記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
紙に貼られたアルヴィーノの優しい「トリセツ」のおかげで、ルミは目覚めるたびに、迷うことなくタブレットを使えるようになっていた。
液晶画面の中で美しく輝く、掠れることのないアルヴィーノの文字、アルフレッドの写真、そして積み重ねてきた思い出の記録。ルミは毎週、真っ白になった世界をその端末で鮮やかに塗り直しては、「アルヴィーノさん!」と大好きな旦那様の胸に飛び込む幸福な日々を取り戻していた。
だが、デジタルならではの新たな試練が、再びルミの小さな身体を蝕み始める。
ある日の夕方。
その日はちょうど、ルミが記憶を失ってから4日目のことだった。
リビングのソファに座り、過去の自分が書き残した電子日記を熱心に読み返していたルミが、突然、小さな手で両目と額をギューッと押さえ込んだ。
「……ぅ、あ……っ」
ルミの唇から、苦しげな小さな呻きが漏れる。
その異変にいち早く気づいたアルヴィーノが、すぐさまルミの隣へと滑り込んだ。
「ルミ!? どうしました、どこか痛むのですか」
ルミは手元からタブレットをパタンと落とすと、アルヴィーノの胸元に顔を埋めるようにして、力なくしがみついてきた。水色の瞳からは、ポロポロと涙が溢れ出している。
「アルヴィーノさん……頭が、頭と、おめめが……すっごく痛いの……っ」
「頭と目が……?」
アルヴィーノはルミの頭を優しく撫でながら、その白い頬を覗き込んだ。ルミの美しい水色の瞳は真っ赤に充血し、額にはじっとりと冷や汗がにじんでいる。
「これ……ずーっと見てると、おめめがチカチカして、頭の奥がズキズキしてきちゃうの……。前の白い本のときは、こんなことにならなかったのに……うぅ、痛いよぉ……っ」
ルミの訴えを聞き、アルヴィーノの紫の瞳が鋭く収縮した。
ルミの目は、網膜に映るすべての情報を凄まじい解像度で脳に送り込む。紙の本の反射光とは違い、液晶画面から発せられる強いバックライトやブルーライト、そして画面の微細な明滅(フリッカー)は、常人よりも遥かに繊細なルミの目と、一度激しい炎症を起こしてボロボロになった海馬にとって、想像を絶する「刺激(ノイズ)」になっていたのだ。
どれだけ文字が擦り切れない完璧なシステムを作っても、それを長時間見つめること自体が、ルミの脆弱な脳に過負荷をかけていた。
「すまない、ルミ……。私の配慮が足りなかった。もう見なくていい、目を閉じなさい」
アルヴィーノは強い自責の念に駆られながら、ルミの目を覆うように大きな手を当て、その身体を優しく揺らした。
「痛いの、飛んでけ……っ。アルヴィーノさん、おれ、この機械こわい……。でも、これを見ないと、アルヴィーノさんのこと忘れちゃうの……っ」
頭の痛みに耐えながら、健気に端末を気にするルミ。
その姿は、かつて本家の老人たちに無理やり数字を詰め込まれ、ショートしてしまったあの悪夢の夜を嫌でも思い出させた。
液晶の光すら、ルミにとっては刃になり得る。
ひとつの問題をクリアすれば、また次の過酷な現実がルミの身体を脅かす。抱きしめるルミの体温を感じながら、アルヴィーノは再び、この壊れた楽園を維持することの難しさに激しく歯噛みするのだった。
「……液晶の光がお前の目を、脳を傷つけていたというのか」
アルヴィーノは胸をかきむしられるような痛みに耐えながら、腕の中でぐったりとするルミをさらに強く抱きしめた。
紙の本なら擦り切れる。電子端末なら脳を削る。どこまで行っても、この理不尽な現実がルミを追いつめていく。
