記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
本家の地下室から、生ける屍のようになったルミを奪還し、アルヴィーノはすぐさま二人だけの邸宅へと連れ帰った。
あの不潔な老人たちは、アルフレッドの手によって今、社会的な「死」よりも凄惨な地獄を味わわされているはずだが、今のアルヴィーノにとって彼らの命など塵ほどの価値もない。
彼の世界のすべては、寝室のベッドの上で、ガラス細工のように虚ろに横たわる少年のなかにあった。
「ルミ……、ルミ。私を見なさい。アルヴィーノですよ」
アルヴィーノはベッドの脇に跪き、冷え切ったルミの手を自らの両手で包み込んで、狂おしいほどの情愛を込めて何度も擦った。
「もう大丈夫です。あの醜い者たちはすべて排除しました。お前を縛るものは何もない。さあ、私の声を聞いて、いつものように笑って見せてください」
しかし、ルミの微かに開いた水色の瞳は、アルヴィーノの端正な顔を捉えているようで、その実、何も映していなかった。
ただ、カタカタと小さく震える薄い唇から、掠れた声が途切れなく漏れ出す。
「……0x7F……4A……9E……。システム……バイパス、完了……。口座番号……440、77……、暗証、コード……」
「ルミ!」
「……二次、関数……マトリクス……結合、エラー……。ログを……消去……して……」
溢れ出てくるのは、かつて悪徳企業でお人形として扱われていた頃よりも、さらに冷酷で無機質な、文字列と数式の濁流だった。
「そんなものは忘れていいのです!」
アルヴィーノはたまらずルミの身体を抱き起こし、その華奢な肩を強く、壊さんばかりに抱きしめた。
「お前は私のお嫁さんでしょう? 覚えているはずです。一緒にお料理をしたこと、プリンが甘くて美味しいと笑ったこと、この私が、お前を誰よりも愛していること……っ!」
失われた記憶の地層に届くよう、アルヴィーノは祈るように過剰なまでの愛の言葉を流し込んでいく。ルミの耳元、首筋、そしてその乾いた唇に、激しく、溺れるような口づけを何度も何度も施した。かつて恐怖を塗り潰した時のように、自分の熱で、このドス黒い数字を押し流せるはずだと信じて。
だが今回の傷は、あまりにも深すぎた。
本家の老人たちがルミの「絶対記憶(カメラアイ)」に無理やり叩き込んだ情報量は、一国の国家予算や企業の全機密データに匹敵する、この短期間では到底処理しきれないほど膨大、かつ緻密な悪意の塊だった。
ルミの脳は今、その膨大なデータを整理しようと、限界を超えてフル回転を続けている。アルヴィーノがどれほど温かい愛の言葉を注ぎ込もうとも、ルミの脳内というハードディスクは、すでに冷たい記号と数式で限界まで埋め尽くされ、新たなデータを書き込む隙間(バッファ)すら残っていなかった。
「……あ、る……び……の……さん……?」
激しい口づけの合間、ルミの瞳に一瞬だけ、本当に一瞬だけ、かつての光が爆発するように灯った。
大好きな人の匂い、大好きな人の温もり。脳の最奥にわずかに残った「幸せの破片」が、目の前の男が誰であるかをルミに告げようとした。
「そうです、ルミ! 私です!」
アルヴィーノの顔に歓喜が走ったのも束の間、ルミの小さな顔が、突如として激しい苦悶に歪んだ。
「あ、あ、頭が……っ、頭が、あつい……っ!! 何かが、いっぱい、流れてくる……っ! いたい、痛いよぉ……っ!!」
ルミは自分の頭を両手で激しくかきむしろうとした。それをアルヴィーノが必死で抑え込む。
ルミの脳内で、アルヴィーノが注ぎ込む「優しく熱い愛の記憶」と、本家が埋め込んだ「冷酷な数式のデータ」が激しく衝突し、処理落ちを起こしていた。脆弱な少年の記憶回路は、その凄まじい摩擦熱に耐えきれなくなっていく。
「……55A……77F……っ、ちがう……っ、プリン、は……四角い……数式、で……あぅ、あぁぁぁっ……!!」
口から紡がれるコードの速度が異常なまでに加速し、やがて意味をなさない絶叫へと変わる。
ルミの身体が弓なりに突っ張り、その水色の瞳の奥で、無数の光彩がパチパチと明滅した。
限界だった。
処理しきれない情報の濁流により、ルミの繊細な記憶回路は、ついに文字通り『ショート』を起こした。
「――ルミ!?」
ブツリ、と脳内の糸が切れるような感覚と共に、ルミの身体から一瞬にしてすべての力が抜けた。
「……あ……」
最後に小さな吐息を漏らし、ルミは糸の切れた人形のように、アルヴィーノの腕の中へと崩れ落ちた。
激しく明滅していた水色の瞳は閉じられ、あれほど熱を発していた頭は、急激に冷たくなっていく。ただ深い昏睡へと落ちていく少年の寝息だけが、静まり返った部屋に虚しく響いていた。
「ルミ……? 嘘でしょう、目を開けなさい、ルミ……!」
いくら揺さぶっても、呼びかけても、愛しい小鳥はぴくりとも動かない。
脳が自らを守るために、すべての機能を強制停止(シャットダウン)させてしまったのだ。次に目を覚ました時、あの子の頭の中に、自分という存在が残っているのかすら分からない。
「あ、あぁ……あぁぁぁっ……!!」
完全な沈黙が支配する寝室で、アルヴィーノは気を失ったルミを狂ったように強く抱きしめ、天を仰いで絶望の咆哮を上げた。
