記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
ルミが昏睡状態に陥ってから、何日が過ぎただろうか。
邸宅の主寝室は、最新の医療機器が並ぶ、冷徹な無菌室へと変貌していた。アルフレッドが本社のコネクションと国家権力をフルに動かし、極秘裏に招集した脳神経外科の世界的権威たちが、張り詰めた空気の中で何時間もルミの治療にあたっていた。
アルヴィーノは、ベッドの傍らから一歩も動かなかった。
数日間、一睡もせず、食事も喉を通さない主人の顔は死人のように青白く、その紫の瞳には、ドス黒い絶望と狂気だけが沈殿している。
やがて、長い検査と処置を終えた主治医が、重い足取りでアルヴィーノの前に進み出た。
「……アルヴィーノ様。ルミ様の容態について、ご説明いたします」
医師の声は沈痛だった。
アルヴィーノは微動だにせず、ただ鋭い眼差しだけで先を促す。
「強制的に脳へ流し込まれた膨大なデータによる過負荷……。ルミ様の脳の、記憶を司る中枢である『海馬』が、今、非常に激しい炎症を起こしています。人間が処理できる領域を遥かに超えた情報が、神経細胞を焼き切らんばかりに暴れ回った結果です」
「……あの子は、いつ目を覚ます」
低く、地を這うようなアルヴィーノの声。医師は一瞬身体を強張らせ、言葉を選びながら続けた。
「炎症を抑える処置は尽くしました。近いうちに目を覚ます可能性は高いでしょう。……しかし、問題はその先です。これほどの炎症を起こした以上、目を覚ましても、これまでの記憶――あなたと過ごした日々や、ご自身の名前すら、綺麗に残っているかどうかは定かではありません」
「……そんなものは、また私が一から上書きすればいい。何度でも、あの子の頭を私の愛だけで満たして見せる」
アルヴィーノがギリ、と奥歯を噛み締める。一度できたのだ、二度目をやるだけだと。
しかし、医師の口から告げられた次の言葉は、アルヴィーノのその最後の希望すらも容赦なく打ち砕くものだった。
「いえ……それだけではないのです。海馬の損傷があまりにも深刻なため、脳の『新しい記憶を定着させる機能』そのものが致命的なダメージを受けている可能性が高い。……つまり、ルミ様は目を覚ましても、その後に得た記憶を、何日も……最悪の場合、わずか数日、あるいは数時間しか保持できなくなっているかもしれないのです」
「……何だと?」
「朝起きてあなたと話し、どれほど温かい思い出を作ったとしても、数日経てば、ルミ様の脳はそれを『維持』できずにリセットされてしまう。カメラアイという強すぎる入力機能に対して、保存するハードディスクが完全に壊れてしまった状態です。……これから先、ルミ様は、新しい記憶を明日へと繋ぐことができないかもしれないのです」
医師の言葉が、寝室の冷たい空気に重く響く。
何日も記憶を保持できない。
それは、アルヴィーノがどれほど必死に愛を注ぎ込もうとも、どれほど甘く幸福な思い出をルミの頭の中に敷き詰めようとも、数日後にはすべてが消え失せ、あの子はまた「あなた、だぁれ?」と、見知らぬ他人に向けた瞳でアルヴィーノを見つめるということ。
積み重ねることのできない、刹那の幸福。
愛しい小鳥を完全に自分のものにするために築いた楽園は、今や、どれだけ水を注いでも満ちることのない、底の割れたガラスの鳥籠へと変わろうとしていた。
「……く、そ、あぁぁぁ……っ!!」
アルヴィーノは頭を抱え、床へとなだれ落ちた。
自分のすべてだった「ルミとの永遠の安寧」が、指の隙間からサラサラと零れ落ちていく。
そんな絶望の淵に立たされた弟の肩に、後ろからアルフレッドが静かに手を置いた。その手もまた、微かに震えている。
