記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
ルミの頭の中のキャンバスは、少しずつ、けれど確実に色鮮やかな思い出で満たされていった。
お洗濯の洗剤の適量。アルヴィーノが好むシャツのアイロンがけの角度。そして、アルフレッドが時折持ってくる、新しくて甘いお菓子の名前。
「お嫁さん」としての知識を着々と蓄え、実践していくルミは、邸宅の中で小さな太陽のように愛らしく、健気に立ち回っていた。
けれど、完璧に見えるその楽園の裏側では、目に見えない歪みが確実にアルヴィーノを蝕んでいた。
「――だから、その条件では通さないと言っているだろう! 妥協案など、我が社にとってはただの不利益だ!」
書斎のデスクで、アルヴィーノは猛烈な苛立ちと共に受話器に声を荒らげていた。
在宅でのリモートCEOという形態は、ルミを完全に手元に囲い込める反面、アルヴィーノにとっては大きな足枷でもあった。現場の細微な空気が掴みにくく、アルフレッドを通じてしか動かせない案件も多い。さらに、ルミを狙う残党の影を完全に警戒し続ける精神的疲労は、彼の限界を超えつつあった。
数日間の徹夜が続き、アルヴィーノの紫の瞳には、かつてないほど鋭利な刺々しさが宿っていた。
そこへ、何も知らないルミが、お盆に温かいハーブティーを乗せてトコトコと入ってきた。
「アルヴィーノさん、お疲れさまです。あのね、お茶を入れたの。これ、おにいちゃんが……」
「……後にしてくれと言ったはずだ!!」
激しい怒号が、書斎の空気を引き裂いた。
ガシャアン、と大きな音が響く。
アルヴィーノが苛立ちのままに払った手が、ルミの持つお盆に当たってしまったのだ。
床に落ちて砕け散る陶器のカップ。
温かい紅茶が、ルミの白いロリータ服の裾を容赦なく汚していく。
「あ……」
ルミはハッと息を呑み、その場にすくみ上がった。
水色の瞳が、恐怖に大きく見開かれる。
怒りに狂うアルヴィーノの姿が、一瞬だけ、かつて自分を道具として怒鳴り散らしていた悪徳企業の男たちの影と重なったのだ。
「ル、ミ……」
自分の放った声の凄惨さに、アルヴィーノは我に返った。
床に広がる赤褐色の液体と、小刻みに震え、今にも泣き出しそうなルミの顔を見た瞬間、アルヴィーノの顔から血の気が引いた。
「違う、ルミ、私は……っ」
手を伸ばそうとしたアルヴィーノだったが、ルミは怯えたように一歩、後ろへ下がってしまった。どう接していいか分からず、ただ大きな涙をポロポロと溢れさせながら、「ごめんなさい……ごめんなさい……」と小さく呟き、部屋を飛び出していってしまった。
「ルミ!!」
残されたアルヴィーノは、自らの両手を見つめ、激しい後悔と自己嫌悪の沼に突き落とされていた。
守りたかった。傷つけたくなかった。あの真っ白な頭に、自分の醜い怒号など一文字も刻みたくなかったのに。私はまた、この手であの子を怯えさせてしまった――。
ガタガタと震える手で頭を抱え、デスクに突っ伏したアルヴィーノの元へ、タイミング悪くガチャリとドアが開く音が響いた。
「やあアルヴィーノ、頼まれてた資料を……って、うわ、なんだいこの惨状は」
帰ってきたのは、大きな紙袋を抱えたアルフレッドだった。
床の割れた陶器と、かつてないほど絶望しきっている弟の姿を見て、アルフレッドはすぐに全てを察し、いつもの軽薄な笑みを消した。
「……ルミくんに、あたったのかい」
「……黙れ。私を殺せ、兄上。私は……あの子に、あの男たちと同じ恐怖を与えた……」
蚊の鳴くような声で呟くアルヴィーノの前に、アルフレッドは深くため息をつきながら、紙袋をデスクに置いた。