最愛の者を二度と傷つけないと誓ったはずの楽園のベッドの上で、魔王は自らの無力さに打ちひしがれ、昏い狂気の底へと、さらに深く沈んでいくのだった。
あの不潔な老人たちは、アルフレッドの手によって今、社会的な「死」よりも凄惨な地獄を味わわされているはずだが、今のアルヴィーノにとって彼らの命など塵ほどの価値もない。
彼の世界のすべては、寝室のベッドの上で、ガラス細工のように虚ろに横たわる少年のなかにあった。
「ルミ……、ルミ。私を見なさい。アルヴィーノですよ」
アルヴィーノはベッドの脇に跪き、冷え切ったルミの手を自らの両手で包み込んで、狂おしいほどの情愛を込めて何度も擦った。
「もう大丈夫です。あの醜い者たちはすべて排除しました。お前を縛るものは何もない。さあ、私の声を聞いて、いつものように笑って見せてください」
しかし、ルミの微かに開いた水色の瞳は、アルヴィーノの端正な顔を捉えているようで、その実、何も映していなかった。
ただ、カタカタと小さく震える薄い唇から、掠れた声が途切れなく漏れ出す。
「……0x7F……4A……9E……。システム……バイパス、完了……。口座番号……440、77……、暗証、コード……」
「ルミ!」
「……二次、関数……マトリクス……結合、エラー……。ログを……消去……して……」
溢れ出てくるのは、かつて悪徳企業でお人形として扱われていた頃よりも、さらに冷酷で無機質な、文字列と数式の濁流だった。
「そんなものは忘れていいのです!」
アルヴィーノはたまらずルミの身体を抱き起こし、その華奢な肩を強く、壊さんばかりに抱きしめた。
「お前は私のお嫁さんでしょう? 覚えているはずです。一緒にお料理をしたこと、プリンが甘くて美味しいと笑ったこと、この私が、お前を誰よりも愛していること……っ!」
失われた記憶の地層に届くよう、アルヴィーノは祈るように過剰なまでの愛の言葉を流し込んでいく。ルミの耳元、首筋、そしてその乾いた唇に、激しく、溺れるような口づけを何度も何度も施した。かつて恐怖を塗り潰した時のように、自分の熱で、このドス黒い数字を押し流せるはずだと信じて。
だが今回の傷は、あまりにも深すぎた。
本家の老人たちがルミの「絶対記憶(カメラアイ)」に無理やり叩き込んだ情報量は、一国の国家予算や企業の全機密データに匹敵する、この短期間では到底処理しきれないほど膨大、かつ緻密な悪意の塊だった。
ルミの脳は今、その膨大なデータを整理しようと、限界を超えてフル回転を続けている。アルヴィーノがどれほど温かい愛の言葉を注ぎ込もうとも、ルミの脳内というハードディスクは、すでに冷たい記号と数式で限界まで埋め尽くされ、新たなデータを書き込む隙間(バッファ)すら残っていなかった。
「……あ、る……び……の……さん……?」
激しい口づけの合間、ルミの瞳に一瞬だけ、本当に一瞬だけ、かつての光が爆発するように灯った。
大好きな人の匂い、大好きな人の温もり。脳の最奥にわずかに残った「幸せの破片」が、目の前の男が誰であるかをルミに告げようとした。
「そうです、ルミ! 私です!」
アルヴィーノの顔に歓喜が走ったのも束の間、ルミの小さな顔が、突如として激しい苦悶に歪んだ。
「あ、あ、頭が……っ、頭が、あつい……っ!! 何かが、いっぱい、流れてくる……っ! いたい、痛いよぉ……っ!!」
ルミは自分の頭を両手で激しくかきむしろうとした。それをアルヴィーノが必死で抑え込む。
ルミの脳内で、アルヴィーノが注ぎ込む「優しく熱い愛の記憶」と、本家が埋め込んだ「冷酷な数式のデータ」が激しく衝突し、処理落ちを起こしていた。脆弱な少年の記憶回路は、その凄まじい摩擦熱に耐えきれなくなっていく。
「……55A……77F……っ、ちがう……っ、プリン、は……四角い……数式、で……あぅ、あぁぁぁっ……!!」
口から紡がれるコードの速度が異常なまでに加速し、やがて意味をなさない絶叫へと変わる。
ルミの身体が弓なりに突っ張り、その水色の瞳の奥で、無数の光彩がパチパチと明滅した。
限界だった。
処理しきれない情報の濁流により、ルミの繊細な記憶回路は、ついに文字通り『ショート』を起こした。
「――ルミ!?」
ブツリ、と脳内の糸が切れるような感覚と共に、ルミの身体から一瞬にしてすべての力が抜けた。
「……あ……」
最後に小さな吐息を漏らし、ルミは糸の切れた人形のように、アルヴィーノの腕の中へと崩れ落ちた。
激しく明滅していた水色の瞳は閉じられ、あれほど熱を発していた頭は、急激に冷たくなっていく。ただ深い昏睡へと落ちていく少年の寝息だけが、静まり返った部屋に虚しく響いていた。
「ルミ……? 嘘でしょう、目を開けなさい、ルミ……!」
いくら揺さぶっても、呼びかけても、愛しい小鳥はぴくりとも動かない。
脳が自らを守るために、すべての機能を強制停止(シャットダウン)させてしまったのだ。次に目を覚ました時、あの子の頭の中に、自分という存在が残っているのかすら分からない。
「あ、あぁ……あぁぁぁっ……!!」
完全な沈黙が支配する寝室で、アルヴィーノは気を失ったルミを狂ったように強く抱きしめ、天を仰いで絶望の咆哮を上げた。
最愛の者を二度と傷つけないと誓ったはずの楽園のベッドの上で、魔王は自らの無力さに打ちひしがれ、昏い狂気の底へと、さらに深く沈んでいくのだった。