記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-
その夜、時計の針が深夜を回った頃。
ルミはパジャマ姿のまま、静まり返った廊下を歩き、書斎の前に立っていた。
昼間の恐怖は、アルヴィーノの温かい腕の中で完全に溶けて消えていた。
今ルミの胸を占めているのは、怯えではなく、確かな『意志』だった。
(アルヴィーノさんは、俺のためにあの場所を怒ってくれたんだ。俺を苦しめたあの会社を、おしまいにしてくれようとしてる……)
それなら、自分のこの呪われたはずの能力が、初めて本当の意味で役に立つかもしれない。
コン、コン、と昼間より少しだけ強い音で扉を叩く。
「入れ」という声が響くと同時にドアを開けると、デスクの上のアルヴィーノが、昼間の件を心配するような少し痛ましげな紫の瞳でルミを迎え入れた。
「ルミ、まだ眠れませんか? また怖い夢でも――」
「ううん、違うの」
ルミは首を横に振ると、たかたかと真っ直ぐにアルヴィーノのデスクの側まで歩み寄った。
そして、彼のジャケットの袖をぎゅっと握りしめ、まっすぐな瞳で見つめる。
「あのね……アルヴィーノさん。お昼の書類、俺、全部おぼえちゃった。……だからね、俺、話すよ」
「ルミ、お前はもうあんな場所のことは――」
「ううん、話させて」
ルミは譲らなかった。
アルヴィーノの言葉を遮り、小さく深呼吸をすると、拙いけれど、驚くほど正確な言葉で脳内の記憶を引き出し始めた。
「あの会社ね、表向きはちいさな貿易会社だけど、本当は違うの。……『東峰ロジスティクス』っていう会社とお金をぐるぐる回してて、裏の帳簿は、社長の机の三番目の引き出しの、偽物の底の下にあるデジタルキーに隠してあるの」
アルヴィーノの目が、微かに見開かれた。
ルミの口から溢れ出すのは、単なる愚痴や被害の記憶ではなかった。
かつて彼らがルミの目の前で「どうせこいつは子供だから理解できない」と高を括り、平然と処理していた極秘の資金流用データ、関連会社との不透明な取引記録、そして彼らがひた隠しにしていた脱税の証拠――。
「それからね、来月の十日になったら、海外の『ペーパーカンパニー』に資産を全部移して、会社をわざと潰す計画を立ててた。社長が、お酒を飲みながらそう話してたの、俺、全部おぼえてる……」
「……!」
アルヴィーノは息を呑み、思わず手にしていたペンを強く握りしめた。
ルミが紡ぎ出す情報の中には、レイストール・ホールディングスの優秀な情報網をもってしても、まだ掴みきれていなかった『決定的な裏付け』が含まれていた。特に、資産隠しのための海外口座の番号と、結託している政界の有力者の名前――それは、アルヴィーノが仕掛けようとしていた買収劇を一撃で終わらせ、相手を法的に完全破滅へと追い込むための、最強の切り札だった。
かつてルミを縛り、苦しめ続けた『絶対記憶』という能力。
それが今、アルヴィーノという絶対的な庇護者を得たことで、かつての飼い主たちを容赦なく噛み殺す、最凶の牙へと変貌を遂げようとしていた。
「……役に立つ、かな……?」
すべてを話し終えたルミは、アルヴィーノの顔色を窺うように、上目遣いでそわそわと身体を揺らした。
自分の拙い言葉が、本当に大好きな主人の力になれたのか、不安と期待が入り混じった瞳が微かに揺れている。
そんなルミの健気な姿を見つめ、アルヴィーノはゆっくりと大きな手を伸ばした。
そして、その柔らかな水色の髪を、溢れんばかりの愛おしさを込めて優しく、何度も撫でる。
「ええ、役に立つどころではありません。お前のおかげで、あの羽虫どもを文字通り根絶やしにする算段がつきました。……ありがとうございます、ルミ。お前は本当に、私の優秀な秘書だ」
「……っ、ほんと!?」
アルヴィーノの口から告げられた、これ以上ない感謝の言葉。
自分の呪われた能力が、初めて誰かを救い、誰かの役に立てた。
