記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-

会社を共同経営者であった兄のアルフレッドにすべて押し付け、アルヴィーノは日々、外界から完全に遮断された邸宅でルミと甘やかな時間を過ごしていた。
ビジネスの泥を一切排除したその空間は、まさにアルヴィーノが望んだ完璧な楽園だった。

しかし、あの切れ者で要領のいいアルフレッドが、実弟のそんな「完全隠居」を易々と許すはずがなかった。

ある日、邸宅の書斎に直接乗り込んできたアルフレッドは、いつもの軽薄な笑みを完全に消し去り、冷徹な現実をアルヴィーノの目の前に突きつけたのだ。

「いいかい、アルヴィーノ。今は確かに平穏だし、僕も全力でルミくんの安全の盾になっている。だけどね、お前がすべての肩書きを捨ててただの一般人になったらどうなる? この先もし、ルミくんに万が一のことがあった時、お前個人が持つただの暴力や財力だけじゃ、動かせない『国家権力の壁』ってものが出てくるんだよ。お前に地位がなくなれば、結果的にルミくんを本当の意味で守りきれなくなるぞ」

その言葉は、アルヴィーノにとって最も残酷な脅迫だった。
ルミを守るために会社を辞めたのに、会社を辞めることがルミを危険に晒す。アルヴィーノはギリ、と奥歯を噛み締め、兄を殺さんばかりに睨みつけたが最終的には、ルミの安全という絶対的な条件の前に、嫌々ながらも首を縦に振るしかなかった。

「……わかりました。ただし、私は一歩もこの邸宅からは出ません。すべての業務は在宅で行う。私の視界からルミを外すような真似は、兄上であっても絶対に許しません」

こうして、アルヴィーノの在宅での「完全リモートCEO」としての生活が始まった。

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一方、そんな大人の裏事情など露知らず、ルミは毎日とても張り切っていた。
アルヴィーノが在宅ワークに移行したことで、ルミの「秘書としてのお仕事」は自然と終わりを迎えた。
その代わりに、アルヴィーノから手渡されたのは、可愛い装丁の料理本や、家事の手順書だった。

『ルミ、今日からお前は、私のお嫁さんとしてのお仕事を覚えてください』

そう言われた時、ルミは恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、ぱあっと顔を輝かせたものだ。
「絶対記憶」の能力は、今やその全容量を「大好きなアルヴィーノのための家事データ」として贅沢に使用されていた。
ルミは料理本のレシピ、計量の黄金比、お掃除の効率的な手順を、その真っ白な脳内に着々と焼き付け、毎日一生懸命に実践していた。

けれどいくら頭で完璧に手順を覚えていても、身体がそれに追いつかないのが、生まれたての子猫のような今のルミだった。

「あぅ……っ、また焦げちゃった……」

ある日の夕方。
キッチンから、微かに香ばしい匂いが漂ってきた。
ルミは、アルヴィーノから贈られたフリルのエプロンを身にまとい、フライパンの前で半泣きになっていた。

今日のメニューは、アルヴィーノが大好きなハンバーグ。
レシピの数字、強火で何分、弱火で何分というデータは一言一句完璧に記憶していた。
けれど、いざ実践してみると、ひっくり返すタイミングでお肉が崩れてしまったり、火加減の微調整が上手くいかなかったりして、表面が少し黒くなってしまったのだ。

「どうしよう……。データ通りにやったのに上手にできない……」

シーツのシミ抜きや、お部屋のお掃除は完璧にこなせるようになっていただけに、料理の微妙な「感覚」のズレが悔しくてたまらない。
ルミの水色の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
その時、背後から音もなく伸びてきた大きな腕が、ルミの華奢な腰をそっと抱きすくめた。

「ひゃんっ……あ、アルヴィーノさん……!」
「いい匂いがしますね、ルミ。私への夕食を作ってくれていたのですか」

パソコンでの冷徹な数字のやり取りを終えたばかりのアルヴィーノが、ルミの首筋に愛おしそうに顔を埋め、その甘い香りを吸い込む。
ルミはフライパンを隠すようにしながら、俯いて消え入るような声を出した。

「う、ううん……ダメなの。失敗しちゃったの。お外が少し黒くなっちゃって、形も崩れて……。お嫁さんのお仕事、うまくできなかった……」

シクシクと泣き出しそうなルミの頭を、アルヴィーノは優しく、ひたすら甘やかすように撫で回した。そして、フライパンの中の、少し不格好なハンバーグを見て、心底嬉しそうに目を細める。

「何を言うのですか。お前が私のために、その小さな手で一生懸命作ってくれたのですよ? これ以上の御馳走がこの世にあるはずがありません」
「でも、レシピのデータと、ちがう……」
「データなどどうでもいいのです。お前が形を崩してくれたおかげで、中に火がよく通って美味しそうですよ。さあ、一緒に食べましょう」

アルヴィーノは手際よく火を止めると、ルミを抱き上げてキッチンのカウンターに座らせ、その涙を優しく指先で 拭った。

頭の中の完璧なデータと、現実のちょっと不器用な失敗。
そんな「うまく行かない日」の苦い思い出さえも、アルヴィーノは極上の甘い愛で、すべて幸福な記憶へと上書きしていく。

「明日は、私も一緒にキッチンに立ちましょう。お前に、火の通し方を『身体』で教えてあげます」
「うん……っ。俺、アルヴィーノさんと一緒なら、もっとがんばる……!」

在宅ワークの冷たい画面の向こうでは、今もアルフレッドと共に世界を動かす権力を維持しながら、家の中では、一匹の愛しい小鳥の失敗を世界で一番愛おしそうに眺めている。

記憶を失ったルミの毎日は、こうして、少しずつの失敗と、それを遥かに上回るアルヴィーノの過保護な抱擁によって、色鮮やかに染まり続けていくのだった。
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