記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-

夜の帳が静かに降り、邸宅は深い静寂に包まれていた。

ルミは主寝室のベッドの上で、ピンクゴールドの眼鏡を外し、膝を抱えていた。
サイドテーブルの上には、優しく液晶の光を落としたタブレット端末が置いてある。明日になれば、またこの世界は真っ白にリセットされ、自分はあのトリセツの紙を見て、この端末を開くのだろう。

(明日、消えちゃうんだなぁ……)

胸の奥が、ちりりと切なく痛んだ。
1週間というタイムリミットを受け入れ、難なくお嫁さんをこなせるようになって久しいルミだったけれど、今夜ばかりは、どうしても募る寂しさを抑えきれずにいた。

なぜなら、今日はいつもと違う、特別な日だったから。
――二人が本当の夫婦になることを誓い合った、大切な「婚約記念日」。

大掛かりなパーティーではない。アルヴィーノが「二人だけで過ごしたい」と仕事を全て放り出し、ルミの手料理を世界一愛おしそうに食べ、アルフレッドが「おめでとう」と持ってきた特製の大きなプリンを三人で突いた、そんな優しくて慎ましいお祝い。

指先をそっと見つめる。
そこには、アルヴィーノが「一生、私だけのものです」と狂おしいほどの熱を込めて嵌めてくれた、美しい指輪が光っていた。

あんなに嬉しかったのに。あんなに幸せで、胸がいっぱいになったのに。
明日、目が覚めたら、この指輪を見ても「これ、なぁに……?」と思ってしまうのだろうか。
あの甘い口づけも、アルヴィーノの愛に満ちた瞳も、全部、全部消えてしまう。

「忘れたくないな……」

ぽつりと溢れた本音。
タブレットに打ち込めば、明日データとして読み直すことはできる。
けれど、デジタルで整理された綺麗な文字ではなく、今この胸にある「消したくない」という強い熱(おもい)を、そのままの形で残したかった。

ルミはベッドから這い出ると、図書室のキャビネットの奥から、長い間使っていなかった「あの1冊のノート」を取り出してきた。
かつて、身体が覚えるほど何度も何度も使って、インクが擦り切れてしまった、あの最初の魔法の道具。

引き出しからペンを取り出し、ルミはベッドの上でノートを開いた。
もう掠れて読めなくなったページの、まだ奇跡的に白く残っている最後の余白。そこに、ペンを握る。

カチ、と指先がペンを馴染ませる。頭の記憶が消えても、この指だけは毎日日記を書き続けた感覚を完璧に覚えていた。

『あしたのルミへ。
おきて、頭が真っ白になっても、これだけは絶対に忘れないで。
きょうは、アルヴィーノさんとの婚約記念日でした。
とっても、とっても、しあわせな日でした』

涙が、ぽた、と紙に落ちて、文字を微かににじませる。
それでも、ルミは必死にペンを走らせた。
カメラアイが、自分の涙で歪む文字を、しっかりと脳の裏側に焼き付けていく。

『アルヴィーノさんは、おれに綺麗な指輪をくれました。
おれをぎゅってして、泣きそうな顔で、愛してるって言ってくれました。
頭から消えちゃっても、おてては、アルヴィーノさんの温かさを覚えているよ。
だから、すぐに見つけて。
おれをせかいで一番愛してくれる、おれの大好きな旦那様を、すぐに思い出して――』

書き終えると、ルミはそっとノートを閉じ、愛おしそうに胸へ抱きしめた。
明日になれば、この涙の理由も、この切なさも忘れてしまう。
けれど、このノートに刻んだ自分の筆跡(おもい)だけは、摩耗することなく、明日の自分へと繋がる光の道標になるはずだ。

「アルヴィーノさん……おやすみなさい」

ルミはノートを枕元に大切に忍ばせ、そっと目を閉じた。
たとえ明日、全てが真っ白な朝が来ようとも、身体に深く刻まれた愛と、この健気な1ページがある限り、ルミは何度でも、世界で一番大好きな人の元へ帰ることができるのだった。
43/46ページ
スキ