その事実が、ルミの胸を温かい喜びでいっぱいに満たしていく。ぱっと花が咲いたように明るくなったルミの表情を、アルヴィーノはどこか切なげな、しかし揺るぎない確信を秘めた紫の瞳で見つめ返した。
「ですが、ルミ。もう十分です」
頭を撫でる手のひらに、さらに愛おしむような力がこもる。
「今お前が口にしたような汚らわしいデータは、もう全て私の頭に、そして我が社のシステムに書き写しました。ですから……お前のその綺麗な脳からは、今この瞬間をもって綺麗さっぱり忘れてしまいなさい。そんなゴミをいつまでも記憶の特等席に置いておく必要はありません」
これからは、楽しいことや、美しいこと、そして私との穏やかな時間だけをその記憶に刻めばいい――そう無言で告げるような、どこまでも過保護で、深い深い主人の優しさ。
「うん! わかった。……アルヴィーノさんが、ぜんぶやっつけてくれるもんね」
ルミは今度こそ、心の底から安心してこくりと小さく頷いた。
胸の奥に灯った「役に立てた嬉しさ」という温かい光を抱きしめたまま、ルミはアルヴィーノの袖からそっと手を離す。
「じゃあ、俺、もうお部屋に戻るね。アルヴィーノさんも、あんまり夜更かししちゃダメだよ? ……おやすみなさい!」
「ええ、おやすみなさい、ルミ。良い夢を」
無邪気に手を振って、たかたかと軽い足取りで寝室へと戻っていくルミの後ろ姿を、アルヴィーノは愛おしそうに見送った。
扉が静かに閉まり、書斎に再び静寂が訪れる。
一人残されたアルヴィーノは、先ほどルミが口にした情報を脳内で完璧に整理すると、ディスプレイに向き直った。
その紫の瞳からは先ほどの甘い熱が完全に消え失せ、かつて世界を震え上がらせた「冷徹なCEO」の、容赦のない冷酷な光が宿る。
ルミを傷つけ、道具として搾取した傲慢な悪党どもに、息の根を止める権利すら与えない完全な破滅を。
最愛の秘書から受け取った最高の切り札を手に、アルヴィーノは静かに、そして苛烈に、復讐のカウントダウンを開始するのだった。
ルミはパジャマ姿のまま、静まり返った廊下を歩き、書斎の前に立っていた。
昼間の恐怖は、アルヴィーノの温かい腕の中で完全に溶けて消えていた。
今ルミの胸を占めているのは、怯えではなく、確かな『意志』だった。
(アルヴィーノさんは、俺のためにあの場所を怒ってくれたんだ。俺を苦しめたあの会社を、おしまいにしてくれようとしてる……)
それなら、自分のこの呪われたはずの能力が、初めて本当の意味で役に立つかもしれない。
コン、コン、と昼間より少しだけ強い音で扉を叩く。
「入れ」という声が響くと同時にドアを開けると、デスクの上のアルヴィーノが、昼間の件を心配するような少し痛ましげな紫の瞳でルミを迎え入れた。
「ルミ、まだ眠れませんか? また怖い夢でも――」
「ううん、違うの」
ルミは首を横に振ると、たかたかと真っ直ぐにアルヴィーノのデスクの側まで歩み寄った。
そして、彼のジャケットの袖をぎゅっと握りしめ、まっすぐな瞳で見つめる。
「あのね……アルヴィーノさん。お昼の書類、俺、全部おぼえちゃった。……だからね、俺、話すよ」
「ルミ、お前はもうあんな場所のことは――」
「ううん、話させて」
ルミは譲らなかった。
アルヴィーノの言葉を遮り、小さく深呼吸をすると、拙いけれど、驚くほど正確な言葉で脳内の記憶を引き出し始めた。
「あの会社ね、表向きはちいさな貿易会社だけど、本当は違うの。……『東峰ロジスティクス』っていう会社とお金をぐるぐる回してて、裏の帳簿は、社長の机の三番目の引き出しの、偽物の底の下にあるデジタルキーに隠してあるの」
アルヴィーノの目が、微かに見開かれた。
ルミの口から溢れ出すのは、単なる愚痴や被害の記憶ではなかった。
かつて彼らがルミの目の前で「どうせこいつは子供だから理解できない」と高を括り、平然と処理していた極秘の資金流用データ、関連会社との不透明な取引記録、そして彼らがひた隠しにしていた脱税の証拠――。