だが、ここで引き下がる魔王ではない。
「ルミ、もう泣かなくて大丈夫です。お前を痛ませる光など、この私がすべて遮断して差し上げましょう」
アルヴィーノはルミをベッドへ休ませると、すぐに部屋を出て、お抱えの医療チームと自社の光学技術開発部を総動員させた。
常人向けの市販品など、ルミの繊細な「カメラアイ」の前では何の役にも立たない。ルミの目に届く有害なブルーライトや画面のチラつきを極限までカットし、かつ、視界が不自然に黄色く歪まない、世界最高峰の特殊レンズを開発させたのだ。
さらに、アルヴィーノはその「フレーム」にも一切の妥協を許さなかった。
数日後。
ルミの枕元に届けられたのは、上品な細身の、ほんのりピンクゴールドがかった特注のフレームの眼鏡だった。華奢で愛らしいルミの顔立ちに完璧にフィットするよう、ミリ単位で設計された世界に一つだけの眼鏡。
ちょうど、また新しい「1週間目の朝」を迎えたルミが、真っ白な状態でベッドの上に起き上がった。
「……あ、れ? おれ、は……だぁれ……?」
いつものリセット。ルミは戸惑いながらも、横に貼られた「紙のトリセツ」を見て、おずおずと電子端末に手を伸ばそうとする。しかし、数日前の『目がチカチカして頭が痛くなった記憶』が身体に残っているのか、指先が怖気づいたように小さく震えた。
「ルミ。端末を見る前に、これをかけるのです」
いつの間にか傍らに佇んでいたアルヴィーノが、優しく微笑みながら、その特注の眼鏡をルミの耳へと掛けた。
「……なぁに、これ……」
ルミがパチパチと瞬きをする。
レンズ越しに見る世界は、驚くほど穏やかで、優しかった。
「さあ、もう一度画面を見てごらんなさい」
アルヴィーノに促され、ルミは恐る恐る液晶画面へと視線を向けた。
横のトリセツ通りに指をスワイプすると、シャリンと画面が起動する。しかし、不思議なことに、あの刺すような眩しさも、目がチカチカする不快感も、今回は全く襲ってこなかった。ただ、鮮明な文字とアルヴィーノの優しい写真だけが、すんなりとルミの脳内へと流れ込んでいく。
「あ……! 痛くない……! おめめも、頭も、ぜんぜん痛くないよ、アルヴィーノさん!」
ものの数分で全てをインプットしたルミは、眼鏡を少しズラしながら、満面の笑みでアルヴィーノの胸へと飛び込んだ。
「それは良かった。その眼鏡はね、お前の健気な瞳を守るための、私からの贈り物です。……それに、とてもよく似合っていますよ、ルミ」
アルヴィーノは、少し大人びた知的さをプラスされたルミの愛らしい眼鏡姿を見つめ、独占欲に満ちた熱い吐息を漏らした。いつもよりどこか儚げで、けれど最高に可愛いお嫁さんの姿に、旦那様の心臓はドクドクと跳ね上がる。
そこへ、ドアをノックしてアルフレッドが入ってきた。
「やあルミくん、新しい一週間の始まり……っておや! 降参だね、これは可愛い。僕の伊達眼鏡が霞んじゃうくらい、本当に似合ってるよ。ご褒美に、今日もとびきり甘いプリンを――」
「兄上、ルミをあまり凝視しないでいただきたい。今すぐお仕事(プリン)を置いて退室してください」
「はいはい、ごちそうさまだよ、魔王様」
アルフレッドが笑いながら去っていく中、ルミは眼鏡のフレームにそっと触れながら、嬉しそうに胸を弾ませていた。
「アルヴィーノさん、おれ、これなら毎日いっぱい日記が読める! 忘れても、怖くないね!」
「ええ。お前が何度忘れても、私がその瞳を守り、何度でも愛して差し上げます」
デジタルを遮るアナログの眼鏡。
