記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
それからの日々は、ルミにとって、毎朝目を開けるたびに新しい幸福が降ってくるような、甘やかで奇跡に満ちた世界だった。
「アルヴィーノさん、見て! このお洋服、リボンがいっぱいで可愛い!」
「ええ、とてもよく似合っていますよ、ルミ。今日はこれから、あのテラスのあるお店へブルーベリーのタルトを食べに行きましょうか」
「ぶるーべりーのたると……っ、うん! 俺、それもいっぱいはじめて覚える!」
毎日が、新しい「美味しい」や「美しい」のデータで満たされていく。
アルヴィーノが惜しみなく注ぎ込む、過剰なまでの温かい愛の洪水。それは、かつてルミの脳内を侵食していたドス黒い文字列や冷たい企業の暗号データを、文字通り奥底へと押し流し、完全に上書きしていった。
いつしかルミの頭の中からは、あの発作の引き金となった違法なコードのことなど、綺麗に霧散してしまっていた。
けれどアルヴィーノの冷徹な頭脳は、その幸福の裏側で、常に最悪のシナリオを計算し続けていた。
(今回は防げた。だが、ルミを私の『秘書』という立場に置き、このオフィスに引き止めている以上、どれほど情報を制限しようとも、いつまた不測の事態が起きるか分からない)
ほんの一瞬の油断。床に落ちた書類。すれ違った役員の持つ端末。
ルミの「絶対記憶(カメラアイ)」という呪われた才能が健在である以上、彼をビジネスの場に立たせ続けることは、常に劇薬の入ったガラス瓶を薄氷の上で転がすようなものだった。
もう二度と、あの子にあの激痛を味わわせるわけにはいかない。
二度と、自分を守るためにその小さな脳を焼き切れんばかりに酷使させるわけにはいかない。
愛しい青い鳥を守るため、そしてその存在を完全に自分のものにするため。
熟考の果てに、アルヴィーノが下した決断は、やはり常軌を逸した、けれど彼にとっては最高に合理的で美しい答えだった。
---
「……社長退任、ですか!?」
翌週の役員会議。
アルフレッドをはじめとする一族、そして残った役員たちの前に提示された1枚の書状を前に、室内に驚愕のどよめきが走った。
レイストールホールディングス最高経営責任者、アルヴィーノ。
その若さにしてビジネス界の頂点に立ち、数々の敵を冷酷に屠ってきた絶対的な支配者が、突如としてその座を退くというのだ。
「冗談だろう、アルヴィーノ。お前が引退して、この巨大な帝国をどうするつもりだ」
驚きを隠せない役員たちを、アルヴィーノは切れ長の紫の瞳で、冷酷に見下ろした。
「経営権はすべて、兄上であるアルフレッドに譲渡します。引き継ぎのシステムも、向こう十年の戦略もすべて構築済みだ。文句はあるまい」
「そうじゃなくて……お前自身は、これからどうするんだよ」
肩をすくめながらも、その目の奥に全てを察した色を浮かべるアルフレッド。
アルヴィーノは一切の未練を排した声で、静かに、けれど絶対的な拒絶を込めて言い放った。
「私は、私の世界のすべてを連れて、ここを去る。二度と、この薄汚いビジネスの泥があの子の目に触れない場所へ」
---
数日後。都心の喧騒から遠く離れた、豊かな緑と穏やかな海に囲まれた、アルヴィーノの個人所有の広大な別荘。
そこには、新しく作り直された『最高経営責任者室』があった。
ただし、そこにはビジネスの書類も、暗号が並ぶパソコンも、他人の欲望が渦巻く電話も、何一つ存在しない。
部屋にあるのは、ルミのお気に入りの白いロリータ服が並ぶクローゼットと、柔らかいソファ、そしてルミが大好きなプリンやタルトがいつでも用意される、小さなキッチンだけ。
「アルヴィーノさん、お仕事、おしまい?」
新調された真っ白な秘書服の裾を揺らしながら、ルミがトコトコと歩み寄ってくる。
今のルミの「お仕事」は、アルヴィーノが飲む紅茶のティースプーンを運ぶこと、そして、彼が「おねがい」するたびに、その胸に飛び込んでたくさん抱きしめてもらうこと。
世界で一番優しくて、簡単な、ルミだけのための特別なお仕事。
「ええ、今日のお仕事はすべて終わりですよ、私の優秀な秘書(ルミ)」
アルヴィーノはデスクを離れ、愛しい少年を両腕で強く、深く抱きすくめた。
ビジネスの世界を捨て、巨万の富を動かす権力を捨てて手に入れた、世界で一番狭くて、世界で一番安全な、二人だけの完璧な鳥籠。
「……うん、アルヴィーノさん、今日もだぁいすき!」
胸の中でふにゃりと笑うルミの、光に満ちた水色の瞳を見つめながら、アルヴィーノは心底満足そうに、その柔らかな髪に唇を寄せた。
覚えるべき情報は、もうこの部屋の中にあるものだけでいい。
ビジネスの数字も、過去の傷も、社会の汚泥も、すべては遠い世界の塵となった。
これから一生をかけて、この真っ白な小鳥の頭の中を、自分という存在と、無限の甘い記憶だけで満たしていく。