「本当に不器用な弟だね。お前がルミくんを誰よりも愛して、誰よりも余裕をなくしてるのは知ってるけど……あの子が今、どんな気持ちでお前にお茶を持ってきたか、分かってる?」
アルフレッドは床の破片を自ら拾い上げながら、静かに、けれど諭すように言葉を続けた。
「ルミくんはね、お前が疲れているのを見て、お嫁さんとして『何かしてあげたい』って一生懸命考えて、僕にハーブティーの淹れ方を聞きに来たんだよ。お前に怒られた恐怖よりも、お前の役に立てなかったこと、お前を怒らせてしまったことに、あの子は今、胸を痛めてるはずだ」
「……ルミが、私のために……?」
「そうだよ。お前がやるべきことは、ここで引きこもって絶望することじゃない。今すぐあの子のところへ行って、服の汚れを拭いて、痛いほど抱きしめて謝ることだ。……幸い、あの子の今の頭は、お前の愛で上書きされやすいように、真っ白なんだからさ」
アルフレッドの言葉に、アルヴィーノの紫の瞳に微かな光が戻る。
そうだ。ここで立ち止まっている時間などない。ルミの頭の中に、「アルヴィーノが怖かった」という不穏なデータを定着させてはならない。今すぐ、それを何百倍もの愛と溺愛で、綺麗に塗り潰さなければ。
「……恩に着る、兄上」
アルヴィーノは立ち上がり、弾かれたように書斎を飛び出した。
寝室の隅で、汚れた服のまま膝を抱えて泣いているであろう、愛しい小鳥の元へ。どんなに自分が醜くとも、その全存在をかけて再びルミを甘やかし、飼い慣らすために、冷徹なCEOは狂おしいほどの情愛を胸に、廊下を駆け抜けていくのだった。
薄暗い寝室の隅で、ルミは小さな身体をさらに小さく丸め、膝を抱えて静かに泣いていた。
フリルのエプロンも、お気に入りの白いロリータ服の裾も、こぼれたハーブティーで茶色く汚れてしまっている。けれど、今のルミにとってそんな汚れはどうでもよかった。
(アルヴィーノさん、すごく怒ってた……。俺、なんにもできなくて……嫌われちゃったのかな……)
頭の中の記憶は真っ白でも、胸の奥からせり上がる「大好きな人に拒絶された」という絶望感と恐怖が、涙となってボロボロと溢れて止まらない。ひたすら自分の膝に顔を埋め、声を押し殺して震えていた。
その時、寝室のドアが静かに開き、急ぎ足の、けれどルミを刺激しないように細心の注意を払った足音が近づいてきた。
「……ルミ」
聞き間違えるはずのない、低く愛おしい声。
ルミがびくっと肩を跳ね上げ、涙で濡れた水色の瞳を恐る恐る上げた瞬間、目の前に跪いたアルヴィーノの大きな両腕が、そっと、壊れ物を扱うような優しさでルミの身体を包み込んだ。
「ひゃ……っ、アル、ヴィーノ、さん……?」
一瞬、ルミの身体が恐怖で強張る。それに気づいたアルヴィーノは、胸が引き裂かれそうなほどの痛みに紫の瞳を歪め、ルミを怯えさせないよう、ただひたすらに優しく、けれど二度と離さないというように、その華奢な背中を大きな手で包み込んだ。
「ごめんなさい、ルミ……。怖かったですね。お前を怒鳴るつもりなど、毛頭なかったのです。私が、自分の余裕のなさのせいで、お前の優しい気持ちを踏みにじってしまった……。本当に、申し訳ないことをした」
いつも冷徹で、完璧で、誰に対しても絶対的な主人が、今、ルミの胸元に顔を埋めながら、震える声で必死に謝っている。
「アルヴィーノ、さん……おこって、ない……? 俺のこと、きらいに、なってない……?」
ルミが消え入るような声で、ずっと胸を占めていた一番の恐怖を口にした。
「嫌うはずがないでしょう……っ!」
アルヴィーノはルミの顔を包み込み、自らの視線を真っ直ぐに合わせる。その瞳には、狂おしいほどの情愛と、ルミを失うことへの本当の恐怖だけが浮かんでいた。