二人の若き支配者が絶望と無力感に囚われる中、ベッドの上で、無数の管に繋がれたルミの手指が、ピクリと、頼りなく動いた。
邸宅の主寝室は、最新の医療機器が並ぶ、冷徹な無菌室へと変貌していた。アルフレッドが本社のコネクションと国家権力をフルに動かし、極秘裏に招集した脳神経外科の世界的権威たちが、張り詰めた空気の中で何時間もルミの治療にあたっていた。
アルヴィーノは、ベッドの傍らから一歩も動かなかった。
数日間、一睡もせず、食事も喉を通さない主人の顔は死人のように青白く、その紫の瞳には、ドス黒い絶望と狂気だけが沈殿している。
やがて、長い検査と処置を終えた主治医が、重い足取りでアルヴィーノの前に進み出た。
「……アルヴィーノ様。ルミ様の容態について、ご説明いたします」
医師の声は沈痛だった。
アルヴィーノは微動だにせず、ただ鋭い眼差しだけで先を促す。
「強制的に脳へ流し込まれた膨大なデータによる過負荷……。ルミ様の脳の、記憶を司る中枢である『海馬』が、今、非常に激しい炎症を起こしています。人間が処理できる領域を遥かに超えた情報が、神経細胞を焼き切らんばかりに暴れ回った結果です」
「……あの子は、いつ目を覚ます」
低く、地を這うようなアルヴィーノの声。医師は一瞬身体を強張らせ、言葉を選びながら続けた。
「炎症を抑える処置は尽くしました。近いうちに目を覚ます可能性は高いでしょう。……しかし、問題はその先です。これほどの炎症を起こした以上、目を覚ましても、これまでの記憶――あなたと過ごした日々や、ご自身の名前すら、綺麗に残っているかどうかは定かではありません」
「……そんなものは、また私が一から上書きすればいい。何度でも、あの子の頭を私の愛だけで満たして見せる」
アルヴィーノがギリ、と奥歯を噛み締める。一度できたのだ、二度目をやるだけだと。
しかし、医師の口から告げられた次の言葉は、アルヴィーノのその最後の希望すらも容赦なく打ち砕くものだった。
「いえ……それだけではないのです。海馬の損傷があまりにも深刻なため、脳の『新しい記憶を定着させる機能』そのものが致命的なダメージを受けている可能性が高い。……つまり、ルミ様は目を覚ましても、その後に得た記憶を、何日も……最悪の場合、わずか数日、あるいは数時間しか保持できなくなっているかもしれないのです」
「……何だと?」
「朝起きてあなたと話し、どれほど温かい思い出を作ったとしても、数日経てば、ルミ様の脳はそれを『維持』できずにリセットされてしまう。カメラアイという強すぎる入力機能に対して、保存するハードディスクが完全に壊れてしまった状態です。……これから先、ルミ様は、新しい記憶を明日へと繋ぐことができないかもしれないのです」
医師の言葉が、寝室の冷たい空気に重く響く。
何日も記憶を保持できない。
それは、アルヴィーノがどれほど必死に愛を注ぎ込もうとも、どれほど甘く幸福な思い出をルミの頭の中に敷き詰めようとも、数日後にはすべてが消え失せ、あの子はまた「あなた、だぁれ?」と、見知らぬ他人に向けた瞳でアルヴィーノを見つめるということ。
積み重ねることのできない、刹那の幸福。
愛しい小鳥を完全に自分のものにするために築いた楽園は、今や、どれだけ水を注いでも満ちることのない、底の割れたガラスの鳥籠へと変わろうとしていた。
「……く、そ、あぁぁぁ……っ!!」
アルヴィーノは頭を抱え、床へとなだれ落ちた。
自分のすべてだった「ルミとの永遠の安寧」が、指の隙間からサラサラと零れ落ちていく。
そんな絶望の淵に立たされた弟の肩に、後ろからアルフレッドが静かに手を置いた。その手もまた、微かに震えている。
二人の若き支配者が絶望と無力感に囚われる中、ベッドの上で、無数の管に繋がれたルミの手指が、ピクリと、頼りなく動いた。