また一つ、ルミを守る鎧を手に入れた閉ざされた楽園で、アルヴィーノは新しく恋を始めたお嫁さんを、どこまでも甘く、深く、抱きしめ続けるのだった。
液晶画面の中で美しく輝く、掠れることのないアルヴィーノの文字、アルフレッドの写真、そして積み重ねてきた思い出の記録。ルミは毎週、真っ白になった世界をその端末で鮮やかに塗り直しては、「アルヴィーノさん!」と大好きな旦那様の胸に飛び込む幸福な日々を取り戻していた。
だが、デジタルならではの新たな試練が、再びルミの小さな身体を蝕み始める。
ある日の夕方。
その日はちょうど、ルミが記憶を失ってから4日目のことだった。
リビングのソファに座り、過去の自分が書き残した電子日記を熱心に読み返していたルミが、突然、小さな手で両目と額をギューッと押さえ込んだ。
「……ぅ、あ……っ」
ルミの唇から、苦しげな小さな呻きが漏れる。
その異変にいち早く気づいたアルヴィーノが、すぐさまルミの隣へと滑り込んだ。
「ルミ!? どうしました、どこか痛むのですか」
ルミは手元からタブレットをパタンと落とすと、アルヴィーノの胸元に顔を埋めるようにして、力なくしがみついてきた。水色の瞳からは、ポロポロと涙が溢れ出している。
「アルヴィーノさん……頭が、頭と、おめめが……すっごく痛いの……っ」
「頭と目が……?」
アルヴィーノはルミの頭を優しく撫でながら、その白い頬を覗き込んだ。ルミの美しい水色の瞳は真っ赤に充血し、額にはじっとりと冷や汗がにじんでいる。
「これ……ずーっと見てると、おめめがチカチカして、頭の奥がズキズキしてきちゃうの……。前の白い本のときは、こんなことにならなかったのに……うぅ、痛いよぉ……っ」
ルミの訴えを聞き、アルヴィーノの紫の瞳が鋭く収縮した。
ルミの目は、網膜に映るすべての情報を凄まじい解像度で脳に送り込む。紙の本の反射光とは違い、液晶画面から発せられる強いバックライトやブルーライト、そして画面の微細な明滅(フリッカー)は、常人よりも遥かに繊細なルミの目と、一度激しい炎症を起こしてボロボロになった海馬にとって、想像を絶する「刺激(ノイズ)」になっていたのだ。
どれだけ文字が擦り切れない完璧なシステムを作っても、それを長時間見つめること自体が、ルミの脆弱な脳に過負荷をかけていた。
「すまない、ルミ……。私の配慮が足りなかった。もう見なくていい、目を閉じなさい」
アルヴィーノは強い自責の念に駆られながら、ルミの目を覆うように大きな手を当て、その身体を優しく揺らした。
「痛いの、飛んでけ……っ。アルヴィーノさん、おれ、この機械こわい……。でも、これを見ないと、アルヴィーノさんのこと忘れちゃうの……っ」
頭の痛みに耐えながら、健気に端末を気にするルミ。
その姿は、かつて本家の老人たちに無理やり数字を詰め込まれ、ショートしてしまったあの悪夢の夜を嫌でも思い出させた。
液晶の光すら、ルミにとっては刃になり得る。
ひとつの問題をクリアすれば、また次の過酷な現実がルミの身体を脅かす。抱きしめるルミの体温を感じながら、アルヴィーノは再び、この壊れた楽園を維持することの難しさに激しく歯噛みするのだった。
「……液晶の光がお前の目を、脳を傷つけていたというのか」
アルヴィーノは胸をかきむしられるような痛みに耐えながら、腕の中でぐったりとするルミをさらに強く抱きしめた。
紙の本なら擦り切れる。電子端末なら脳を削る。どこまで行っても、この理不尽な現実がルミを追いつめていく。
だが、ここで引き下がる魔王ではない。
「ルミ、もう泣かなくて大丈夫です。お前を痛ませる光など、この私がすべて遮断して差し上げましょう」