「お前が私を想って、一生懸命お茶を淹れてくれた。それだけで、私は世界で一番幸せな男なのです。お前は何も悪くない。お前はただ、世界で一番可愛らしくて、健気な、私の最愛のお嫁さんです」
「およめ……さん……?」
「ええ。私はお前を、この世の誰よりも、何よりも愛している。お前の存在そのものが、私の光なのです」
その絶対的な愛の言葉が、ルミの胸の奥に冷たく居座りかけていた「拒絶の恐怖」を、一瞬で熱く、甘く、溶かしていく。
アルヴィーノは、ルミの睫毛に溜まった涙の粒を、 慈しむように何度も唇で吸い上げた。そして、まだ不安そうに小さく開いていたルミの薄い唇を、静かに、深く、自らの唇で塞いだ。
「ん……ぅ、あ……」
それは、先ほどの恐怖の記憶を、一文字残さず消し去って塗り潰すための、酷く濃厚で、果てしなく甘い口づけだった。
何度も、何度も、角度を変えて深く重ねられる口づけと、背中をゆっくりと撫で回す大きな手のひらの温もりに、ルミの身体から完全に強張りが抜けていく。
「は、ぁ……アルヴィーノ、さん……」
唇が離れた時、ルミの水色の瞳は、恐怖ではなく、アルヴィーノへの熱い愛着と熱でトロンと潤んでいた。
「もう、怖くありませんね? お前の頭の中には、今の私の愛の言葉と、この温もりだけを敷き詰めなさい。他の余計なものは、全て忘れていい」
アルヴィーノが乱れたルミの水色の髪を優しく整え、その額に誓うように口づけを落とす。
「うん……っ。俺、アルヴィーノさんのこと、もっと、いっぱぁい大好きになったよ……」
ルミは汚れた服のまま、アルヴィーノの首に細い両腕をぎゅっと絡ませ、その胸に幸せそうに顔を埋めた。
ほんの一瞬かすめた不穏なデータは、アルヴィーノの過剰なまでの溺愛と狂気によって、より深く、より甘い「愛の記憶」へと完全に上書きされた。
閉じられた楽園の中で、2人の絆は、傷を負うたびにさらに歪に、そして絶対に離れられないものへと強固になっていくのだった。
お洗濯の洗剤の適量。アルヴィーノが好むシャツのアイロンがけの角度。そして、アルフレッドが時折持ってくる、新しくて甘いお菓子の名前。
「お嫁さん」としての知識を着々と蓄え、実践していくルミは、邸宅の中で小さな太陽のように愛らしく、健気に立ち回っていた。
けれど、完璧に見えるその楽園の裏側では、目に見えない歪みが確実にアルヴィーノを蝕んでいた。
「――だから、その条件では通さないと言っているだろう! 妥協案など、我が社にとってはただの不利益だ!」
書斎のデスクで、アルヴィーノは猛烈な苛立ちと共に受話器に声を荒らげていた。
在宅でのリモートCEOという形態は、ルミを完全に手元に囲い込める反面、アルヴィーノにとっては大きな足枷でもあった。現場の細微な空気が掴みにくく、アルフレッドを通じてしか動かせない案件も多い。さらに、ルミを狙う残党の影を完全に警戒し続ける精神的疲労は、彼の限界を超えつつあった。
数日間の徹夜が続き、アルヴィーノの紫の瞳には、かつてないほど鋭利な刺々しさが宿っていた。
そこへ、何も知らないルミが、お盆に温かいハーブティーを乗せてトコトコと入ってきた。
「アルヴィーノさん、お疲れさまです。あのね、お茶を入れたの。これ、おにいちゃんが……」
「……後にしてくれと言ったはずだ!!」
激しい怒号が、書斎の空気を引き裂いた。
ガシャアン、と大きな音が響く。
アルヴィーノが苛立ちのままに払った手が、ルミの持つお盆に当たってしまったのだ。
床に落ちて砕け散る陶器のカップ。
温かい紅茶が、ルミの白いロリータ服の裾を容赦なく汚していく。
「あ……」
ルミはハッと息を呑み、その場にすくみ上がった。
水色の瞳が、恐怖に大きく見開かれる。