「それからね、来月の十日になったら、海外の『ペーパーカンパニー』に資産を全部移して、会社をわざと潰す計画を立ててた。社長が、お酒を飲みながらそう話してたの、俺、全部おぼえてる……」
「……!」
アルヴィーノは息を呑み、思わず手にしていたペンを強く握りしめた。
ルミが紡ぎ出す情報の中には、レイストール・ホールディングスの優秀な情報網をもってしても、まだ掴みきれていなかった『決定的な裏付け』が含まれていた。特に、資産隠しのための海外口座の番号と、結託している政界の有力者の名前――それは、アルヴィーノが仕掛けようとしていた買収劇を一撃で終わらせ、相手を法的に完全破滅へと追い込むための、最強の切り札だった。
かつてルミを縛り、苦しめ続けた『絶対記憶』という能力。
それが今、アルヴィーノという絶対的な庇護者を得たことで、かつての飼い主たちを容赦なく噛み殺す、最凶の牙へと変貌を遂げようとしていた。
「……役に立つ、かな……?」
すべてを話し終えたルミは、アルヴィーノの顔色を窺うように、上目遣いでそわそわと身体を揺らした。
自分の拙い言葉が、本当に大好きな主人の力になれたのか、不安と期待が入り混じった瞳が微かに揺れている。
そんなルミの健気な姿を見つめ、アルヴィーノはゆっくりと大きな手を伸ばした。
そして、その柔らかな水色の髪を、溢れんばかりの愛おしさを込めて優しく、何度も撫でる。
「ええ、役に立つどころではありません。お前のおかげで、あの羽虫どもを文字通り根絶やしにする算段がつきました。……ありがとうございます、ルミ。お前は本当に、私の優秀な秘書だ」
「……っ、ほんと!?」
アルヴィーノの口から告げられた、これ以上ない感謝の言葉。
自分の呪われた能力が、初めて誰かを救い、誰かの役に立てた。
その事実が、ルミの胸を温かい喜びでいっぱいに満たしていく。ぱっと花が咲いたように明るくなったルミの表情を、アルヴィーノはどこか切なげな、しかし揺るぎない確信を秘めた紫の瞳で見つめ返した。
「ですが、ルミ。もう十分です」
頭を撫でる手のひらに、さらに愛おしむような力がこもる。
「今お前が口にしたような汚らわしいデータは、もう全て私の頭に、そして我が社のシステムに書き写しました。ですから……お前のその綺麗な脳からは、今この瞬間をもって綺麗さっぱり忘れてしまいなさい。そんなゴミをいつまでも記憶の特等席に置いておく必要はありません」
これからは、楽しいことや、美しいこと、そして私との穏やかな時間だけをその記憶に刻めばいい――そう無言で告げるような、どこまでも過保護で、深い深い主人の優しさ。
「うん! わかった。……アルヴィーノさんが、ぜんぶやっつけてくれるもんね」
ルミは今度こそ、心の底から安心してこくりと小さく頷いた。
胸の奥に灯った「役に立てた嬉しさ」という温かい光を抱きしめたまま、ルミはアルヴィーノの袖からそっと手を離す。
「じゃあ、俺、もうお部屋に戻るね。アルヴィーノさんも、あんまり夜更かししちゃダメだよ? ……おやすみなさい!」
「ええ、おやすみなさい、ルミ。良い夢を」
無邪気に手を振って、たかたかと軽い足取りで寝室へと戻っていくルミの後ろ姿を、アルヴィーノは愛おしそうに見送った。
扉が静かに閉まり、書斎に再び静寂が訪れる。
一人残されたアルヴィーノは、先ほどルミが口にした情報を脳内で完璧に整理すると、ディスプレイに向き直った。
その紫の瞳からは先ほどの甘い熱が完全に消え失せ、かつて世界を震え上がらせた「冷徹なCEO」の、容赦のない冷酷な光が宿る。
ルミを傷つけ、道具として搾取した傲慢な悪党どもに、息の根を止める権利すら与えない完全な破滅を。
最愛の秘書から受け取った最高の切り札を手に、アルヴィーノは静かに、そして苛烈に、復讐のカウントダウンを開始するのだった。