2人の歪で幸福な主従関係は、誰の手も届かない閉ざされた楽園の奥底で、永遠の安寧と共に、本当の完成を迎えたのだった。
「アルヴィーノさん、見て! このお洋服、リボンがいっぱいで可愛い!」
「ええ、とてもよく似合っていますよ、ルミ。今日はこれから、あのテラスのあるお店へブルーベリーのタルトを食べに行きましょうか」
「ぶるーべりーのたると……っ、うん! 俺、それもいっぱいはじめて覚える!」
毎日が、新しい「美味しい」や「美しい」のデータで満たされていく。
アルヴィーノが惜しみなく注ぎ込む、過剰なまでの温かい愛の洪水。それは、かつてルミの脳内を侵食していたドス黒い文字列や冷たい企業の暗号データを、文字通り奥底へと押し流し、完全に上書きしていった。
いつしかルミの頭の中からは、あの発作の引き金となった違法なコードのことなど、綺麗に霧散してしまっていた。
けれどアルヴィーノの冷徹な頭脳は、その幸福の裏側で、常に最悪のシナリオを計算し続けていた。
(今回は防げた。だが、ルミを私の『秘書』という立場に置き、このオフィスに引き止めている以上、どれほど情報を制限しようとも、いつまた不測の事態が起きるか分からない)
ほんの一瞬の油断。床に落ちた書類。すれ違った役員の持つ端末。
ルミの「絶対記憶(カメラアイ)」という呪われた才能が健在である以上、彼をビジネスの場に立たせ続けることは、常に劇薬の入ったガラス瓶を薄氷の上で転がすようなものだった。
もう二度と、あの子にあの激痛を味わわせるわけにはいかない。
二度と、自分を守るためにその小さな脳を焼き切れんばかりに酷使させるわけにはいかない。
愛しい青い鳥を守るため、そしてその存在を完全に自分のものにするため。
熟考の果てに、アルヴィーノが下した決断は、やはり常軌を逸した、けれど彼にとっては最高に合理的で美しい答えだった。
---
「……社長退任、ですか!?」
翌週の役員会議。
アルフレッドをはじめとする一族、そして残った役員たちの前に提示された1枚の書状を前に、室内に驚愕のどよめきが走った。
レイストールホールディングス最高経営責任者、アルヴィーノ。
その若さにしてビジネス界の頂点に立ち、数々の敵を冷酷に屠ってきた絶対的な支配者が、突如としてその座を退くというのだ。
「冗談だろう、アルヴィーノ。お前が引退して、この巨大な帝国をどうするつもりだ」
驚きを隠せない役員たちを、アルヴィーノは切れ長の紫の瞳で、冷酷に見下ろした。
「経営権はすべて、兄上であるアルフレッドに譲渡します。引き継ぎのシステムも、向こう十年の戦略もすべて構築済みだ。文句はあるまい」
「そうじゃなくて……お前自身は、これからどうするんだよ」
肩をすくめながらも、その目の奥に全てを察した色を浮かべるアルフレッド。
アルヴィーノは一切の未練を排した声で、静かに、けれど絶対的な拒絶を込めて言い放った。
「私は、私の世界のすべてを連れて、ここを去る。二度と、この薄汚いビジネスの泥があの子の目に触れない場所へ」
---
数日後。都心の喧騒から遠く離れた、豊かな緑と穏やかな海に囲まれた、アルヴィーノの個人所有の広大な別荘。
そこには、新しく作り直された『最高経営責任者室』があった。
ただし、そこにはビジネスの書類も、暗号が並ぶパソコンも、他人の欲望が渦巻く電話も、何一つ存在しない。
部屋にあるのは、ルミのお気に入りの白いロリータ服が並ぶクローゼットと、柔らかいソファ、そしてルミが大好きなプリンやタルトがいつでも用意される、小さなキッチンだけ。
「アルヴィーノさん、お仕事、おしまい?」
新調された真っ白な秘書服の裾を揺らしながら、ルミがトコトコと歩み寄ってくる。
今のルミの「お仕事」は、アルヴィーノが飲む紅茶のティースプーンを運ぶこと、そして、彼が「おねがい」するたびに、その胸に飛び込んでたくさん抱きしめてもらうこと。
世界で一番優しくて、簡単な、ルミだけのための特別なお仕事。
「ええ、今日のお仕事はすべて終わりですよ、私の優秀な秘書(ルミ)」
アルヴィーノはデスクを離れ、愛しい少年を両腕で強く、深く抱きすくめた。
ビジネスの世界を捨て、巨万の富を動かす権力を捨てて手に入れた、世界で一番狭くて、世界で一番安全な、二人だけの完璧な鳥籠。
「……うん、アルヴィーノさん、今日もだぁいすき!」
胸の中でふにゃりと笑うルミの、光に満ちた水色の瞳を見つめながら、アルヴィーノは心底満足そうに、その柔らかな髪に唇を寄せた。
覚えるべき情報は、もうこの部屋の中にあるものだけでいい。
ビジネスの数字も、過去の傷も、社会の汚泥も、すべては遠い世界の塵となった。
これから一生をかけて、この真っ白な小鳥の頭の中を、自分という存在と、無限の甘い記憶だけで満たしていく。
2人の歪で幸福な主従関係は、誰の手も届かない閉ざされた楽園の奥底で、永遠の安寧と共に、本当の完成を迎えたのだった。