怒りに狂うアルヴィーノの姿が、一瞬だけ、かつて自分を道具として怒鳴り散らしていた悪徳企業の男たちの影と重なったのだ。
「ル、ミ……」
自分の放った声の凄惨さに、アルヴィーノは我に返った。
床に広がる赤褐色の液体と、小刻みに震え、今にも泣き出しそうなルミの顔を見た瞬間、アルヴィーノの顔から血の気が引いた。
「違う、ルミ、私は……っ」
手を伸ばそうとしたアルヴィーノだったが、ルミは怯えたように一歩、後ろへ下がってしまった。どう接していいか分からず、ただ大きな涙をポロポロと溢れさせながら、「ごめんなさい……ごめんなさい……」と小さく呟き、部屋を飛び出していってしまった。
「ルミ!!」
残されたアルヴィーノは、自らの両手を見つめ、激しい後悔と自己嫌悪の沼に突き落とされていた。
守りたかった。傷つけたくなかった。あの真っ白な頭に、自分の醜い怒号など一文字も刻みたくなかったのに。私はまた、この手であの子を怯えさせてしまった――。
ガタガタと震える手で頭を抱え、デスクに突っ伏したアルヴィーノの元へ、タイミング悪くガチャリとドアが開く音が響いた。
「やあアルヴィーノ、頼まれてた資料を……って、うわ、なんだいこの惨状は」
帰ってきたのは、大きな紙袋を抱えたアルフレッドだった。
床の割れた陶器と、かつてないほど絶望しきっている弟の姿を見て、アルフレッドはすぐに全てを察し、いつもの軽薄な笑みを消した。
「……ルミくんに、あたったのかい」
「……黙れ。私を殺せ、兄上。私は……あの子に、あの男たちと同じ恐怖を与えた……」
蚊の鳴くような声で呟くアルヴィーノの前に、アルフレッドは深くため息をつきながら、紙袋をデスクに置いた。
「本当に不器用な弟だね。お前がルミくんを誰よりも愛して、誰よりも余裕をなくしてるのは知ってるけど……あの子が今、どんな気持ちでお前にお茶を持ってきたか、分かってる?」
アルフレッドは床の破片を自ら拾い上げながら、静かに、けれど諭すように言葉を続けた。
「ルミくんはね、お前が疲れているのを見て、お嫁さんとして『何かしてあげたい』って一生懸命考えて、僕にハーブティーの淹れ方を聞きに来たんだよ。お前に怒られた恐怖よりも、お前の役に立てなかったこと、お前を怒らせてしまったことに、あの子は今、胸を痛めてるはずだ」
「……ルミが、私のために……?」
「そうだよ。お前がやるべきことは、ここで引きこもって絶望することじゃない。今すぐあの子のところへ行って、服の汚れを拭いて、痛いほど抱きしめて謝ることだ。……幸い、あの子の今の頭は、お前の愛で上書きされやすいように、真っ白なんだからさ」
アルフレッドの言葉に、アルヴィーノの紫の瞳に微かな光が戻る。
そうだ。ここで立ち止まっている時間などない。ルミの頭の中に、「アルヴィーノが怖かった」という不穏なデータを定着させてはならない。今すぐ、それを何百倍もの愛と溺愛で、綺麗に塗り潰さなければ。
「……恩に着る、兄上」
アルヴィーノは立ち上がり、弾かれたように書斎を飛び出した。
寝室の隅で、汚れた服のまま膝を抱えて泣いているであろう、愛しい小鳥の元へ。どんなに自分が醜くとも、その全存在をかけて再びルミを甘やかし、飼い慣らすために、冷徹なCEOは狂おしいほどの情愛を胸に、廊下を駆け抜けていくのだった。
薄暗い寝室の隅で、ルミは小さな身体をさらに小さく丸め、膝を抱えて静かに泣いていた。
フリルのエプロンも、お気に入りの白いロリータ服の裾も、こぼれたハーブティーで茶色く汚れてしまっている。けれど、今のルミにとってそんな汚れはどうでもよかった。
(アルヴィーノさん、すごく怒ってた……。俺、なんにもできなくて……嫌われちゃったのかな……)