アルヴィーノはルミをベッドへ休ませると、すぐに部屋を出て、お抱えの医療チームと自社の光学技術開発部を総動員させた。
常人向けの市販品など、ルミの繊細な「カメラアイ」の前では何の役にも立たない。ルミの目に届く有害なブルーライトや画面のチラつきを極限までカットし、かつ、視界が不自然に黄色く歪まない、世界最高峰の特殊レンズを開発させたのだ。
さらに、アルヴィーノはその「フレーム」にも一切の妥協を許さなかった。
数日後。
ルミの枕元に届けられたのは、上品な細身の、ほんのりピンクゴールドがかった特注のフレームの眼鏡だった。華奢で愛らしいルミの顔立ちに完璧にフィットするよう、ミリ単位で設計された世界に一つだけの眼鏡。
ちょうど、また新しい「1週間目の朝」を迎えたルミが、真っ白な状態でベッドの上に起き上がった。
「……あ、れ? おれ、は……だぁれ……?」
いつものリセット。ルミは戸惑いながらも、横に貼られた「紙のトリセツ」を見て、おずおずと電子端末に手を伸ばそうとする。しかし、数日前の『目がチカチカして頭が痛くなった記憶』が身体に残っているのか、指先が怖気づいたように小さく震えた。
「ルミ。端末を見る前に、これをかけるのです」
いつの間にか傍らに佇んでいたアルヴィーノが、優しく微笑みながら、その特注の眼鏡をルミの耳へと掛けた。
「……なぁに、これ……」
ルミがパチパチと瞬きをする。
レンズ越しに見る世界は、驚くほど穏やかで、優しかった。
「さあ、もう一度画面を見てごらんなさい」
アルヴィーノに促され、ルミは恐る恐る液晶画面へと視線を向けた。
横のトリセツ通りに指をスワイプすると、シャリンと画面が起動する。しかし、不思議なことに、あの刺すような眩しさも、目がチカチカする不快感も、今回は全く襲ってこなかった。ただ、鮮明な文字とアルヴィーノの優しい写真だけが、すんなりとルミの脳内へと流れ込んでいく。
「あ……! 痛くない……! おめめも、頭も、ぜんぜん痛くないよ、アルヴィーノさん!」
ものの数分で全てをインプットしたルミは、眼鏡を少しズラしながら、満面の笑みでアルヴィーノの胸へと飛び込んだ。
「それは良かった。その眼鏡はね、お前の健気な瞳を守るための、私からの贈り物です。……それに、とてもよく似合っていますよ、ルミ」
アルヴィーノは、少し大人びた知的さをプラスされたルミの愛らしい眼鏡姿を見つめ、独占欲に満ちた熱い吐息を漏らした。いつもよりどこか儚げで、けれど最高に可愛いお嫁さんの姿に、旦那様の心臓はドクドクと跳ね上がる。
そこへ、ドアをノックしてアルフレッドが入ってきた。
「やあルミくん、新しい一週間の始まり……っておや! 降参だね、これは可愛い。僕の伊達眼鏡が霞んじゃうくらい、本当に似合ってるよ。ご褒美に、今日もとびきり甘いプリンを――」
「兄上、ルミをあまり凝視しないでいただきたい。今すぐお仕事(プリン)を置いて退室してください」
「はいはい、ごちそうさまだよ、魔王様」
アルフレッドが笑いながら去っていく中、ルミは眼鏡のフレームにそっと触れながら、嬉しそうに胸を弾ませていた。
「アルヴィーノさん、おれ、これなら毎日いっぱい日記が読める! 忘れても、怖くないね!」
「ええ。お前が何度忘れても、私がその瞳を守り、何度でも愛して差し上げます」
デジタルを遮るアナログの眼鏡。
また一つ、ルミを守る鎧を手に入れた閉ざされた楽園で、アルヴィーノは新しく恋を始めたお嫁さんを、どこまでも甘く、深く、抱きしめ続けるのだった。