頭の中の記憶は真っ白でも、胸の奥からせり上がる「大好きな人に拒絶された」という絶望感と恐怖が、涙となってボロボロと溢れて止まらない。ひたすら自分の膝に顔を埋め、声を押し殺して震えていた。
その時、寝室のドアが静かに開き、急ぎ足の、けれどルミを刺激しないように細心の注意を払った足音が近づいてきた。
「……ルミ」
聞き間違えるはずのない、低く愛おしい声。
ルミがびくっと肩を跳ね上げ、涙で濡れた水色の瞳を恐る恐る上げた瞬間、目の前に跪いたアルヴィーノの大きな両腕が、そっと、壊れ物を扱うような優しさでルミの身体を包み込んだ。
「ひゃ……っ、アル、ヴィーノ、さん……?」
一瞬、ルミの身体が恐怖で強張る。それに気づいたアルヴィーノは、胸が引き裂かれそうなほどの痛みに紫の瞳を歪め、ルミを怯えさせないよう、ただひたすらに優しく、けれど二度と離さないというように、その華奢な背中を大きな手で包み込んだ。
「ごめんなさい、ルミ……。怖かったですね。お前を怒鳴るつもりなど、毛頭なかったのです。私が、自分の余裕のなさのせいで、お前の優しい気持ちを踏みにじってしまった……。本当に、申し訳ないことをした」
いつも冷徹で、完璧で、誰に対しても絶対的な主人が、今、ルミの胸元に顔を埋めながら、震える声で必死に謝っている。
「アルヴィーノ、さん……おこって、ない……? 俺のこと、きらいに、なってない……?」
ルミが消え入るような声で、ずっと胸を占めていた一番の恐怖を口にした。
「嫌うはずがないでしょう……っ!」
アルヴィーノはルミの顔を包み込み、自らの視線を真っ直ぐに合わせる。その瞳には、狂おしいほどの情愛と、ルミを失うことへの本当の恐怖だけが浮かんでいた。
「お前が私を想って、一生懸命お茶を淹れてくれた。それだけで、私は世界で一番幸せな男なのです。お前は何も悪くない。お前はただ、世界で一番可愛らしくて、健気な、私の最愛のお嫁さんです」
「およめ……さん……?」
「ええ。私はお前を、この世の誰よりも、何よりも愛している。お前の存在そのものが、私の光なのです」
その絶対的な愛の言葉が、ルミの胸の奥に冷たく居座りかけていた「拒絶の恐怖」を、一瞬で熱く、甘く、溶かしていく。
アルヴィーノは、ルミの睫毛に溜まった涙の粒を、 慈しむように何度も唇で吸い上げた。そして、まだ不安そうに小さく開いていたルミの薄い唇を、静かに、深く、自らの唇で塞いだ。
「ん……ぅ、あ……」
それは、先ほどの恐怖の記憶を、一文字残さず消し去って塗り潰すための、酷く濃厚で、果てしなく甘い口づけだった。
何度も、何度も、角度を変えて深く重ねられる口づけと、背中をゆっくりと撫で回す大きな手のひらの温もりに、ルミの身体から完全に強張りが抜けていく。
「は、ぁ……アルヴィーノ、さん……」
唇が離れた時、ルミの水色の瞳は、恐怖ではなく、アルヴィーノへの熱い愛着と熱でトロンと潤んでいた。
「もう、怖くありませんね? お前の頭の中には、今の私の愛の言葉と、この温もりだけを敷き詰めなさい。他の余計なものは、全て忘れていい」
アルヴィーノが乱れたルミの水色の髪を優しく整え、その額に誓うように口づけを落とす。
「うん……っ。俺、アルヴィーノさんのこと、もっと、いっぱぁい大好きになったよ……」
ルミは汚れた服のまま、アルヴィーノの首に細い両腕をぎゅっと絡ませ、その胸に幸せそうに顔を埋めた。
ほんの一瞬かすめた不穏なデータは、アルヴィーノの過剰なまでの溺愛と狂気によって、より深く、より甘い「愛の記憶」へと完全に上書きされた。
閉じられた楽園の中で、2人の絆は、傷を負うたびにさらに歪に、そして絶対に離れられないものへと強固になっていくのだった。